みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

自由の女の子どもたち

2024年06月12日 | ガラテヤ人への手紙

ガラテヤ人への手紙 4章21−31節

 日が長くなっていますので、6時過ぎに近くの公園へ。ノルディックウォークをしている人たちとすれ違いました。調べてみると、体の90%の筋肉を使うので普通のウォーキングに比べてエネルギー消費量が二割ほど高くなり、足首や膝、腰などへの負担が軽くなるとありました。私たちのこれからの課題の一つですね。

 パウロは、3章から5章1節までで、キリストの福音を信じて神の義を賜わることの正しさを、旧約聖書を引用して論じています。それは、割礼を受けなければ、律法を守らなければ救われないと説く人々が根拠としている(と考えている)のと同じ土俵の上に立つということです。

 そして、特にパウロはアブラハムの例を挙げていきます。

 本日の箇所ではまず、21節に目が留まります。律法の下にいたいと思う人たち、つまり律法を守ることで神の義を得られると考えている人々に、「あなたがたは律法の言うことを聞かないのですか」と言うパウロのことばは、ユーモラスに響きます。

 ここでは、アブラハムとの間に子を設けた妻のサラと、女奴隷ハガルを例に挙げています。パウロは、イサクは自由の女サラから「約束によって」生まれ、イシュマエルは女奴隷ハガルから「肉によって」生まれたと比較します。

 そして奴隷の女ハガルと自由の女サラという二人の女性は、二つの契約を比喩していると続けます。一方は、ハガルはシナイ山、さらに今のイスラエルに当たり、律法を行うことによって神の義を得ようとしながらも解放されることのない奴隷であり続けるという姿です。

 しかし、上のエルサレムに通じるのは、自由の女から生まれた約束の子イサクであり、さらにイエス・キリストを信じて神の義、すなわち真の自由を得たガラテヤ人たちよ、あなたがたも神の約束の子どもたちなのだと励ますのです。

 31節の「私たちは…」ということばに目が留まります。「私たち」とはユダヤ人パウロと異邦人であるガラテヤの人々です。パウロはどちらも「自由の女の子ども」なのだと明言します。垣根は主イエスの十字架で壊されたのです。


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