
例年、庭の木の実を食べにやって来る野生のメジロやヒヨなど小鳥たちが来ない。待ちぼうけの時間を使って小鳥達への思いを綴った知人のブログ。添えられた写真を見ると、小鳥達のために精根かた向けられた実りの証が伺える。待つその気持ちが分かる。
同じように我が家にも姿を見せない。東日本大震災の余韻が野生たちの行動を縛っているのだろうか。それとも山野に餌がふんだんにあるのだろうか。この冬は南天の枝が深く弓なりに下がるほど実のっている。柿は豊作の影響か収穫されなかった実が多く残され、熟している。散歩の道すがらに幾本も見かけるが、小鳥の突いた跡が見えない。
赤い鳥 小鳥 白い鳥 小鳥 青い鳥 小鳥
なぜなぜ赤い なぜなぜ白い なぜなぜ青い
赤い実を食べた 白い実を食べた 青い実を食べた
これは北原白秋作詩の「赤い鳥 小鳥」。目にする木の実の色を見ていると歌の意味をすんなりと受け入れられる。そして口にも出せる。こんな空想がどうして出来るのだろう。黄色い鳥も黒い鳥もと続けられそうだ。
野にふんだんに餌があるから来ないのなら良しとしよう。狭い庭を木の実がにぎわせる。自然界の何かのなせる術で近づかないとしたら不吉だ。これから寒くなるという。もう少し小鳥たちを待ってみよう。
(写真:小鳥を待っている熟した柿の実)