みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

それでもいっしょに

2012年10月13日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書20章19-31節


 眠ってしまったために弟たちがが父の土産をおいしく食べたのに、自分だけ食べそびれたことがあったのを、トマスの話を読んで思い出しました。
 今さら50数年も前のことを思い出すのですから、「食べ物の…はおそろしい」ものです。
 多分それは経木に入った助六という寿司だったようです。肝心なことは忘れて、食べ物のことを思い出すのですから、おもしろい! と思いました。

 イエスが復活した日曜日の夕方、弟子たちは復活の主を見て喜びました。
 ところが、その喜びの場に居合わせなかったのがトマス。それで、「私たちは主を見た」と他の弟子たちが言っても、トマスは信じません。「へぇー、そうなの。やはりイエスさまはよみがえられたのだね。まあ、そこにいなかったのは残念だったけれども…」と言うでなく、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘の所に差し入れ、またわたしの手をその脇に差し入れてみなければ、決して信じません」と言い張ります。座がしらけるような抗弁です。

 それから一週間後、復活の主はトマスのためにご自分を現してくださいました。
 トマスが一週間前に他の弟子たちに言ったことばを、そのまま主はトマスにお返しになりました。主のユーモアと考えたらよいのでしょうか。そして「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と声をおかけになったのです。他の弟子たちからそう言われたら、けんかになったかもしれません。けれども主が直接おっしゃったのですから、トマスの立派な信仰の告白を引き出したのです。

 私は、日曜日から次の日曜日まで、他の弟子たちとトマスとの間はどうだったのだろうかということに興味があります。自分たちの主の復活についての事実と喜びを共有できないのです。けれども彼らは、それでもいっしょにいました。その彼らの姿にも教えられます。


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