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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

裸 木

2012年01月21日 | 自然 季節
           

こがね色の葉を誇らしげに着飾り秋空にそびえていた銀杏の木。そんな姿を忘れたかのようにひと葉も残さず散らし、どんよりした空に枝を伸ばしている。

こんな裸は「ちょっと寒い」と風に揺れる小枝がそっとささやいた。こうなるのは「来る春の芽ざめの準備」だと少し大きな枝が言って聞かせる。

季節が来たら教わらなくても、昆虫の脱皮のように豪華な衣装を脱ぎ辺りをその色で飾る。ひらりひらりゆらりゆらり、舞いながら落ちてくるこがね色の葉、それをつかもうと、両手をあげてあちらにふらりこちらにふらりと走りまわった。

高いこずえを見上げながら思い出していると「外で遊ぶ子どもがいないから寂しい」そんなひとり言をつぶやく翁のような銀杏。

今日は大寒、1年で寒さが最も厳しいという。大陸の発達した寒気団が南下して来るという予報を受け、今冬1番の寒さを予報士は解説している。銀杏の小枝にはもう少し我慢をしてもらおう。
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当て逃げ

2012年01月20日 | 生活・ニュース
           

昨年の当市の交通事故総数は4200件あまりで昨年より少し増加した。「死者数、人身事故発生件数、負傷者数は減少したが、物損事故発生件数は増加した」とポリスメールで総括されている。

交通事故で高齢者の係わる事故が被害でも加害でも増加しているので注意を、という報道は多い。また、いまだに飲酒運転で司法の世話になるドライバーの多さにも驚くが、それに関連する事故の大きさへの認識不足にもあきれる。

片側1車線の直線道路。交差点から10台目くらいのところで信号待ちで止まっていた。その前方10mくらいのところで、女子高校生が広い歩道から車道に降りた。左手にカバン、右手に携帯、その携帯に夢中なのは見ていてわかる。少しずつ停車中の車に寄ってくる。

ついに私の車の左前方に彼女の衣服が接触した。ことの過小は抜きにして正面から女子高生は私の車に当たってきたことになる。が、顔も上げず携帯を見つめたままた何事もなかったかのように通り過ぎた。通り過ぎるとき気づいたがイヤホーンも付けていた。

近寄ってはくるがあたってくるとは思わなかった。想定外という言い訳や言い逃れが使われているが、止まっているので避けようがなかった。クラクションで教えてやればよかったかも知れない。女子高生にも交通安全への自覚を促したいし、携帯の使い方、もう一度おさらいをしてと願う。

少し変わるが高校生のこと。先日、我が家の前で男子高校生と軽自動車の絡む事故が起きた。高校生が一旦停止の標識にしたがっていれば防げた事故だった。自転車は車両扱いということをもう一度教えよう。

(写真:女子高生に当て逃げされた交差点)
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同人誌花水木の6号

2012年01月19日 | エッセイサロン
           

我ら同好会の「エッセイ同人誌 花水木」第6号が発刊出来た。出来たといえばいかにもそのための助力や支援をしたと誤解を与えてしまう。発刊の実務は同人代表のOさん一人の手によることをまずお伝えしなければならない。紅白を見るでなく聞きながら、年を越されたという。まず感謝の気持を持ってページを開いていこう。

A5版180頁あまり、掲載作品は会員が昨年1年間に新聞へ投稿し採用された110編。1号から変わらない紺色の表紙とデザインは定着し、会のシンボルになった。編集は「はがき随筆」の1作品が1頁に収まるよう工夫してある。はがき随筆の字数は252字。会員はこれに照準を合わることを第1目標としている。

その「はがき随筆」への掲載は110編の半数に達する。これは独断の予測だが、わが同人の「はがき随筆」の年間採用数は県内全掲載数の1割を占めているのではと思う。ますます精進しなければ、と襟を正す。

投稿を始めて今は6年目の中ほど。昨年はせっせと書いて投稿をした。掲載された作品はこれまでで最も多くなった。うれしいことは「はがき随筆」で6編掲載されたうち入選1位1編、佳作に3編選ばれた。昨年の大きな成果として記録しておきたい。これを励みに、少しは実のあるものを書いていきたい。

(写真:鮮やかな表紙の花水木6号)
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観光地での忘れ物

2012年01月18日 | 地域
           

年長組くらいの男の子が、母親にペットボトル用のごみ箱を確認して飲み干した空容器を入れた。落ちた音を確認するかのような男の子の仕草が何かうれしかった。名勝・錦帯橋付に近設けられたごみ箱のそばでの情景。

なんでもない情景に見えるが、小さな子どものこうした行いをまね出来ない大人も多い。錦帯橋から吉香公園一帯は、年間100万人近くの人が訪れる四季を通じての観光スポット。その一帯を散歩するとき、ごみを集めて歩かれるシルバーの方を良く見かける。空の収集袋は見たことがない。

「旅の恥は掻き捨て」という慣用句がある。誰も知っているその意味は「旅先では知った人がいないから、どんなことをしても恥辱にならない」ことという。そんなことはない。楽しい旅先にごみを散らかせて、旅の何が面白かろうか、と言いたい。

「来たときよりも美しく」という標語は良く見かける。ごみ箱へ空容器を投げ込んだ小さな子どもの仕草、親から教えられ躾られたのだろうか、嬉々としたその顔に金メダルを贈りたいと思った。子どもを見送ったあと、なんだかいい気持で散歩を続けた。

(写真:子どもが空容器を投入したごみ箱、周辺も綺麗だ)
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私はプロです

2012年01月17日 | 生活・ニュース
                      

先日、永世棋聖の米長邦雄氏がコンピューターと対局される、ということを書いた。前半は米長の作戦通り優位な戦いで進んだが結果は113手で米長の負けとなった。この一戦は「将棋電王戦」と題された。引退しているとはいえ、男性プロ棋士が公の場でコンピューターに敗れるのは史上初めて。

完敗を認めた米長は、コンピューターの実力を「大山康晴と指した感じです」と評した。名人18期など、歴代1位のタイトル獲得数80期、受けの棋風で一時代を築いた伝説の棋士の名前を挙げ、賛辞を贈った、と報道されている。

現役のころ社内講演会の講師に「第15世名人 大山康晴氏」を招いた。講師には迎えとお見送りとお土産は必須と思っていた。それまでの講師がそうだったから。だが大山氏は違った。「私はプロです。お受けしたからには約束の時間に会場へ伺いします」と迎えは必要ないと断られた。講演終了後休憩され、手荷物だけ持って一人で駅へ向かわれた。地方にある一企業の工場へ一人でお見えになった事に驚いた。

棋界のランクは良くわからないがA級を守り続けるのは至難の事とある。名前だけは知っている中原誠や米長邦雄なども途中でA級から落ち戻れなかったとある。そのA級を大山は45年間、癌で歿する69歳まで守ったとある。

「私はプロです」、その言葉の実感を今も忘れていない。

(写真:倉敷市にある大山名人記念館 ネットより)
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おもちゃ

2012年01月16日 | 生活・ニュース
           

市民支援センターで「おもちゃ交換ひろば」のおもちゃを寄付してください、と呼び掛けている。29日開催の市民活動カフェで使われるらしい。

息子の使わなくなったおもちゃはかなり整理した。それでも甥や姪の子どもらの使えるものは持ち帰ってもらったりしてだんだんその数を減らした。やがてその子らが来宅した時のために残していたものも不要になり、整理した。そんなことでもひとつ思い出した物がある。

木製の箱に収めた、円柱や三角柱、直方体ど40個くらいの木製の積み木セット。箱には車がついており引っ張っても遊べる。もう40年以上もまえの品。それでも色は褪めておらず、白木のそれは年月を思わせる渋い色に変わっているが木目はハッキリしている。

家の形に積み重ねる。子どもの小さな手でもひとはらいすれば崩れる。それが面白くて息子は笑う。次は連結した電車のように並べる。これもひとはらいで脱線、また笑う。1本の高い棒状に積む、終わらぬうちに倒れてまた笑う。そんな思いが詰まった木箱のセット。

同じところからお手玉が出てきた。これは帰省した孫娘が遊んだもの。それで曾孫が遊ぶのはいつだろうか。そんな連想が続く。プラ製品にはない趣きを感じるし、怪我することなく遊べる昔のおもちゃ。木や布のおもちゃ、復活することがあるのだろうか。

(写真:再び仕舞ったお手玉)
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どんど祭り

2012年01月15日 | 地域
           

今日は町内の、しめ縄や書初めなどを燃やし今年の運勢をうらなうどんど焼きが広場で催された。自治会の主催で報道で見るような派手さはないが、地域コミュニティーとして役割を担っている。近くの高齢者施設からも毎年見学に見える。楽しみにされておられるのだろう。それを考えると行事の意味は大きい。

青竹で作られた棚に積み重ねられた正月飾りの数々が点火とともに燃え上がる。点火した年男年女10数名が急いで後へ下がる。例年の見慣れた点火の瞬間だが歓声ともに拍手が自然に起きる。過ぎた年の災いを払い、今年の勢いある運勢を約束してくれるような炎に手をかざす。

昨年、日本は東日本大震災をはじめ新燃岳の噴火や紀伊半島の豪雨や台風による水害など、多くの自然災害に見舞われた。そうした災害のつど地域の絆の必要せいが強く指摘された。顔見知り、ひごろ言葉を交わすことは大切だが、より深いか係わりが必要と言われている。

地域の催しへ無関心でも毎日の生活には大きな支障をは生じない。しかし、いざという時の近隣の助けは何にも変えられない力となる。町内の催しで顔見知りなることがその一歩だと考える。風もなく真っ直ぐに燃え上がる炎から今年の元気をもらった。



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タロ・ジロの日

2012年01月14日 | 生活・ニュース
           

今日は「愛と希望と勇気の日」とされている。

「南極に取り残された観測隊のカラフト犬「タロ」と「ジロ」が、1959(昭和34)年の1月14日、約1年ぶりに生存が確認されました。この2匹の勇気をたたえ、生きることへの希望と、愛することの大切さを忘れないために制定」された。また「タロ・ジロの日」とも呼ばれる。

昨年10月から12月まで放送されたTVドラマ「南極大陸」は平均18%の視聴率を得たという。セリーグのクライマックスシリーズや日本シリーズ中継で放送時間が変更になった。子どもが楽しみにしていたが、遅くなるので録画で見せたというお母さんもおられた。

TVドラマを見ながら思い出していた。それは昭和33年の国際地球観測年観測に備えて日本が送った予備観測隊の記録映画。観測船「宗谷」と随伴船「海鷹丸」が東京港を出発し以来4万4千余キロの大航海を終えて帰港するまでの記録映画。「昭和基地」建設を最大の目的した一部始終、齢を重ねてとぎれとぎれになるが、感動したことは記憶している。記録映画を観たのは高3のとき。そこにはまだ15匹の物語はない。

TVドラマを見ながら気づいたことがある。記録映画では、観測隊員と宗谷乗組員が酷寒の中での任務遂行の姿を感動しながらも見るだけ終わった。本当は敗戦から立ちあがり世界へ羽ばたき仲間入りしようとする日本の姿をくみ合わせていれば、感動のしかたも違っていただろう。

昭和基地が建設され55年。観測船は4代目。現在、30名が第52次越冬隊員として極地観測にあたっているという。日々の生活では忘れているこうした任務の人々のことを思い出さる「今日は何の日」を教えてくれた人に感謝。

(写真:タロとジロ、稚内市社会教育課HPより)
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押しくら饅頭

2012年01月13日 | 回想
           

つめたい北風の日、川面に波が立っている。その波は、川の中は冷たい寒いといいながら水同士が押し合いへし合いしているのだろう。
ふと懐かしい遊びを思い出した。
    
    子供のころ寒いときに 押しくら饅頭をして遊んだ
    泥んこの子供どうし 何の遠慮もいらなかった
    ただ描いた丸の中から押し出せれないように とにかく頑張った

    手は腕組みをし背中で押し合いう それがルール  
    小さな子は上学年が かばうように押し合う
    これで体はぽかぽか みんな仲良し

    押しくら饅頭押されてなくな と歌いながら遊んだ
    北風や木枯らしが吹いても 寒くなかった
    みんな元気で明るく カゼ知らず

子供どうしが遊ぶことがないというから、こんな遊び途絶えているのだろうか。小さな広場があればどこでもできる。暖房は要らず、体力はつき、お腹はすかして食事も進む、寒いこの季節お勧めしたい。 
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110編

2012年01月12日 | エッセイサロン
                   

1週間後、同人誌「花水木」第6号を手にすることが出来る。昨年1年間、会員の投稿で新聞掲載された全編が収録されている。今回は110編。

編集は会の代表Oさん。掲載が大晦日にもあり紅白を聞きながら編集に取り組まれたと伺っている。100頁を越える読み応えのある6号になっているだろう。創刊号のとき「2号が出せれば後は続く」そんな話を関係者から聞いた、と代表から聞いていたが、その3倍の号数になった。

発会から少し遅れての入会だったが6年目に入った。毎月の例会の学習が会員のいいところを引き出していく。自分に置き換えれば「学ばせてもらっている」ことになる。会員の日々はそれぞれ、その視点や経験から来る作品への感想は新しい気づきになる。これからも大切にしたい。

採用率は入会当初に比べ少し高くなったが選者の評を得るとこまでは遠い。6号の「まえがき」でどんなこの1年の総括が示されているのか、楽しみにしてる。

(写真:H23年の個人別掲載紙別一覧)

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