日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

薪のある風景

2010年02月18日 | 町かど
               

この地方にLPガスが普及し始めたのは昭和30年代の初めころ。それまでの家庭用燃料の主役は薪(まき)。薪は雑木や伐採して用材にならなかった捨木を切り、斧で割って燃料にした。

どこの家にも軒下に薪が積み上げられていた。特に冬前にはひと冬分のそれを準備するので子どもながらも手伝っていた。祖父は積み上げた薪を眺めながながら「気持ちが明るくなるのう」、と煙管をまわしていた。

昔から薪も取り扱う店の軒下に、割り目も新しい薪の束が、昔のままの積み上げかたで並んでいる。この頃は家庭燃料に薪を使う家はないだろう。どこへ買われていくのだろう。どんな人が何に使っているのだろうかと興味がわく。小さな町にはまだ懐かしい風景が見られる。

(写真:割り目も新しい積まれた薪の束)              
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アーク灯を灯した人

2010年02月17日 | 町かど
             

藤岡市助は1857(安政4)年に生まれ、養老館、岩国英国語学所で学び、東京の工部大学(東京帝国大学工学部の前身)に入学した。在学中の1878(明治11)年3月25日、日本初のアーク灯を点火した(後にこの日が電気記念日となる)、卒業後同校教授となり、大学教育、発電機の発明、学会創立など科学者として目覚ましい、活躍をした(記念灯掲示板より)。

養老館は現在、岩国学校教育資料館として岩国小学校の運動場に隣接した場所にある。私の小学校時代には保健室に音楽室、給食の調理室などとしてお世話になった思い出の校舎の1部分に当たる。県の指定有形文化財に指定されたここには、市助の業績を紹介する常設のコーナーがある。

その玄関横に「日本の電気界の父」と仰がれ「日本のエジソン」と親しまれた博士の偉業をたたえるためアーク灯が設置されている。夜ともなればオレンジ色の明かりが養老館を初めとするその周辺を照らす。温かい感じのする灯りは通りがかる人が見上げるほど明るい。

あと1カ月もすればそばの桜が花開く。咲くとその色の美しさを一段と増すアーク灯、今は寒い星空に何か文明の信号を届けているようだ。

(写真:市助を讃えるアーク灯、後ろの建物は旧養老館)



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霧の朝

2010年02月16日 | ウオーキング 散歩
               

夜霧のブルース、霧にむせぶ夜、俺は待ってるぜ、夜霧の慕情、夜霧よ今夜も有難うなど石原裕次郎は霧を多く歌っている。今様のカラオケのない時代にも、裕次郎フアンでなくても歌った。

裕次郎の歌う大都会の霧はぼんやりと霞んだ独特の哀愁を帯びている。言葉にすれば静のひと文字。それに対して山の霧は大きな塊になって襲い来て視界を奪う。静に対して動がふさわしい。朝ウオークで出会う山の霧を眺めてそう感じる。

薄墨をぼかしたような川霧は錦帯橋付近の川面。喧騒を止め動きを忘れたかのようで気持ちが和む。朝ウオークへのご褒美かと眺める。といって、そればかりではなく、橋全体を覆う霧はうねりながら、時には橋を渡るようにも動く。それもまたいい。

雨上がりの冷え込む朝は、霧の変化を楽しみながらウオーキングしている。

(写真:川面の半分にたたずむ川霧と霞む向こう岸)
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文化財の保護

2010年02月15日 | 町かど
               

城下町時代を偲ぶものは伝統芸能や建築物が残されているくらいで、町の様子は時代の波に遅れないようにと変わりつつある。人が伝えていく踊りや祭りは、その地域皆さんの伝統を守る意気込みで今も目にすることができる。

400年前から続く南条踊がある。吉川元春は容易に落ちない羽衣石城を攻撃するにあたって、一計を図った。強兵を選りすぐって踊り子に仕立て、羽衣石城に踊り入らせ、南条方の油断をついて切り込み城を攻略した、吉例〈きつれい、めでたいしきたり)の踊りとという。春の錦帯橋祭りでその落ち着きのある舞が観光客を喜ばせる。

歴史上の貴重な建築物として文化財的調査がされながらも放置されているものもある。大きな門は傾き、その屋根はブルーシートで覆われ、門内は背丈以上の雑草が茂り家屋を隠す。建物の屋根は落ち、崩壊寸前に見える。財政難からか、これを改修する事は忘れ去られているようだ。

世間の進化に遅れまいとすればどうしても目が向かなくなる部分になるのだろう。ましてや人通りの少ない裏通りの建物に関心を示す人は少ない。崩れかかった厚い土塀に哀れを感じながらもなす術の無いことを詫びる気持ちで通り過ぎる。

(写真:哀れを誘う崩れかかった土塀)
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ひいきなもん

2010年02月14日 | 生活・ニュース
               

「NHKのど自慢」は、1946(昭和21)年1月の放送開始というから60年以上続いている長寿番組である。発案は紅白歌合戦も企画したプロデューサーで、軍隊時代に経験した余興にヒントを得たという。かっては地方色豊かな出場者も見られたが、最近はそれらは少なくなり「プチ東京風」に変わった。これも時代だろうか。

そんなのど自慢、今日は岩国から生中継、オリンピック放送で30分遅れで始まった。知人も登場予定であったが、上手すぎて昨日の予選でことわられ、ちょっと寂しい放送となった。それでももしや知った人が、と思いながら終わりまで見た。何年ぶりだろう。

沖縄のお婆ちゃんへ、ブラジルの義母へと心を込めた歌唱に鐘の乱打。金婚式の母への歌も鐘三つ。親子が別々に出場など、偶然でないような偶然も演出されている。終わってみれば放送時間を短く感じる。よくいう「ひいきなもん」とはこんなことをさす。

9歳の女の子の歌が上手すぎて鐘を鳴らすのを忘れたというエピソードもある。その子が後の美空ひばり。古き時代には歌手登竜門のひとつにもなっていたのだろう。歌は心に通じるという、歌のある限りこの番組は続くのだろうか。

久しぶり素人の熱唱を聞いた。歌のうまい人はいいな~、と思いながら改めてうまくない自分を慰める。

(写真:岩国からののど自慢のフィナーレ)
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私が感動したこと

2010年02月13日 | 生活・ニュース
           

暖冬と予測された今年の冬、厳しい寒さの日も経験した。このところ寒暖を繰り返し、そしてひと雨ごとに草花の芽吹きを助ける。花の便り多くなり春が近づいるようだ。

受験や就活中の皆さんには「春が来た」は禁句かもしれない。しかし、雪の北陸から受験生を助けた嬉しいニュースが届いた。

埼玉県の女子中学生が、日本航空石川高校の 推薦入試で輪島市に向かう途中、大雪による列車運休で足止めされながらも、 母親と300キロ余りをヒッチハイクして試験会場にたどり着き受験、合格した。

生徒は航空自衛隊のパイロットを目指し同校を志望した。1月17日の推薦入試を受けるため、車中泊の予定で前日に埼玉県の自宅を出発。 新幹線と北陸本線で石川県に向かったが、16日深夜、新潟県のJR長岡駅で乗り換え予定の夜行列車が大雪で運休。吹雪の中、困惑した母子は ガソリンスタンドなどでトラック運転手らに声を掛け、長岡市から輪島市まで 300キロ余りをヒッチハイク。17日午前、試験開始10分前に会場に着いた。

新潟県内で乗せてくれたトラック運転手の男性は「うちも同い年の受験生の娘がいるから」と高校正門前まで送り届けてくれたという。入試の作文は偶然にも「私が感動したと」。生徒は運転手に助けられたことや母への感謝の気持ちをつづった。 結果は合格だった。

(写真:自然は地道な努力をすれば芽吹くと教えてくれる)
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雛まつり

2010年02月12日 | 町かど
               

観光もひとつの産業とする地域には古い町名を使うこともある。地域以外の方には分かりづらいところもあるが、子どものころから親しんだそれは身にしみている。「どのあたり」とすぐにわかる。

材木町、寺町、鍛冶屋町、魚町などはそのままに伝わる。扇町は地域がそんな地形になっているからとこれも分かりいい。柳井や玖珂という町名はその地から商人を呼んで商売をさせたという。

登富町は豆腐や食料品の商いの盛んな町、塩町はもと塩座があったところからきている。こうしたた町名の中心は大明小路。もともとは大名小路で岩国城下の大手通りであり、昔は武家屋敷ばかりの侍町だった。

こうした城下町らしい町名の残る通りの古い家の軒に赤い幟がたっている。恒例になったおひな様の展示が人を呼んでいる。品定めの力はないが何れも古くて格式のあるように見える。散策のときお立ち寄りください。3月末までです。

(写真:ズラリ並んだひな飾り)
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かっては銀座

2010年02月11日 | 町かど
               

広い駐車場を備えた大型店舗を核とする商業施設が、歴史ある商店街の勢いを衰えさせた、という説にはうなずくところがある。商店街が対抗できなかったそれなりの訳はあるのだろうが。

そんな一つが錦帯橋付近にある。その商店街は本町といい、1丁目から4丁目まで分かれている。かっては本町を銀座と置き換え目だつ横断標識も掛かっていた。えびす祭りには多くの屋台と人出で動けないほど賑わった、子どものころの思いである商店街だ。

ご他聞にもれず閉じたシャッターと解体された空き地の駐車場が目だつようになった。城下町だったこともあり各家や商店の間口は狭く奥行きが深い。さらに道幅の狭いこともあり、素人目にも活用の難しさを感じる。

再興の運動も始まっているが、商店街として集客のための駐車場を持っていないことが最大の難点といえよう。周辺には古い建築様式の町屋や商店も残っており、散策も楽しめる商店街への転換を思うと、車時代に応じた施策がまず望まれる。

(写真:かっての銀座1丁目から4丁目方面を望む)
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雨上がり

2010年02月10日 | 地域
               

明け方小雨に変わった雨がようやくあがった。錦帯橋の屏風のような城山に霧がたなびく。傘を持った観光客の人たちが「きれい」「いい眺め」などと話しながらシャッターを押している。添乗のガイドさん「めった出会えない景色ですよ」とうまい事をいい観光の人たちを喜ばせている。こんな上手は許される。

城山のいただきにある岩国城は霧で見え隠れしている。錦帯橋下の観光用駐車場、車の数がいやに少ない。そのせいか、みやげ物店も暇そうに見える。餌をとる川鵜の姿が今日は見えない。どこで過ごしているのだろうか。

錦帯橋は木橋。こんな日は木材のしっとりとした質感がなんともいえない。建て替えのとき黄金色をしていた新しさ、数年を経て以前の重厚さを取り戻しつつある。橋の袂の山茶花、雨に濡れた花びらが重たそう。桜へのバトンタッチを待っているように思えた。

(写真:雨上がりでしっとりしている錦帯橋)
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頭にハートマークの白蛇

2010年02月09日 | 地域
               

天然記念物のシロヘビの赤ちゃん、その頭頂部にハートマークがくっきりと入った子ヘビが話題になっている。

シロヘビは青大将の突然変異(白化現象)で生まれた。全体がクリーム色または白色をしており、成長すると180センチ、胴回りは15セン、目はルビーのような色をしている。

天然記念物は許可を得なければ捕獲も飼育もできないよう法律で定められている。岩国市ではこれらの保護が進められ、あわせて7カ所の飼育所と観覧施設で見ることができ、観光客必見のひとつです。

昨年、飼育場で生まれた子ヘビは約300頭(学術上1頭、2頭と数える)、その仕分けの作業で見つけた頭頂部のハート模様、飼育員も驚いたという。今は冬眠から覚めたばかりで、体長40センチで重さ14グラム、週に1回二十日鼠の子を餌さとしてもらっているそうだ。

生まれたばかりのシロヘビは、全体が赤茶けた縞模様が沢山ある。年に3~4回くらい脱皮を繰り返し、3年くらいで大人になり白くなる。脱皮のたびにハートマークも薄くなっていく。

シロヘビは商売繁盛、開運の守り神と言い伝えられ、住民から愛護されてきた。そこへ、ハートマーク入りの子ヘビ誕生で「恋の神様」になるかも知れない。この子ヘビの観覧は14日、バレンタインデーまで、思い当たる方はぜひ今津の白蛇神社まで。ちなみに「ラブちゃん」&「旭くん」のペアーで待っています。

(写真:くっきり浮ぶハートマークをつけたラブちゃん)
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