みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしが養う

2012年10月27日 | エゼキエル書
エゼキエル書34章1-16節


 時々、教会においでになる方から「神父さん」「牧師さん」と声をかけられます。プロテスタント教会では「牧師」、カトリックでは「神父」と呼んでいるようですと答えますが、「牧師」とはその務めをよく表すことばだと思っています。

 この箇所には、イスラエルの牧者たちは自分を肥やすことに夢中で、羊たちの世話することなく養おうとしないとの叱責と神ご自身が牧者として羊を飼うということとが語られています。牧者の務めとは、この箇所から動詞を拾ってみますと浮かび上がってきます。
 「養う」、「強める」、「いやす」、「包む」、「連れ戻す」、「捜す」、「世話をする」、「救い出す」、「いこわせる」、「力づける」。
 反対に、牧者としてしてはならないことについても、動詞を拾って確認しましょう。
 「自分を肥やす」、「支配する」、「散らす」、「えじきにする」。そして、牧者のあるべき務めを表す動詞の反対の事柄です。

 神が自ら牧者として、散らされた羊たちを集めて、イスラエルの山々の牧場で飼うという約束は、紀元前538年にバビロンのあとに興ったペルシヤのクロス王が、イスラエルの民を捕囚地から帰還させるよう命じたということに実現をみます。しかしそれは、やがておいでになるイエス・キリストを指し示します。
 「みことばの光」の「黙想」を用いて、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」とのヨハネの福音書10章11節を、改めて味わい、まことの牧者なるお方について思い巡らしたいと思います。

  
 



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