日々のことを徒然に

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いのち

2008年01月24日 | 生活・ニュース


子どもが氷点下のため池に転落、親・消防救急隊・ドクターヘリ・子ども病院の連携で後遺症もなく助かった。30分もの心肺停止状態からの生還とも表現されていた。画面で父親に戯れる命果報な子のちょっとはにかんだ顔が愛くるしい。

一方で救急車の中で搬送先を待つ、幾つもの救急病院から事情はあるのだろうが受け入れられず、結果として尊い「いのち」が失われるていく気の毒な現実も多くある。

救急車も救急病院などない中学校2年の3学期、期末テストの初日の深夜、勉強中に猛烈な腹痛。父が掛かりつけの医者へ自転車で急いだ。スクーターで快く往診。注射1本。やがて痛みは治まった。冷たい風の吹く深夜の往診、50年以上前の経験を思い出す。

こうした街のお医者さんの惜しみない姿が今の「長寿国日本」の礎にあったのだろう。その上に医術の進歩が加わった。しかし医術は算術ともいわれ、そのたびに倫理感が問われる事態は繰返されている。

年末に手作り門松を作った。小さな葉牡丹などと一緒に水苔を巻いた梅の小枝を松の葉の背に添えた。湿気を絶やさぬようにしていた。いつのまにかつぼみがついていた。それがけさ白梅となって咲いた。つぼみが幾つかある。しばらくは香りを漂わせるだろう。慈しめばいのちの繋がることを改めて教えてくれた。

しかし「命長ければ辱多し」という。長生きすれば何かと恥じをさらすことが多いという古い言い伝えだ。古希・傘寿・米寿とどこまで流れるのか知れないが、これ以上の辱増にならない「いのち」でいたい。

(写真:門松の裏側から見た白梅)
コメント (4)
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