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マラソン考② 

2007年06月27日 | 「マラソン挑戦」
 マラソンは孤独で暗いスポーツだ。作家の故灰谷健次郎やシンガーソングライターの高石ともや氏達愛好家がどんなにマラソンの楽しさや明るさを強調しようがそれはゴール後の話であって苦痛に耐え、上がる息に喘ぐレースの最中は辛く、苦しいに決まってる。マラソンには他のスポーツに見られる俊敏性や躍動美、競技中の他の参加者との交歓や歓声が無くただひたすら孤独だ。迫り来る自分の体力の限界との戦いであり、その本質はストイックと克己だ。ひよっとするとマゾヒステックでさえある。
             
 四二キロに飽きた人は一〇〇キロのウルトラマラソンやより過激なスパルタンに挑戦する。はては福岡~東京千キロに挑む人が出てくる。こうなればまるで叡山の修行だ。人々はゴールで手を合わせ涙を流し、千日迴峰を果たした阿闍梨のように完走者を迎える。 
 マラソンレースのプロセスは「生」が限り無く自らを「死」に追い詰めているようなものだ。ゴールの悦びは「生還」への歓喜に他ならない。それはエクスタシーに似ている。エクスタシーは癖になるからマラソンへの挑戦は癖になるに違いないのだろう。
 近代のスポーツは多かれ少なかれ似たようなものだが、それにしても人類が本来何事かなすために与えられた機能としての「赱力」を自己目的化し「競技種目化」あるいは趣味にしているのは考えれば奇妙だ。 
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1 コメント

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マラソンデビューほど遠く (屋良朝男)
2007-06-27 19:14:05
私も早朝ジョギングを始めました。
どうも体の調子が悪いなぁ。
きっと新陳代謝が落ちている。
そうだ走ろう!
そんなシンプルな理由でした。
愚妻の「どうせ三日坊主」の声に燃えた訳でのないが、
一ヶ月が経過しました。
2kmを20分くらいのビギナーペースですが、
サラサラした汗が体から湧きでる不思議な感じは、
業務で冷や汗を掻いている自分とは別人を演じているようで気分爽快。
フルマラソンを走ることは夢にも思ってませんが、
ストイックな気分の42.195km/2kmは分かるるような気がいたします。
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