みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

聖霊と私たちは

2016年07月25日 | 使徒の働き

使徒の働き 15章22-29節

 日曜日の礼拝の後に、飲み物とおやつをいただきながらの分かち合いの時間を持っています。きのうのおやつは、サンドイッチ三種、手作りの青汁ケーキ(抹茶ケーキのように美味しい)、豆の甘露煮、ぬか漬、日本からのお土産のお菓子類と盛りだくさん。お菓子は子どもだけ…ではなくて、「神さまの子ども」の大人も分けてもらって、ごちそうさまでした!

 エルサレムでの会議は、異邦人クリスチャンには割礼を求めずモーセの律法を守らせることもしないと決定しました。そして、この結果を手紙にしたため、使者に持たせてアンテオケに知らせたのです。「みことばの光」が書くように、その手紙は事務的なものではなくて、愛に満ちた励ましの手紙でした。こんな手紙を受け取ったらどんなにか嬉しいだろうかと、想像してしまいました。

 「聖霊と私たちは、……決めました」という28節のことばに目を留めました。それは、聖霊と自分たちを同じところに置いているということではなくて、聖霊がお導きになったことに教会が従ったという意味です。改めて15章1節から読み直してみますと、決定は多数決によるのではなく、聖霊がお導きになった一つ一つのことをペテロやパウロ、そしてバルナバが証ししたことを、耳を開き心を開いて、神のみこころのうちにあると従ったことによるのです。

 神が何を今なさっているのかを注意深く見ることの大切さを、エルサレム会議の様子は教えてくれました。


ペテロが立ち上がって

2016年07月23日 | 使徒の働き

使徒の働き 15章1−11節

木曜日の夕食後、久しぶりに公園で走りました。次々に追い抜かれていきますが、仕方がないと思えるのはやはり歳をとったこともあるのかもしれません。ゆっくりしたペースで走り良い汗をかきました。そして金曜日の夕食後、「きょうも!」と思っていましたが、夕立が降って中止。

 15章には、最初の教会会議の様子が描かれています。議題は「異邦人に割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるか否か」。伝道旅行から帰って来たパウロとバルナバは、「異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」を送り出したアンテオケ教会に報告し、すでに異邦人にも福音を伝えており、いっしょに歩んでいた教会もその喜びを共有していたのですが、それに異を唱える人々がエルサレムからやって来ました。恐らく、アンテオケ教会ではユダヤ人も異邦人もいっしょに礼拝をし、生活をしているとの話がエルサレムに届いたからでしょうか。律法を重んじ割礼を受けるユダヤ人で構成するエルサレム教会には信じがたく、またその中のある人々にとっては許しがたいことだったのです。

 「それなら、私たちは自分たちの道を行く」とアンテオケの教会は突っ走らず、この問題をエルサレム教会と話し合うために、パウロとバルナバと幾人かの仲間たちがエルサレムに上りました。ここに、対立回避の大切な鍵があると思いました。意見が違う、考え方が違うからといって、別の土俵で相手をこき下ろして自分たちの正当性だけを主張するのではなくて、いっしょの話し合いの場所に立つことの意味を教えられます。

 もちろん互いに受け入れがたいことが議題ですので、激しい論争は予想されます。その後でペテロが口を開いて、自分自身が異邦人コルネリオの家に行って福音を伝えた経験を証しし、さらに、自分たちも行ないによってではなくて主イエスの恵みによって、つまり信仰によって救われたことを信じているではないかと話しました。考えてみますと、ペテロの前にパウロやバルナバが話をしたら、会議での対立はもっと激しいものになっていたのかもしれません。だれが立ち上がって話すかということの中にも、宣教の主であるお方の心遣いをおぼえるのですが、いかがでしょうか。

*写真はヴァルトブルグにあるルター聖書翻訳の部屋


引き返して

2016年07月22日 | 使徒の働き

使徒の働き 14章19−28節

 この箇所には、パウロの第1回伝道旅行の帰路が記されています。ルステラで彼は反対者とたきつけられた群衆に襲われて石打ちにされます。「死んだものと思って」とありますから、相当な痛手を負ったものと考えられます。

 ところが彼は、起き上がると再び町に入って行き、そこから今回の伝道旅行の最も先端にあるデルベに向かいました。デルベでも福音を伝え多くの人々を弟子としてから、彼らはどのようにしてアンテオケに戻って行ったのでしょうか。地図で確認していただくと、デルベから東進するとシリヤのアンテオケに着くのですが、一行は、第一伝道旅行で訪ねた町々、いや新しく誕生したキリストの弟子たちを再び訪ねてアンテオケに引き返しています。

 ここに、パウロたちの働きがキリストの福音を伝えるだけではなくて、新しい信者たちを励まし支えるということにまで及んでいたということがわかります。この旅行で誕生した新しい弟子の中には、パウロやバルナバが福音の宣教者としていたい目にあったのを目撃した人々も少なくなかったでしょう。彼らは「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」ということばを、パウロのことばだけではなくて、姿を通して学んだのです。

 「引き返して…」ということばを心に留めました。心残りでありながら引き返さずにしてしまうようなことがたくさんあるとの気づきを与えられることばです。


宣教を続けた

2016年07月21日 | 使徒の働き

使徒の働き14章1−18節

 ピシデヤのアンテオケを後にしたパウロたちが向かったのは、イコニオム。ここは現在のトルコ中央部にあるコンヤという町です。ここでも、彼らの語る福音は信じる人と拒む人とに町を二分します。そして、受け入れない人々による攻撃を避けようと、彼らはさらにルステラそしてデルベへと歩を進めていきました。

 2005年にトルコを旅した時に、コンヤからルステラ(跡)までタクシーで向かいました。パウロ時代の面影は見受けられませんでしたが、ここで彼らはゼウスとヘルメスとしてあがめられようとしたのだとか、石打ちに遭ったなどと考える旅になりました。

 ここで心に留めるのは、「そこで福音の宣教を続けた」という7節のことばです。パウロによる第一回目の伝道旅行では次第に、福音を語る彼らに対する反発、攻撃が激しくなっていきます。彼らはコンヤから難を避けようとしてルカオニア地方に向かうのですが、もうこりごりだとして口を閉ざすのではなくて、向かった土地でも福音を伝えます。難を避けるのだからしばらくゆっくりと、ほとぼりの冷めるのを待とうとするのではなくて、福音を伝えるのです。

 それは、バルナバもパウロも、福音を信じて人生が大きく変わったという事実を持っているからです。そしてそれが、圧倒的に素晴らしい変化だったのです。ですから、自分を大きく変えてくれた福音を、何があってもどこにいても伝えたいという思いが、ほかのすべてに勝っていたのです。その経験や事実は私にも通じています。

 


喜びと聖霊に満たされて

2016年07月20日 | 使徒の働き

使徒の働き 13章42-52節

 きのうは恐らくこの夏一番の暑さ。32度5分ぐらいだったと聞いています。そのような中、月に一度キリスト教放送局での録音に出かけました。ところが、うっかりして時間を間違えてしまったのです。いつもどおりの午前11時に…とのつもりで出かけ、着いてみますと午後0時半からでした。さて、1時間半どうしようかと思いましたが、町の中心まで行ってみることに…。それが大当たり。大聖堂を見学し、町の中を流れるラーン川にかかる中世の石橋を眺めたりして、良い時を過ごしました。

 ピシデヤのアンテオケでのパウロの説教が終わりました。ここには、人々の反応が記されています。もっと話してくださいという反応と、口汚くパウロたちをののしるという反応でした。これが、異邦人への伝道へと大きく舵を取ることにつながっていきます。ちょっと飛躍があるかもしれませんが、ピシデヤのアンテオケでのユダヤ人の反対が、私が福音を聞くことができるようになった契機になったとも言えます。

 さらに、町のユダヤ人たちはパウロを追い出しにかかりました。このため、パウロたちは生まれたばかりの赤ちゃんのような弟子たちを残して、ほかの地に行かなければなりませんでした。しかし、心に留まることばがあります。「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」という13章最後のことばです。聖霊は、生まれたばかりの信者たちといっしょにおられ、彼らに喜びを賜わり育てておられたのです。この一言が、宣教が聖霊のみわざであることを改めて確認させてくれます。

 育てられるのは神、なのです。


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