エペソ人への手紙 6章10−24節
どのような一週間を過ごされましたか。私たちは先週来の風邪が長引いていましたが、週末にやっと回復しました。だるさが抜けただけでもずいぶんと気持ちが楽になります。体が損なわれるのは辛いことなのだと改めて思いました。
「終わりに言います」で始まるこの部分。パウロは神のすべての武具を身につけるようにと読者たちに促します。「武具」というと物騒ですが、それは目に見えない手強い敵との戦いが地上にいる限り続くからです。敵とは悪魔であり、その手下たちです。
13節のやがて来る邪悪な日とは、悪魔が大きな力を持って教会に挑んでくる日のことです。その時キリスト者、教会は素手で、自分たちの力や知恵では戦いえない相手なので、神が与える武具を身につけなければなりません。
真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の備えという履き物、信仰の盾、救いのかぶと、御霊の剣すなわち神のことばです。腰は支える力を込めるところ、胸当て、盾、かぶとは防御のための武具、履き物はしっかり立ち、そして歩むための物です。剣は敵にとどめを刺すための攻撃の武具。ここを読むと、荒野での悪魔の誘惑を神のことばによって退けた主イエスを思います。
そして祈り。祈りは武具ではありませんが、武具を身につけ、用いる際に常に必要なものとしてパウロはここで「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい」と勧めています。
19―20節のことばに目が留まります。パウロは「私のためにも…祈ってください」と書いています。パウロは、コロサイ人への手紙でも、テサロニケ人への手紙でも、その終わりの部分で自分のために祈ってほしいと要請しています。
この手紙は獄中から書かれました。パウロは何を祈ってほしいと言っているのでしょうか。獄から出られるようにではなく、自分の務めをどのような境遇の中でも果たすことができるようにと祈っています。
神の武具を身につけるようにと勧めていたパウロは、自らこの武具を身につけていました。ですから、どのようなところに置かれていようと、どのような時であろうと、福音を語ることができる、証しすることができたのです。
状況が悪いなどという言い訳は、ここにはありません。