みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

はい。ここにおります

2013年01月26日 | 創世記
創世記22章


 「みことばの光」読者のお一人から、表紙についてのご感想をいただきました。
 「ともしびを絶やさぬように油を準備し、みことばの前に出よ」との主のおことばのような表紙…」とのこと。携わった者の思いを超えて、このように受け止めて下さる方がいることに励まされました。ありがとうございます。

 「信仰の父」アブラハムの歩みの、総まとめとも言えるのが、ひとり子イサクをささげよと神がお命じになるという試練です。神は、アブラハムがイサクを愛しておられることを知っておられ、イサクがアブラハムにとってのひとり子であることを知っておられて、イサクをささげよとお命じになります。

 この箇所で心に留めたのは、「はい。ここにおります」とのことば(1節、11節)。「みことばの光」ではこのアブラハムの返事のことばを「打てば響く神との関係」を表わすものとしています。「はい。ここにおります」と同じことばが、イサクが呼んだときの父アブラハムの返事でも用いられているのです。「ここにいる。…」
 
 アブラハムは、神の語りかけに対しても、わが子の問いかけに対しても「ここにいます」と答えます。神とともに歩もうとしたアブラハムは、わが子イサクと共に歩もうとする父であったということがわかります。
 考えてみれば、父に縛られて祭壇の上に静かに身を横たえるイサクの従順は驚くばかりです。

 失敗を重ねはしても、常に神の前に「はい。ここにおります」とあり続けた父の姿からイサクもまた、多くを学んだ青年に成長していたということを想像します。



 


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