夜霧のブルース、霧にむせぶ夜、俺は待ってるぜ、夜霧の慕情、夜霧よ今夜も有難うなど石原裕次郎は霧を多く歌っている。今様のカラオケのない時代にも、裕次郎フアンでなくても歌った。
裕次郎の歌う大都会の霧はぼんやりと霞んだ独特の哀愁を帯びている。言葉にすれば静のひと文字。それに対して山の霧は大きな塊になって襲い来て視界を奪う。静に対して動がふさわしい。朝ウオークで出会う山の霧を眺めてそう感じる。
薄墨をぼかしたような川霧は錦帯橋付近の川面。喧騒を止め動きを忘れたかのようで気持ちが和む。朝ウオークへのご褒美かと眺める。といって、そればかりではなく、橋全体を覆う霧はうねりながら、時には橋を渡るようにも動く。それもまたいい。
雨上がりの冷え込む朝は、霧の変化を楽しみながらウオーキングしている。
(写真:川面の半分にたたずむ川霧と霞む向こう岸)