エペソ人への手紙 5章21−33節
近くで道路舗装工事が行われているので、バスはどのように走るのかと思っていたら、きちんと迂回路を通って停留所に。連接バスなので可能なのかもしれませんが、そのために予定時刻より少々遅れ気味。私たちが乗ったバスは「回復運転」と思うような走りをしていました。あまりスピード出してほしくないのですが…。
エペソ人への手紙の主題は教会、そしてキーワードの一つは「一つ」だと少し前に書きましたが、そのために神がキリストによって成し遂げてくださったこと、信じる者たちに聖霊が働かれていることをパウロは書いてきました。
ここでは、キリストにある者がどのようにして一つであることを証ししていくのだろうかと書いていきます。それは高慢にならずに、互いに従い合うことなのです。
ところで、この手紙の解説書の多くは、21節までを一つの区切りとし、22節から新しいテーマに入ると区分していました。しかしもともとは、21節からが「キリストにある新しい関係」というテーマで話が展開するのです。
この部分は、妻には「夫に従いなさい」と、夫には「妻を愛しなさい」と命じるというように受け止めかねません。しかし21節に、夫婦に始まるあらゆる関係についての前提が明らかにされています。それが、「互いに従い合いなさい」です。これは、当時、いやいつの時代でも人間関係に置ける画期的な秩序だと考えます。ですからパウロは、互いに従い合い、愛し合いなさいとそれぞれに勧めているのです。
そうでありながらも、夫が妻を愛するとはキリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げたようにだと、パウロは書いています。31節は創造の時、神が男から女をお造りになった時に語られたことばであり、結婚とは何かを表すものだ受け取られます。
しかしパウロは、結婚の定義とも言える創世記2章24節を、キリストと教会との関係を指している「奥義」なのだと理解して、示しているのです。
5章最後の節にある「それはそれとして」は、夫と妻について述べるパウロが、キリストと教会との関係に話を深め感極まりつつも、再び夫と妻への勧めに戻るというように読むことができると思います。