サムエル記第一 2章1−17節
日曜日は、ドイツ南東部ミュンヘンの日本語教会で礼拝しました。今回は鉄道を利用したのですが、遅れる恐れがあるので、朝7時前の列車で向かいました。途中大雨の被害ゆえに通行止めの区間があり、迂回もしたので、40分遅れで到着しました。十分間に合う時間に着きました。
昨日から読み始めたサムエル記は、一人の女性の話から始まります。子が与えられずに苦しみの中にいたハンナが神に祈り、祈りの中で変えられていきます。そして主は、彼女を心に留めて男の子を与えられ、エルカナとハンナ夫妻は生まれてきた子を、誓願のとおりに主にゆだねたと、1章は語ります。
そして、2章はハンナの祈りから始まります。祈りのことばを読む時に、ハンナが苦しみの中で祈った時の最初のことばが響いてきました。それは1章11節の「万軍の主よ」です。
「万軍の主」ということばは聖書全体で250回近くも出てくるのですが、その最初はサムエル記第一、1章3節です。そしてハンナの祈りの中のこのことばが2回目の登場になります。さらに、このことばはイスラエルの歴史において大きな危機にある時に用いられていることが分かります。
ハンナの危機は一見、一人の女性の悲しみや苦しみのように見えますが、それは、イスラエルの歴史における大きな危機と無関係ではありません。
ですから、ハンナの神への賛美も個人的なことではなくて、大きな視野からのものだということに気づきます。彼女のために万軍の主が戦ってくださり、勝利してくださったとたたえているのです。しかしそれは、ライバルと勝負して勝ったという類(たぐ)いのものではありません。ここには、高ぶる者を神がさばくという警告が、そしてメシアについての預言があります。
自分は神に何を祈っているのだろうか、神をどのように賛美しているのだろうかと、この祈りは迫ります。