ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

山崎正和『不機嫌の時代』

2010年08月01日 09時09分14秒 | 文学
丸谷才一おすすめの本である山崎正和の『不機嫌の時代』(講談社学術文庫)を読んだ。
半分くらいはものすごく面白くて、「これは、山崎正和の本はすべて読まねばなるまい」という気分にまでなっていたのだけれど、後半はあまり新たな発見が僕にはなく、まあまあおもしろかったかな、という感じになってしまった。
もっともおもしろかったのはこんなところ。
《いひかえれば、人間相互のあひだには「隠さずに云へ」る最終の真情といふものがあり、それは言葉で確認し得るものだといふ、素朴な自然主義だつだといへる。そして、人間心理についてのこの無邪気な自然主義は、近代の写実文学の作者はもとより、たがひに愛の「真実」を求める無数の青年男女を脅迫して来た観念なのである。》(62頁)
人間のこころのなかには性格や論理がある、ということがそもそもフィクションであるということを感じさせる話や、時間の観念は作られたものであるとか、歴史の記述はすべてが終わったとき遡って初めて可能であるとか、そのようなことを言っている文章にこのところものすごく共感する。
『不機嫌の時代』で取り上げられるのは、日露戦争が終わったあとの文学者、志賀直哉や永井荷風や森鴎外や夏目漱石で、そのへんの文学者にはとても興味があるのでおもしろかった。特に夏目漱石の『行人』と『道草』はまた読むべきだと思った。
不機嫌というのは明確な原因があって生じるものではなく気分であり、そしてひとりでいるときではなく近しい誰かといるときになるものであるというところは、志賀直哉や夏目漱石の話としてではなく、自分の経験として納得できるものだった。僕も実家で母親といるときはかなり不機嫌な少年(青年)だったと思う。いまも不機嫌な夫であることもある。
コメント