使徒の働き 15章22-29節
日曜日の礼拝の後に、飲み物とおやつをいただきながらの分かち合いの時間を持っています。きのうのおやつは、サンドイッチ三種、手作りの青汁ケーキ(抹茶ケーキのように美味しい)、豆の甘露煮、ぬか漬、日本からのお土産のお菓子類と盛りだくさん。お菓子は子どもだけ…ではなくて、「神さまの子ども」の大人も分けてもらって、ごちそうさまでした!
エルサレムでの会議は、異邦人クリスチャンには割礼を求めずモーセの律法を守らせることもしないと決定しました。そして、この結果を手紙にしたため、使者に持たせてアンテオケに知らせたのです。「みことばの光」が書くように、その手紙は事務的なものではなくて、愛に満ちた励ましの手紙でした。こんな手紙を受け取ったらどんなにか嬉しいだろうかと、想像してしまいました。
「聖霊と私たちは、……決めました」という28節のことばに目を留めました。それは、聖霊と自分たちを同じところに置いているということではなくて、聖霊がお導きになったことに教会が従ったという意味です。改めて15章1節から読み直してみますと、決定は多数決によるのではなく、聖霊がお導きになった一つ一つのことをペテロやパウロ、そしてバルナバが証ししたことを、耳を開き心を開いて、神のみこころのうちにあると従ったことによるのです。
神が何を今なさっているのかを注意深く見ることの大切さを、エルサレム会議の様子は教えてくれました。