ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

平田オリザ『わかりあえないことから』、漱石『こころ』半分

2013年04月28日 23時17分48秒 | 文学
刊行されたときに気になっていた、平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)を読んだ。
企業は、自分の意見をきちんと言える人材を求めているといいながら、実は上司の意見を暗黙の裡に感じ取る人材を求めている、という話がこの本の売り文句だったので、そういう話が続くのかと期待していたら、そういう話はあんまり続かず、平田オリザの演劇論の話が中心になった。
おもしろくないことはないが、期待していたものとは違った。
わかりあえると思っているから苦しむので、わかりあえないものだという前提で、ある程度慣れていくことでコミュニケーション能力を上げるという発想は良いと思った。

夏目漱石の『こころ』を半分くらい読んだ。「下 先生と遺書」に入ったところ。
「中 両親と私」で父親があんなに死にそうになっていることをまったく忘れていた。死にそうな父親を放っておいて汽車で先生のところに向かおうとするところで終わる。そういう気持ちって、なんだかよくわからないなあ。そういう気持ちが(世の中に)ある、ということはわかる。でもいまの自分としてそのような気持ちになるということは想像できない。十年前ならあったかもしれない、そんなことを思う。
死にそうな父親というものに、十年前よりも興味がある(?)ということかもしれない。先生みたいな物言いをする人に十年前よりも興味がなくなった。
年齢というものは侮れない。
今回は「私」を「わたくし」と読むことに気を付けている。うっかりするとつい「わたし」と読んでしまっている。新潮文庫でもきちんと「わたくし」とルビが振られているので「わたくし」が正しい。
それがどういうことを意味するかはよくわからないけれど、本を読むというのは自分を捨てて他人の身に自分を置くということなのだろうから、「わたくし」で読まなければいけない気がする。そのうち旧かな遣いで読むべきと思い始めるかもしれない。
コメント