みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

最初の目撃者に

2012年10月12日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書21章11ー18節


 夜明けが遅くなり、空気が冷たくなる…一週間前には考えられなかった気候の変化です。今日は、「みことばの光」を発行している聖書同盟の働きを紹介するということもあって、母校である神学校を訪ねました。ここに行くと、いつも「学ばねば」という気持ちにさせられます。よい時間でした。

 「見て、信じた」にもかかわらず、「弟子たちはまた自分のところに帰って」行きました。主の復活という一大事件なのに、彼らの行動が淡泊に思えるのは、「聖書を、まだ理解していなかった」ことにあるのでしょうか。

 マリヤは違います。墓に居続けました。
 でも、マリヤが復活についての強い確信をもっていたということではありません。
 「だれかが私の主を取って行きました」と答えるのは、彼女も空の墓を見ても復活を信じられずに、墓の所にたたずんでいたのです。主への思慕、主がおられないという悲しみが彼女を墓に留め置いたと言えるかもしれません。

 けれども、そのことが彼女をイエスの復活の最初の目撃者とするのです。

 たとえがまずいかもしれませんが、映画館を思いました。
 映画作品が終わってエンドクレジットが流れると席を立つ観客がいます。私はクレジットを最後まで見て席を立つことにしているのですが、まれに、そんなふうにする客への贈り物でもないでしょうが、お宝映像がちりばめられることがあります。

 マリヤは、たたずむことでイエスと会うことができました。





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