新橋の沖縄料理店「竹富島」で開催された「沖縄フアンクラブ」の忘年会に久々に出席しました。来賓の糸数琉球新報支社長以下20名の賑わい。
首都圏には沖縄関係の懇親グループは数多くありますが「沖縄フアンクラブ」はそれ以前には微妙な並立関係にあった東京沖縄県人会と関東沖縄経営者協会両組織の会長を史上初めて兼任した故竹田会長が発起、その遺志を受け継いだ故植木会長と現矢野会長が継承、強化した首都圏に於ける文字通りの“沖縄フアンクラブ”
私は当初 “県出身自らの自分達のフアン組織を担うのはどうも”と躊躇気味でしたが、“県人組織とのパイプ役も必要だからと”とそれまで何かとお世話になった両会長の強いご意向辞退し難く、設立趣意書原案の作成や竹田、矢野両会長と共に準備資金としてそれぞれ10万円を寄付した記憶もありますが、その後の活動では余りお役に立たず、名ばかりの常任理事を拝命しています。
当初設立準備に動いた笠原女史の跡を自ら買って出た竹内事務局次長によって会報発行や様々な部会活動が生まれました。現在は矢野会長の意向を受け、体調不良でリタイヤした竹内局長の跡を継いだ岡田、屋良両氏が事務局業務を担い活動しています。
本会の際立った特徴はメンバーに内閣府、郵政、日銀、裁判所等沖縄駐在赴任の官庁公務経験の方々が多いことです。沖縄滞在は1年から数年と様々ですが“沖縄を占拠したヤマトンチュ”として現地で揶揄、排される等の経験を浴びつつ沖縄に対する忘れ難い記憶と思い入れがあるようで、この宵も酔いが廻る毎に懐かしい往時と辛口沖縄批判と率直、腹蔵ない会話に滅多にない交流経験をしました。
那覇マラソンお疲れ様。竹富島と言う文字に敏感に反応しました。 理由は私が竹富出身だからです。 オ-ナ-が竹富出身ですか?