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遠藤周作『キリストの誕生』

2016年03月21日 00時13分02秒 | 文学
遠藤周作『キリストの誕生』(新潮文庫)を読んだ。
多く描かれているからだろうが、ポーロ(パウロ)に興味を持った。
佐藤優と中村うさぎの本ではパウロはあまり好意的に描かれていなかったが、僕には気になる存在だった。俺だけが知っているんだ、と思って懸命に走り抜く人って大切な存在です。そういうひとがいるから組織は維持できる。
非常に苦しんだんだろうなと思い、パウロの書簡を読んでみたくなった。使徒行伝などよりも興味を持った。
《まずポーロの心には律法にたいする絶望感があった。律法を守ることは自力で救われることの自信に他ならぬ。だが彼は律法の限界と、律法にとらわれるゆえに、かえって罪の泥沼に陥ちていく人間の業を徹底的に知っていた。人間が自力では救われぬという絶望感も持っていた。》(164頁)
遠藤周作は意図して、だろうが親鸞のようにポーロを描くので興味を惹かれる。

また、
《人間がもし現代人のように、孤独を弄ばず、孤独を楽しむ演技をしなければ、正直、率直におのれの内面と向き合うならば、その心は必ず、ある存在を求めているのだ。》(250頁)
このように書く遠藤周作に興味がある。
『イエスの生涯』と『キリストの誕生』で、イエスの物語のあらすじはだいたい分かったが、僕にとってはまともにどうこう考えられるようなものではない。人物名もだれがヨハネだったか、ヨセフだったか、ヤコブだったか、すぐに忘れてしまいそうだ。同じ名前の人物が多い。
ただ、そのような物語を信じることが、信じざるを得ないことが、どういうことをひとの気持ちにもたらすものなのかに非常に興味がある。それは特にキリスト教的な神である必要はなくて、いわゆる超越を感じるということに興味を持っている。

シリーズ”遠藤周作でたどる聖書”のこれまで。
プロローグ「遠藤周作でたどる聖書
第一回「橋爪大三郎・ 大澤真幸『ふしぎなキリスト教』
間奏「遠藤周作は没後20年なのにみんな沈黙ですか。
第二回「遠藤周作『イエスの生涯』
第三回「佐藤優・中村うさぎ『聖書を語る』
第四回「コルム・トビーン『マリアが語り遺したこと』
第五回「佐藤優・中村うさぎ『聖書を読む』
第六回「若松英輔『生きる哲学』

いつのまにか今回は第七回だったのです。
このシリーズのゴールは山本七平『聖書の常識』なのだが、なかなか辿り着きそうにない。そもそも遠藤周作をまだ二冊しか読んでいない。
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