
就職して初めて買った高価な品は初任給3ヵ月分ほどのコニカの一眼レフ、135mmの望遠レンズが宝物だった。フィルムの時代でそれは白黒。シャッターを押すと「パシャ」という軽い音は今も耳の奥にある。
現代はデジカメ様々の時代、フィルム用カメラのチラシすら見かけない。デジカメの便利さ使いよさが受けている。パソコンで加工できることも時代にマッチし重宝されている。
フィルムに現像と焼付の代金を心配しなくてよいデジカメは、猛烈な勢いでシャッターが押せる。嫌な写りはその場で消去し必要なものだけが残せる便利ものでもある。
「ある人、弓射ることを習うに、諸矢をたばさみて的に向かう。師のいわく、初心の人、二つの矢を持つことなかれ、あとの矢を頼みて初めの矢になおざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定べしとおもえ」と言う。中2のとき暗唱したうる覚えの徒然草。
今朝4時過ぎ、錦帯橋もその背景の山も眠っている。その眠っている山の頂に刷毛で書いたような白い雲がかかっている。撮ってやろう、デジカメの感度を変えシャッターを押しているとき、先の徒然草が浮んだ。
やみくもにシャッターを押せば良いというものではない、構図はこれだ、この1枚だという気概を持って押せ、そう諭された。すでに10枚は撮っていた。
そう言えば、フィルムのころは無闇やたらにシャッターは押さなかった。思えばコスト意識が働いていたのか、単なるケチだったのか。十六夜の月が笑っていた。
(写真:稜線にかかる白い雲の帯)