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内田樹・石川康宏『若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』

2010年08月04日 23時06分44秒 | 文学
内田樹と石川康宏の『若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』(かもがわ出版)を図書館で借りて読んだ。ふたりの往復書簡という格好の本。
さきほどまでWiiで通信で麻雀をやっていたのだが、途中で通信が切れたひとがひとりいたようで、そのひとの番になるとしばらく待たされて、ツモった右端の牌をそのまま自動的に捨てるという行為を繰り返し見せられることになった。ほかの三人は結構待たされる。
仮想のゲームに限らず、実際に麻雀する場合でも、そのなかのひとりが漫画を読みながらとかケータイを見ながらとかぼうっとしながらとかで、「おい、お前の番だよ」と毎回言わないとやらなかったりすると、「いい加減にしろよ」と言いたくなる。リズムを崩されるのが嫌なのだ。(そんな奴でもいなくなると困るので「もう帰れ」と言えないのが麻雀のつらいところだ。)
ところで、この本は内田樹と石川康宏が交代で話す感じの本なのだが、石川康宏には内田樹の意図がぜんぜんくめていないのではないかと思った。内田樹は石川康宏に語りかけているのに、石川康宏は内田樹のほうをまったく向いていない。彼の考える「若者」のほうにしか語りかけていない。
そういう語り方って(少なくとも僕は)、この本には期待していなかったんだけどな。
もっと、大人ふたりの、「マルクスってあれだよね」「そうだよね。で、あれは、フフフ、こうだよね」みたいなものを期待していた。
内田樹ひとりの本でマルクスを語るということのほうが良かったんじゃないかと思う。僕には石川康宏の文章が読めなかった。麻雀で喩えると「お前、早く捨てろよ。ウチダが待ってるじゃないか」と思いながら読んでいた。いや読んでもいなかった。

マルクスの本では『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』を読んでみようと思った。
《マルクスは人間が自己利益の追求を最優先することを止めて、自分の幸福と利益を気づかうのと同じ熱意をもって隣人の幸福と利益を気づかう「類的存在」になることを「人間的解放の完遂」だと考えました。》(92頁)
「類的存在」については、いちどマルクスを読んだときに気になったのだが、そういうことだったのかと納得できた。
さういふ存在に、わたしはなりたい。
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