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☆村上春樹「国境の南、太陽の西」感想

2009年09月05日 23時15分49秒 | 文学
病院食というものにどれほどのひとが感動するのかわからないけれど、僕は入院中にわりと好きだったミネストローネを今日は家で作って食べてみた。
もちろん、入院中ほどの感動はなかった。
まあおいしかったのですが。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)会社の上司が「『ノルウェイの森』よりも『国境の南、太陽の西』のほうがおもしろいと思う。読め」というので、読まなくてもいいのだが少し気持ちが動いて、村上春樹の「国境の南、太陽の西」(講談社文庫)を久しぶりに読んでみた。
堪能した。
かつて読んだときは、おそらく独身だったと思うのだが、そのときは島本さんが雨の降る日に足を引き摺りながらバーにやってくる、という印象だけが残った。なんだかよくわかんない話だなと思っておもしろいと思っていなかった。
今回読んでみて、これは浮気の話なのだと思った。
酒と女といえば男の甲斐性と言われ、浮気のひとつもしなければ、とか、浮気がばれたぐらいのことは男にとっては何ほどのこともないという態度を日本の演歌や、(よく知らないけど)吉行淳之介的な日本文学は貫き通してきたわけなのだが、ほんとうはそんなこともなくて、誠実にきちんと悩んでそして心は傷つくものだ、という話なんじゃないかと思った。
ものすごく、悩んでいる姿をきちんと描いた小説だと思った。
男の(村上春樹の)身勝手な浮気心や、男(村上春樹)にとって都合のよい女たちを描いた作品だ、と、もしかしたらそういう読み方をしてしまうひともいるのかもしれないのだが、そのような、主人公の心に寄り添わない(客観的な?)読み方を最近私はしない。そういうのは間違った読み方だとさえ思ってしまっている。

島本さんは実はもう死んでいて、主人公をあちらの世界に連れていくためにやってきた存在である、という解釈も許すように作ってあって(レコードと十万円の入った封筒がなくなるところ)、そういう村上春樹の抜け目のないところもいいと思う。
主人公が地獄に堕ちるのをずっと待っていた(ような)イズミ、幼稚園の前で話す260E(車の名前らしい)に乗った若い女、妻の有紀子、そして島本さんと、主人公の周りの四人の女たちはそれぞれ、カタカナ名前、無名、漢字名前、姓、で分けて呼ばれる。
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