ディケンズの『二都物語』はいまいちよく分からない話だ。途中から話を読んでいるような感じで、どういう状況なのかよく分からない。そのまま話が続く。
侯爵みたいなひとが死んだ。しかし死んだのかどうかよく分からないような書き方で死んだ。枕の上に石の仮面があった、みたいな書き方だった。
『オリヴァー・ツイスト』はものすごくおもしろかった。
『二都物語』を読み終えてから英語の勉強を始めるつもりなのだが、この前買った『バンクーバー発音の鬼』の本についていたCDを聴いている。そしてiPhoneのSiri(という音声認識ソフト)を使って英語を話している。Siriの設定を英語にすることで、英語で話しかけると反応する設定に出来る。ふだんSiriを日本語でも使ったことはないのだけれど、なかなかおもしろくて使っている。
「Three」と言うと、「Siri」だと思って、「はい、ここにいます」と返事をする。thの発音が難しい。英語は、歯と歯の間から空気の出てくる音か、前歯と舌の間から空気の出てくる音かを聞き分けているというのはよく考えるとすごいことをしているなと感心する。
もっと分かりやすく違う音は出せなかったのだろうか。
少し前に村上龍の短編集を読んだせいで、村上龍に興味を持っている。
若い頃(二十代の頃)に村上龍はたくさん読んだのだけれど、最近は読んでいなかった。とくに長編小説は読む気がしなかった。
それが『歌うクジラ』にも『心はあなたのもとに』にも興味を持っている。
英語の勉強をしようとしているのでどこかで気持ちが逃げようとしているのかもしれない。
侯爵みたいなひとが死んだ。しかし死んだのかどうかよく分からないような書き方で死んだ。枕の上に石の仮面があった、みたいな書き方だった。
『オリヴァー・ツイスト』はものすごくおもしろかった。
『二都物語』を読み終えてから英語の勉強を始めるつもりなのだが、この前買った『バンクーバー発音の鬼』の本についていたCDを聴いている。そしてiPhoneのSiri(という音声認識ソフト)を使って英語を話している。Siriの設定を英語にすることで、英語で話しかけると反応する設定に出来る。ふだんSiriを日本語でも使ったことはないのだけれど、なかなかおもしろくて使っている。
「Three」と言うと、「Siri」だと思って、「はい、ここにいます」と返事をする。thの発音が難しい。英語は、歯と歯の間から空気の出てくる音か、前歯と舌の間から空気の出てくる音かを聞き分けているというのはよく考えるとすごいことをしているなと感心する。
もっと分かりやすく違う音は出せなかったのだろうか。
少し前に村上龍の短編集を読んだせいで、村上龍に興味を持っている。
若い頃(二十代の頃)に村上龍はたくさん読んだのだけれど、最近は読んでいなかった。とくに長編小説は読む気がしなかった。
それが『歌うクジラ』にも『心はあなたのもとに』にも興味を持っている。
英語の勉強をしようとしているのでどこかで気持ちが逃げようとしているのかもしれない。
リチャード川口『バンクーバー発音の鬼が日本人のためにまとめた ネイティブ発音のコツ33』(明日香出版社)を読む。
購入しようかどうしようか迷ったが買った。
一冊にまとめたとか言いながら続編があるじゃん、とか、言っていることが『英語耳』と変わらないんじゃないの、とか最初のほうは少し疑いの目で見ていましたが、ほんとうに分かりやすく書かれている。英語で「こうだ」、舌の位置は図解参照、とか書かれていても、結局よく分からないことが多いのだが、sは「すー」でshは「しー」と言われるとはっきりわかる。日本語で、日本語の発音で説明してくれる。
ほんとうに苦労して、いろいろ考えながら英語を身につけたんだろうなと思う。他人にきちんと説明できるのがすごい。
どの発音記号がどの発音だか分からなくなるのと、単語を見たときにどう発音すればいいのか聴いてみるか発音記号を確認しないとわからないという問題があるような気がするのだが、それはどうするのだろう。
単語を覚えるというのは意味を覚えるだけではなくて、発音も覚えるということなのだろうか。当たり前ですか、ああそうですか、すみません。
購入しようかどうしようか迷ったが買った。
一冊にまとめたとか言いながら続編があるじゃん、とか、言っていることが『英語耳』と変わらないんじゃないの、とか最初のほうは少し疑いの目で見ていましたが、ほんとうに分かりやすく書かれている。英語で「こうだ」、舌の位置は図解参照、とか書かれていても、結局よく分からないことが多いのだが、sは「すー」でshは「しー」と言われるとはっきりわかる。日本語で、日本語の発音で説明してくれる。
ほんとうに苦労して、いろいろ考えながら英語を身につけたんだろうなと思う。他人にきちんと説明できるのがすごい。
どの発音記号がどの発音だか分からなくなるのと、単語を見たときにどう発音すればいいのか聴いてみるか発音記号を確認しないとわからないという問題があるような気がするのだが、それはどうするのだろう。
単語を覚えるというのは意味を覚えるだけではなくて、発音も覚えるということなのだろうか。当たり前ですか、ああそうですか、すみません。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督『バベル』を観る。
モロッコとメキシコとアメリカと日本を舞台に、関係なさそうに見えながら少しだけ関係のある人々を描く。時間も少しずれがあって、タランティーノを思い出す。
子どもの性というのが共通のテーマのような気もするし、「後悔先に立たず」というようなことが言いたいのかと思ったりするが、なんだか強烈なインパクトの映画だった。何が言いたいかというよりもとにかく印象に残る。
菊地凛子を見て、映画の『ノルウェイの森』を思い出した。好きになれない。
菊地凛子の最後の手紙にはなんと書いてあったのだろうか。「嘘をついてごめんなさい」だろうか。
母親がマンションから飛び降りて自殺したか、銃で自殺したかが、そこまで大きな違いのように思えず、どういう意図で嘘をついたのか、(監督は)どういう意図で嘘をつかせたのか、よく分からない。
モロッコとメキシコとアメリカと日本を舞台に、関係なさそうに見えながら少しだけ関係のある人々を描く。時間も少しずれがあって、タランティーノを思い出す。
子どもの性というのが共通のテーマのような気もするし、「後悔先に立たず」というようなことが言いたいのかと思ったりするが、なんだか強烈なインパクトの映画だった。何が言いたいかというよりもとにかく印象に残る。
菊地凛子を見て、映画の『ノルウェイの森』を思い出した。好きになれない。
菊地凛子の最後の手紙にはなんと書いてあったのだろうか。「嘘をついてごめんなさい」だろうか。
母親がマンションから飛び降りて自殺したか、銃で自殺したかが、そこまで大きな違いのように思えず、どういう意図で嘘をついたのか、(監督は)どういう意図で嘘をつかせたのか、よく分からない。
留学準備中である。
留学と言っても外国に行くわけではなく、自宅でひとりで留学するつもりである。有り体に言えば単に英語を勉強するつもりなのだが、「留学」と言ってしまえるくらい勉強したい。
その準備としてまずテレビ視聴を少なくする。
いま「西郷どん」と「うちのガヤがすみません!」と「SWITCHインタビュー 達人達」と「セブンルール」と「アナザースカイ」と「ドキュメント72時間」と「100分de名著」を毎週録画するようにしているのだが、そのうち、「うちのガヤがすみません!」と「SWITCHインタビュー 達人達」と「100分de名著」をやめようと思う。
「SWITCHインタビュー 達人達」と「100分de名著」は最近録画したまま見ないことも多いから良い。「うちのガヤがすみません!」は見始めた時はとてもおもしろかったのだが、最近はちょっとマンネリで、新鮮味がなくなった。食い込MENの今後の活躍が気になるが、僕は留学するので日本でどんなお笑いが人気かなどしばらく気にする必要も無い。
「西郷どん」はここまで見たら最後まで見よう。留学するにも日本の偉人について知っておいたほうが良い。
「セブンルール」は頑張ろうという気持ちに、「アナザースカイ」は海外へ憧れる気持ちに、なるので見ておこう。
「ドキュメント72時間」は見る回と見ない回があるのだが、短いからたまに見てもいいか。
それから本はディケンズの『二都物語』を読んでいるが、これを読み終えたら留学に旅立つ予定である。トルストイの『戦争と平和』の岩波文庫の箱入りを買ったのだが、どうしようか。
思えば『戦争と平和』を読もうとする時はいつも英語の勉強をしようとしている気がする。
留学はひとまず半年くらいの予定である。
留学と言っても外国に行くわけではなく、自宅でひとりで留学するつもりである。有り体に言えば単に英語を勉強するつもりなのだが、「留学」と言ってしまえるくらい勉強したい。
その準備としてまずテレビ視聴を少なくする。
いま「西郷どん」と「うちのガヤがすみません!」と「SWITCHインタビュー 達人達」と「セブンルール」と「アナザースカイ」と「ドキュメント72時間」と「100分de名著」を毎週録画するようにしているのだが、そのうち、「うちのガヤがすみません!」と「SWITCHインタビュー 達人達」と「100分de名著」をやめようと思う。
「SWITCHインタビュー 達人達」と「100分de名著」は最近録画したまま見ないことも多いから良い。「うちのガヤがすみません!」は見始めた時はとてもおもしろかったのだが、最近はちょっとマンネリで、新鮮味がなくなった。食い込MENの今後の活躍が気になるが、僕は留学するので日本でどんなお笑いが人気かなどしばらく気にする必要も無い。
「西郷どん」はここまで見たら最後まで見よう。留学するにも日本の偉人について知っておいたほうが良い。
「セブンルール」は頑張ろうという気持ちに、「アナザースカイ」は海外へ憧れる気持ちに、なるので見ておこう。
「ドキュメント72時間」は見る回と見ない回があるのだが、短いからたまに見てもいいか。
それから本はディケンズの『二都物語』を読んでいるが、これを読み終えたら留学に旅立つ予定である。トルストイの『戦争と平和』の岩波文庫の箱入りを買ったのだが、どうしようか。
思えば『戦争と平和』を読もうとする時はいつも英語の勉強をしようとしている気がする。
留学はひとまず半年くらいの予定である。
とあるブログ(「ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記」)で紹介されてあるのを読んで興味を持ち、村上龍『空港にて』(文春文庫)を読む。
「コンビニにて」
誰が語っているかによって、どのように描写されるかが変わるということを、たぶん村上龍は主張したいのだろうと思った。
語り手は音響の仕事をしていた青年で、周囲の音や、そこから理解される周りの人間の行動に敏感である。
何がすごいと言って、何も起きないのに、何か感じるものがあるのがすごい。
「居酒屋にて」
居酒屋で男女六人が食事をしていて、そこでテレビではプロ野球中継が放送されていて巨人の桑田が投げて、横浜の鈴木がバッター。その短い時間に、語り手の祐子が語る。
最初の短編ではアメリカに映画を学びにいく青年の話で、この短編ではフランスに絵の勉強をしにいこうとする女性の話だった。
この本はまだたくさんの短編が入っているが、すべて別の国、別の芸術、の話をするのだろうか。
「公園にて」
和歌山カレー事件が取り上げられる。その当時に書かれたのだろうか。少しあとのようだが。
「公園デビュー」とか、幼い子どもを公園に連れて行くのにも母親同士の礼儀があるというようなことがよく言われた時期があった。
フウタ君のおかあさんが生物学の研究のためにアメリカに留学するという話が出てくる。
今回は語り手ではなく、その知り合いの留学。
村上龍はいまでも(といって十五年ほど前か)SMとか言っているのだなと思った。
村上龍を僕が好きになったのは『トパーズ』を読んだころだ。
「カラオケルームにて」
いままでもっとも切ない。もうやめてぇ、という感じ。
村上龍はマッチョな作家のようでいて、切なさをとても巧みに描く。
語り手がおじさんだからかもしれない。おじさんの話に共感なんかしないだろうと若いころは思っていたはずだが、すっかり共感できる。
吉永小百合とマヒナスターズの歌「寒い朝」のイントロと第一小節あたりを歌うまでの間の短い時間の間に過去を振り返る。
この歌を聞いたことがなかったので探して聴いてみたが、イントロは非常に短い。この間にあんなにいろいろと考えたの、と思う。
懐かしい歌といえば、最近DA PUMPが再度売れて、昔の歌も歌うのでテレビで見ることがあるのだが、非常に懐かしい。ISSAは変わらず歌が上手い。
「仲間の中古のオープンカー」と歌うのを聞くと「オープンのツーシーター」を思い出す。
僕がもしも十五歳から二十五歳くらいの金色の髪と赤い髪の二人の女の子とカラオケに行くようなことがあれば、DA PUMPを歌おうと思う。
そういえば、誰か留学したっけ?
「披露宴会場にて」
映画のシナリオを書いている男が最後に謎解きをして終わる。
この謎解きが正解なのかどうかはわからないが、小説として上手く纏まっていると思う。上手。
ここでも誰も留学しない。この短編集の「留学しばり」はなくなったのだろう。
「クリスマス」
これだけタイトルに「にて」が付かない。
クリスマスの夜にパーティのチラシを見てそこに行く話。
モロッコに行くというような話があるので、これを留学と呼べるのかもしれない。
なにかパーティに参加するみたいな話が、昔読んだ『55歳からのハローライフ』にもあったような気がする。
「駅前にて」
不幸なおじさんを見ると自分を見ているような気分になり、今回も語り手の夫の、家から出られなくなってしまった男をひどく切なく思った。
私は家から出られるが、いつかそういうことになるのではないかと思うこともある。
今回はキューバに行くことになるかもしれない、というところで終わる。だんだんと「留学しばり」が戻ってきた。
「空港にて」
義肢を作る勉強をするために熊本へ行こうとする女性が語り手。そしてまた不幸な夫(元夫)が登場する。
この短編集は、ある特定の場所で、現在の状況と過去の状況が行ったり来たりするというのが共通している。
英語を勉強するために、ビジネス書のような、自分を奮い立たせてくれるような(留学したくなるような)ものを少しだけ期待したのだが、そのような単純なものを村上龍が書くわけが無い。
とてもおもしろい短編集だった。
「コンビニにて」
誰が語っているかによって、どのように描写されるかが変わるということを、たぶん村上龍は主張したいのだろうと思った。
語り手は音響の仕事をしていた青年で、周囲の音や、そこから理解される周りの人間の行動に敏感である。
何がすごいと言って、何も起きないのに、何か感じるものがあるのがすごい。
「居酒屋にて」
居酒屋で男女六人が食事をしていて、そこでテレビではプロ野球中継が放送されていて巨人の桑田が投げて、横浜の鈴木がバッター。その短い時間に、語り手の祐子が語る。
最初の短編ではアメリカに映画を学びにいく青年の話で、この短編ではフランスに絵の勉強をしにいこうとする女性の話だった。
この本はまだたくさんの短編が入っているが、すべて別の国、別の芸術、の話をするのだろうか。
「公園にて」
和歌山カレー事件が取り上げられる。その当時に書かれたのだろうか。少しあとのようだが。
「公園デビュー」とか、幼い子どもを公園に連れて行くのにも母親同士の礼儀があるというようなことがよく言われた時期があった。
フウタ君のおかあさんが生物学の研究のためにアメリカに留学するという話が出てくる。
今回は語り手ではなく、その知り合いの留学。
村上龍はいまでも(といって十五年ほど前か)SMとか言っているのだなと思った。
村上龍を僕が好きになったのは『トパーズ』を読んだころだ。
「カラオケルームにて」
いままでもっとも切ない。もうやめてぇ、という感じ。
村上龍はマッチョな作家のようでいて、切なさをとても巧みに描く。
語り手がおじさんだからかもしれない。おじさんの話に共感なんかしないだろうと若いころは思っていたはずだが、すっかり共感できる。
吉永小百合とマヒナスターズの歌「寒い朝」のイントロと第一小節あたりを歌うまでの間の短い時間の間に過去を振り返る。
この歌を聞いたことがなかったので探して聴いてみたが、イントロは非常に短い。この間にあんなにいろいろと考えたの、と思う。
懐かしい歌といえば、最近DA PUMPが再度売れて、昔の歌も歌うのでテレビで見ることがあるのだが、非常に懐かしい。ISSAは変わらず歌が上手い。
「仲間の中古のオープンカー」と歌うのを聞くと「オープンのツーシーター」を思い出す。
僕がもしも十五歳から二十五歳くらいの金色の髪と赤い髪の二人の女の子とカラオケに行くようなことがあれば、DA PUMPを歌おうと思う。
そういえば、誰か留学したっけ?
「披露宴会場にて」
映画のシナリオを書いている男が最後に謎解きをして終わる。
この謎解きが正解なのかどうかはわからないが、小説として上手く纏まっていると思う。上手。
ここでも誰も留学しない。この短編集の「留学しばり」はなくなったのだろう。
「クリスマス」
これだけタイトルに「にて」が付かない。
クリスマスの夜にパーティのチラシを見てそこに行く話。
モロッコに行くというような話があるので、これを留学と呼べるのかもしれない。
なにかパーティに参加するみたいな話が、昔読んだ『55歳からのハローライフ』にもあったような気がする。
「駅前にて」
不幸なおじさんを見ると自分を見ているような気分になり、今回も語り手の夫の、家から出られなくなってしまった男をひどく切なく思った。
私は家から出られるが、いつかそういうことになるのではないかと思うこともある。
今回はキューバに行くことになるかもしれない、というところで終わる。だんだんと「留学しばり」が戻ってきた。
「空港にて」
義肢を作る勉強をするために熊本へ行こうとする女性が語り手。そしてまた不幸な夫(元夫)が登場する。
この短編集は、ある特定の場所で、現在の状況と過去の状況が行ったり来たりするというのが共通している。
英語を勉強するために、ビジネス書のような、自分を奮い立たせてくれるような(留学したくなるような)ものを少しだけ期待したのだが、そのような単純なものを村上龍が書くわけが無い。
とてもおもしろい短編集だった。