みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主は…閉ざされた

2013年01月08日 | 創世記
創世記7章


 新しい年になって、いろいろな方からの年賀状が届きます。
 その中に、大学時代の旧友からのものがあり、手書きで「昨年2、3度訪れましたが留守でした」とありました。彼は、食堂を経営しているので、店が休みの月曜日に訪ねてくれたのでしょう。けれども、私も月曜日は休み。自宅におりましたので、会えなかったようなのです。悪いことをしました。そのうちにあきらめて「もう行かない」と言われないように、連絡をとりましょう。

 ノアと家族が箱舟に入りました。動物と鳥も箱舟に入りました。動物や鳥たちを箱舟に入れるためにも、ノアが用いられたことがこの箇所に記されています。さて、ノアはどのようにしてこれらの生き物を箱舟に導いたのだろうかと興味があります。
 神が命じられたことは、それがどんなに不可能に思えることでも、それに従おうとする者を神が助けて実現に至らせるのだ、ということを改めて教えてもらいました。

 「…主は、彼らのうしろの戸を閉ざされた」とのことばを心に留めました。
 箱舟の戸は、ノアたちが閉じたのではなく、主が閉ざされたのです。箱舟の内と外とは、救いと滅びというはっきりとした区別のある世界です。箱舟の戸が閉ざされる前は、しようと思えば舟の外と内との出入りができたのです。けれども、今や箱舟の戸は閉ざされて、外から中に、中から外への出入りができなくなってしまったのです。

 福音を伝えよと教会にお命じになったのはイエス・キリストです。今は、イエス・キリストの福音が至る所で伝えられています。しかし、やがて戸を閉ざされる時が来ることを、16節は読む私たちに教えておられるのです。

 「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント第二6章2節)のことばをも覚えました。
 
   


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