みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

よく知っていた

2013年01月23日 | 創世記
創世記20章


 アブラハムが妻のサラを自分の妹だとして、自分を守ろうとしたのは2度目です。これは、当時の社会で、王が部族の長の妻を召し入れるということがしばしば行われており、アブラハムは自分のいのちを守り、多くの持ち物や使用人たちを養うためには、仕方のないこととして、半分の真実を王の前で告げたということなのでしょう。

 しかし、神はアブラハムにとってばかりでなくて、異邦の王アビメレクにとっての主でした。神の前に正しい道を歩いていたアビメレクを罪から守るために働かれたのは神でした。けれども、事の発端はアブラハムの側にありました。なぜ主がアビメレクにご自分を表されたのかについては、神がアブラハムにとってばかりでなくて、アビメレクにとっての主であることをわからせようとなさったのかもしれません。

 主がアビメレクにお語りになったうちの、「よく知っていた」ということばに目を留めました。主はすべての者の神なのだということを、改めて思ったのです。主は自分のことをよく知っておられるのだと思うと、静かな喜びが湧いてくるとともに、神さまの前に恥じない歩みを使用という気持ちにもなります。しかし、アブラハムは一度の失敗に懲りずに、ここでもまた同じような過ちを繰り返しました。

 ここに自分の姿が映っています。
 「証にならない神の民」などと言われることがないように、緊張をもって1日を歩むことができたら…と考えていました。



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