日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

紅梅の下

2015年02月26日 | しっちょる岩国


 関ヶ原の戦いは東軍が勝利し徳川家康が権力を握った。対した西軍の総大将は毛利輝元、輝元の有力武将である吉川広家は参謀として参じた。西軍の敗戦、その後の領地没収などの曰くは長編小説になるので別の機会にしよう。家康は輝元に周防・長門の2国を与えるとし、広家は岩国に居城することを申し渡された。以後、岩国は吉川家が治める城下町として発展していく。その吉川家墓所が吉香公園の紅葉谷入り口にある。

 墓所は常に静寂な雰囲気を保っている。ここには、藩主吉川家の12代まで(6代経永)を除く当主及び一族の51基が並んでいる。ここは、3代広嘉、4代広紀の眠る「寺谷のお塔」、そこを少し登ると初代広家、12代経幹画」眠る「山のお塔」に」別れている。ここには「みみずくの手水鉢」や「誰が袖の手水鉢」など芸術品としても高い評価の彫刻がひっそりと佇んでいる。墓、石灯籠、手水鉢などは史跡に指定されている。

 その墓所近く、ロープウエイ山麓駅から歩いて2分のところに杉木立に囲まれた臨時駐車場ある。その入り口に1本の大きな紅梅が生えている。咲き誇ったときの姿は何年も見続けているがちょっと誇れる1本と思っている。咲き始めるとカメラ愛好家の咲き始めた、2分開いた、3分咲き、など腕を振るわれた写真とともに発信される。出不精者にも香りはしないが様子だけは知ることができる。見ごろですし、お出かけください。

 花もいいが、この紅梅を引き立てているのが根元にある崩れ落ちている土壁の姿。女性カメラマンが「この壁があるので毎年来ます」と言わせるほどの存在感がある。古くて、崩れていて、それが好かれる、世の中にそれほどは無いだろう。土壁、補修するが良いのか否か、撮る人の姿を見ながら悩む。
コメント
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