日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ついておいで

2012年02月19日 | 自然 季節
           

今日は暦の上では雨水、立春から啓蟄へ変わるそのまん中の日。温かさに雪が雨にかわり、氷がとけ始め、昔から、農耕の準備を始める目安とされていた。また、この日に雛人形を飾り附けると良縁に恵まれる、とある。これから日ごと春らしくなるという始まりの日だろう。

しかし日本海側は記録に残る豪雪に見舞われ春はまだ遠い。除雪・雪下ろしなどでは多くの方が亡くなられてたている。日々の生活にも多くの支障をきたすなど、昨年から続けて起きる自然災害のはかり知れない力に、成す術のない人の力を哀しむ。

そんな地上の様子など知らぬように冬を代表する鳥のひとつカモがお堀で楽しんでいる。明治維新前の日本では食用とされた数少ない鳥獣だったそうだ。鴨鍋にネギを入れると臭みがとれて美味しくなる事から、いいことが重なってやってくることを「鴨が葱を背負ってくる」という。この言いまわいは善悪含めていろいろな使い方がある。

カモはのんびり気楽そうに水面を滑っているように見えるが、実はそうではないという。本当はその水掻きは水中で絶えず動いているそうで「人知れぬ苦労の絶えないことのたとえ」をカモの水掻きというそうだ。人もこうありたい、そう思うとカモののんびりと気楽そうな姿から学ぶことは多そうだ。

(写真:ハクチョウを追っかけるカモ)



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枝打ち

2012年02月18日 | 地域
           

歴史ある建築物や神社仏閣、古民家などに使われている建築材を見ると、今では目にすることが出来ないほどの巨材が使用されている。それらは幾度となく目にした数十年のそれらとは比較できないことは分かるが、それを言い表す言葉は見つけられない。

今、大工を生業をしているK君とはかって短い期間だったが同じ釜の飯を食った。彼は古民家をはじめとして木造りの家に心を寄せ、研鑽している。彼が仕事として手がけた家をはじめ、それに付帯する仕事への取り組みなどについて、ブログから「木造り」の素晴らしさを学ばせてもらっている。

彼は、木が生かされ、木が喜び、木が役目を終えた後で再び息吹を与えようと工夫している。小さな端材にも生を与える工夫など、その発想に驚くことがある。それだけに原木買いつけ時のブログからは厳しい眼力と木への愛着を感じる。美術家の審美眼を感じさせる。

枝打ち、それは樹木の発育を促すため下枝や枯れ枝を切り落とすこと。特に、節のないよい材木を得るために行う作業。枝打ちの知識としてはこのくらいのこと。実際にその作業を目にしたことはない。ひと枝切り落とされるたびに、霧のようだがキラキラとした柔らかい光が薄暗い地面へ届く、そんな映像を見るといつも、いい光景だと嬉しくなる。

枝打ちされた杉の木を見上げながら、中山間地域の諸問題のひとつに林業の衰退があることを思い出す。彼は輸入材に頼らず、その土地の木を、その土地に活かすことが木の命を活かし、木を喜ばす方法という。材木の地産地消の基本かもしれない。心から木を愛する大工職のいることを、見上げている杉の木に話した。

(写真:この杉はどこに活かされていくのだろう)
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健康が1番 その2

2012年02月17日 | 生活・ニュース
ブログを休んでいる間、「病では」と何人かの人から電話やメールでお尋ね頂いた。ありがたいことと思いながら返信が遅れました。お知らせなしでこれほど休んだことは、パソコンの不調以外にはなかったと思い出す。病は気から、とよく言われるが、病は連鎖する、そんなことも経験した数日でした。

タイトル「健康が1番」の翌日からブログを休むことになった。「健康が1番」はアップの数日前、遠慮のない仲間との楽しい夕食会のひとコマだが、例年になく健康が話題となり印象に残ったので自戒も含めて書き残した。その翌日からブログを休むなんて全く思ってもいなかった。

病に罹ったとき体力が落ちていた、免疫力や抵抗力が弱っていた、ということはこれまで良く耳にしていた。それは普通で当たり前のことくらいの意識しか持たなかった。健康に絶対的な自信があったわけではないが「まあ、健康です」時には「健康なのが取り得です」という言葉になっていた。

今日の寒さを呼び込んだのはこの冬5度目の寒波という。朝からとぎれとぎれにだが小雪が舞っている。「ちょっと寒気がする」、そう感じたときは身体が何かを発信している、このたびの風邪などからそう感じた。小さくても身体が出すシグナルをしっかりキャッチする、当たり前のことを心がけろと教えられた。

訪問しているブログやメールは短時間ではあったが毎日見ていた。なにか打ちこみたいという気持ちはあったが、思うだけで終わった。こうしてキーが打てるというのはいいものだと実感をしている。少し気を引き締めていこう。

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健康が1番

2012年02月11日 | 生活・ニュース
           

現役のころから、冬と夏に高校のクラスメートと飲み会をしている。もう何十回集まったろうか。しかし3人が他界しメンバーは9人になった。うち2人は古希を超えた今も現役で働いている。働けるということは「いいこと」と讃える。集えば50数年前、木造校舎で学んだあの頃と同じで遠慮のない話しが続く。

今年は健康が話題の中心になった。見た目みんな健康そうだが、まあ、年相応に体調の気になるところや治療を受けているところがある。そんな中で、昨年I君と私の2人が大腸がんの切除手術を受けていた。Iは先月まで抗がん剤の治療を受けていたという。その治療の苦しさを聞き、それの必要ない自分に感謝した。

血圧、不整脈、前立腺、肥満など聞きなれた病名が出る。過去に胃と大腸がんの両方を手術をした仲間もいる。テーブルを見ると箸の運びも間のびを感じるし、酒量もかなり落ちている。考えてそうなっているのか、自然にそうなっているのか、後者の方が大きいだろう、残っている料理を眺めながらそんなことを思う。みんなどこかで自分の健康への思いが働いている。

すっかりなじみになったお店だが、最盛期のころとは客足が少ない。帰り際「皆さんいつもお元気で何よりです。この次をお待ちしております」と女将さん。話し声だけならみんな健康爺に見える。夏の集いを約束して解散した。

(写真:屋根の上でどんな会話をしているのやら)
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花粉症

2012年02月10日 | 生活・ニュース
                      

花粉症「植物の花粉が、鼻や目などの粘膜に接触することによって引き起こされ、発作性反復性のくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどの一連の症状が特徴的な症候群」と載っている。別名、枯草熱(こそうねつ)とも言われるそうだ。日本の場合はスギ花粉が抗原となる場合が多くスギ花粉症と呼ばれる。

訪問するブログのなかでその症状の表れた人もおられるようだ。症状の人を見ても、話しを聞いても苦しそうで、いつも気の毒に思っている。それでも治療法の進歩や予防効果で症状を抑えることが出来るとかで、報道では早くからの予防を呼びかけている。

気がかりなのは今年の花粉の飛散予報、全国的には「例年並みかやや少ない」らしいが、これは総括的な観測、日によって異なるだろう。花粉飛散の多いのは「雨上がりの後の晴れた日」と耳学問で残っている。先日、スギの木を見上げて感じたのは昨年は盛り上がるように付いていた花がダイエットしている。飛散量が少なくなるのでは、と思った。

飛散開始の時期はいつか、すでに始まっているようだが、本格的な飛散は今月中旬からという。飛散開始の日を予測出来る。その計算方法は「1月1日以降、毎日の最高気温を合計する。その合計が350度から400度位になる日」という。ちなみにこの地域では、今、330度くらいという。花粉症の方、ご注意ください。

スギの実を弾に見立ててスギ鉄砲遊びをした。弾の潤滑性を保ち、いち早く弾詰めできるようスギの実は口に含んでいた。スギ花粉の舞う下で走り廻ったが、花粉症の症状の子どもがいたことを思い出せない。どこかで免疫が出来ていたのだろう。

東北地方ではスギ花粉中の放射性セシウムの測定をされているようだ。心配するほどではないが含まれているという。東日本大震災から11カ月、原発事故の影響は思わぬところで現れている。早く収束して欲しいと願っています。

(写真:昨年よりダイエットしていたスギの実)





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赤と緑と思い出と

2012年02月09日 | 町かど
           

車では毎日のように通る道も、てくてく歩いてみると「おっ」という出会いや発見があり、思わぬ事で昔を思い出すことがある。今日はそんなひとつ。

かってはメイン通りでバスは走り、商店は軒を連ねていた。そこには大正時代の洒落た洋風建築のテーラーもあった。今は、バスの便数は1時間に1本、商店は指折り数えても両手に満たないくらに少なくなった。そんな通りに、公衆電話ボックスと赤い郵便ポストが並んで立っている。賑やかなころの名残だろうか。妙に懐かしい感じがした。

通信の雄として両者は国民から信頼された力を持っていた。しかし技術革新と時の流れに押しまくられてその姿を変えざるを得なくなった。そして模索が続けられているが、公共の名のもと難しい場面も多い。

高校時代にポストへ投函された郵便物を集めるアルバイトした。それだけにポストにはちょっと親しみを感じている。感じてはいるがそれの利用は孫へ送る新聞と、はがきでする投稿の月2回、不定期には何度か使うが多くはない。アルバイトの頃は丸い筒状のポストだけだった。

50代になって仕事で持たされた携帯、初めはめんどくさいと敬遠していたが、便利さと機能に魅かれ今も使い続けている。赤やピンクの公衆電話にはお世話になったものの、ここ何十年と公衆電話を手にしていない。そっと覗いたボックスの中は綺麗に整理されていて、なんだかほっとしたのは何故だろう。机の引き出しにテレカが何枚か残っているがそのままにしておこう。

(写真:赤と緑、どんな交信をしているのだろう)

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公園で

2012年02月08日 | 生活・ニュース
           

公園の隅っこにある蛇口から、ポトポトポト、ポトポトポト、と止むことなく忙しそうに水滴が落ちている。凍結防止、いや防寒の装いは何も受けていない。寒かったろうと思いながら栓をねじるも動かず、水滴は落ち続ける。

大寒波が上空にあるという昼前の公園には誰もいない。夏場なら汗を拭い、顔を洗い、のどの渇きをいやすため多くの人に使われているのだろう蛇口。今はしょんぼりとしているというか、寒くて鼻水を垂らしているようで、ちょっとかわいそうに感じる。

その蛇口を眺めながら「恩したるは忘れよ、恩得たるは忘るる事なかれ」という言葉を思い出した。恩着せがましいことはせず、お世話になったことは忘れるな、という私でもわかる戒め。蛇口は、公園でくつろぐ人らの暑さを癒したことは忘れ、いま有るに任せている姿は人にも通じるようだと。

そんな蛇口の少し上では桜のつぼみが陽を受けている。無数についているつぼみはまだしっかりとした硬さに見えるが、春の訪れを合図している。立春は過ぎた、この寒波が遠ざかれば多少は春めいてくれるかも、ちょっと冷たい風が、まだまだと通り過ぎた。

(写真:恩したるを忘れた蛇口)
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酒粕はかすにあらず

2012年02月07日 | 生活・ニュース
           

酒粕、昨年末に同好会の酒屋勤めメンバーさんからたっぷり頂いた。それは柔らかい、ということは残留液分、つまり酒分が多く含まれていることになる。店頭のべニア板のような品とは比べものにならない匂いがする。酒粕は、清酒の醸造の際のもろみを圧搾した後に残る白色の固形物だ。

我が家はこれを粕酒にして頂く。作り方は簡単、といって実際は家内の手にかかる。すぐに火にかけ溶かすより、水にしばらく浸しておくと溶けやすく、柔らかくてとろりとした仕上がりになるそうだ。好みの甘さになるよう砂糖を加えて仕上がり。熱いそれにおろし生姜を加えて飲んでいる。

熱い粕酒と生姜が作用し身体の内から温もりを感じる。風邪気味の時の特効薬となった経験は何度もある。これを飲んだ後は車の運転をしていない。いつだったか、豚汁の味噌の代わりに酒粕を使ったものを頂いたことがある。これも芯から温もりを醸し出したように思う。発酵食品は身体にいい、酒粕も色々な所で食を生かしているのだろう。

粕酒を飲むと、酒の味など知る由もない子どものころ見た造り酒屋のひとコマを思い出す。歴史を紡いだ天井がすごく高い蔵、大きな大きな木樽。回収した一升瓶を1本ずつ手洗いする。洗い終わった瓶を逆さにし底をくるくると回す。すると渦を巻きながら勢いよく洗ったに水が流れ出る。それが面白く下校時立ち止まって見ていた。今、あの渦巻きは応用している。

酒類の多品種化、自由化などの一因だろう、身近にあった造り酒屋が何軒も店を閉じた。すると独特の煙突は不要の長物となり取り除かれ、古くから伝えられてきた町の歴史のひとつが消えて無くなるさびしさを感じる。今、新酒の仕込みまっ盛り、日本の味日本酒、長く栄えて欲しい。

(写真:熱々の粕酒、すりおろしの生姜を入れる)
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止まれ

2012年02月06日 | 生活・ニュース
           

還付金や振り込め、あるいはキャッシュカードなどに絡む被害があとを断たない。その被害者の多くが高齢者という。どこから高齢者という情報が漏れ伝わるのか知れないが、被害額はどの事例も高額。年金額の数年分、老後のため、子や孫にと貯えられた超高額な被害も報道される。

先日、交番だよりでこうした詐欺手口の例示があった。「オレ孫、風邪で声がおかしい、携帯の番号が変わった」間をおいて「借金の返済、妊娠させた、会社の金を使い込んだ」などの理由で「今すぐ金がいる」とせき立てて振り込ませる。

「還付金があります、あなたの口座が犯罪に使われた」などの理由で「訪問してきてキャッシュカードを騙し盗る」など手口は様々のようだ。こうした電話のときは周りの人へ必ず相談するようPRされているが、被害は後を絶たない。振り込んだ後で孫に確認して騙されことが分かった事例もある。振り込む前に孫へ電話しよう。

我が家にはこの類の電話はまだかかってこない。最近はカタカナやアルファベットを用いた会社名で「光回線の使用料が大幅に安くなります」という勧誘電話。聞いても理解できないのでキッパリと断る。電話の切り方がなっていない。契約しなくてよかった、と安堵する。

高齢者の交通事故被害も多い。止まるところでは止まって、それから進もう。それが事故や被害にあわない第一歩。年取ったから、それを自覚しながら歩んでいこう。

(写真:先日、一旦停止しないため事故が起きた裏道の交差点)
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キンカンのころ

2012年02月05日 | 回想
           

この冬、とうとうメジロなど野鳥が庭へ姿を見せなかった。野山に餌が豊富だからというのなら安心だが、個体の大幅な減少が原因かもしれない、そんな話も伝えられる。今年の厳寒、雪国の人は何とか切り抜けられている。野生の生き物には異常な自然の厳しさには抗すべき術がないのだろう。

鳥たちが来ないお陰で庭の赤い実、例年ならほとんど食べつくされているがそのまま残っている。ミカンの輪切りにも寄ってこなかった。車に轢かれているカラスを初めて見た。何か異変がありそうだ。

収穫されないまま冬空の飾りになっていた柿も大方土に還った。いま、こんじき色のかわいい実が鈴なりに生っているのはキンカン。あちこちで見かける。キンカンの加工品は多いと聞くが、まだ獲りいれた様子はない。キンカンは金柑と書くのが正しいが金冠と書いて縁起がよいものとするそうだ。縁起物なら生りっぱなしは勿体ない。

露地栽培のキンカンは今ころが1番の食べごろという。食べ方はいたって簡単、水洗いして皮ごとそのまま口にする。子どものころ、効能など知らぬままに遊びの合間に断ってもいで(取って)いた。ビタミン豊富、カルシュームもたっぷりとか。風邪で休校など覚えにないのはキンカンのお陰があったのかもしれない。「子どもは風の子、大人は火の子」こんな時代は終わったのだろうか。

(写真:何千個も生っているだろうキンカン)

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