みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主に不可能なことがあろうか

2013年01月19日 | 創世記
創世記18章1-15節

 イスラエルの旅。木曜日はベドウィンのテントで昼食を取りました。たいへん詳しいガイドさんがベドウィンが客人をもてなす流儀を食事をしながら説明してくれました。たとえば、客人にコーヒーをカップに並々とついだら、「私はあなたをもてなしません」とのメッセージなのだそうです。
 写真は、いちじく桑の木です。エリコの町で撮りました。Photo


 きょうの「みことばの光」にも、「旅人をもてなすのは、アブラハム並びに当時の人々の礼儀であった」とあります。ちょっとした町にホテルがある今とは違って、確かに、昔の旅人はアブラハムのような天幕生活をしている人もてなされて旅を続けていくことができたのでしょう。
 アブラハムがどのような料理でもてなしたのかについても、当時の様子がうかがえます。パン菓子、凝乳(ヨーグルトのことでしょうか)、牛乳、そして料理した子牛が三人の旅人に供されたのです。

 天幕生活をするベドウィンにとって、旅人はいろいろな情報を持ち運んでくれる貴重な情報源だったと言われています。そのようなことでいえば、アブラハムに三人は貴重な、というよりも、とても信じがたい情報をもたらしました。妻サラに来年の今ごろ男の子ができている、との知らせでした。こっそり聞いていたサラは心の中で笑いました。

 心に留めるのは、「主に不可能なことがあろうか」とのことば。「みことばの光」が「下り坂のときこそ、全能の神の名を呼びたいものである」と伝えているように、「ああ、下り坂だなぁ」と嘆くようなときにこそ、不可能なことのない主の名を呼び求める者でありたいと願います。





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