みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

仰せられる

2012年10月30日 | エゼキエル書
エゼキエル書36章1-21節

 あるまとまりの箇所に、同じことば、動詞をたくさん見つけようとするのも、聖書を読む楽しみの一つですね。この箇所には、「神である主はこう仰せられる」ということばが目立ちます。
 預言者であるエゼキエルは神が仰せられることばをまっすぐに民に届けなければなりませんし、民はそれをよく聞かなければならないということが強調されているのです。
 「神である主が仰せられる」ということばを、どのように受け止めるのが大きなことになっているのです。

 もしかしたら私たちは、神である主が仰せられることをあたりまえのこととして、感動がどこかに行ってしまっているのではないだろうのか? と考えました。「神が仰せられる」とは、人生の一大事なのです。しかも、それは私にも語られています。

 もう一つは、「みことばの光」でも触れていますが、イスラエルの回復のために神が全存在をかけておられるいうことにも気づかされます。主の聖なる名が汚されることがないように、彼らの回復に全存在をかけておられる…。
 いや、それは、今を生きる私たちのためにも、神が全存在をかけておられるということに励まされるのです。




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