みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

見て、信じた

2012年10月11日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書20章1ー10節


 稲刈りの済んだばかりの田んぼからは、刈り入れ後の独特のにおいが漂ってきます。それは、昔よく食べたイナゴのにおいにも通じます。今になって考えると、イナゴは稲を食べているのですから、同じにおいがするのはあたりまえなのかも知れません。

 稲刈りの時期にイエスの復活の記事を読むのはそれほど記憶にはないのですが、それはそれでよいものだと思います。どの福音書からも、十字架の重く悲しい、しかし勝利の出来事の後にあるイエスの復活の記事は、パアーッと周りを明るく照らすような印象があります。信じがたいことが起こった、あり得ないことが起こった、それをイエスの側にいた者たちがすぐには信じられずに大いにとまどう…、後を知る読者は弟子たちや女たちのそんな様子を楽しめます。

 心に留めるのは、「見て、信じた」という弟子たちについてのことば。
 「みことばの光」が書くように「何を、どれだけ信じた」のでしょうか。彼らは、主が復活されたと知らされ、不思議な光景を確かに見てはいるのですが、「なあるほど」と納得して信じたわけではなかったと思うのです。まさに、小さな、矛盾するようですが不確かな信仰だったのです。
 そんなからし種ほどの信仰を持った弟子たちを、復活の主は確かなものへと育ててくださるということに、励ましを得ることができました。







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