(チャター船で古仁屋港を後に加計呂麻へ)
「奄美ICTツアー」の二日目、先般豪雨災害で断念した故郷・加計呂麻への渡航実現。奄美市手配のバスにて名瀬から古仁屋へ1時間余で到着。
祝日休日にも拘らず、瀬戸内役場には企画課長とWEB担当者お二人の出迎えを受け、直ちに港へ直行、町が仕立てた船で対岸の加計呂麻島・生間(イケンマ)港に向かい、そこから役所保有の車2台で俵(ヒョウ)武名(タケナ)薩川(サツカワ)と懐かしい村々の山間、沿岸を縦断、途中「呑之浦湾」の「死の棘」でも有名な島尾敏男記念碑と特攻艇「震洋」豪に立ち寄る幸運に廻り合いました。
この日、たまたま公用車で私を案内してくれた瀬戸内役場のWEB担当の若手職員と語り合っている内に、何と彼のご母堂が重田姓で同郷の遠縁幼友と分かり、ことの序に須子茂まで案内して貰い、本家筋の従兄宅を訪ね祖先位牌お参りが出来ました。改めて島の人の繋がりの濃密さを思い知りました。
今回の加計呂麻廻りで最もショックだったのは表、薩川、木慈、須子茂等の小学校が全て2~3年内に廃校見込みで、島では伊子茂小学校1校だけになるという。
実は、休日にも拘らず二人の職員がわざわざ出勤、私達をエスコートしてくれたのは、この廃校舎の活用提案が一つの大きな目的でした。緑に覆われ山と海に囲まれた校舎を見ていると常設開発センターというより一時滞在の研修センターに向いているように感じました。
至る所”松食い虫”に食い荒らされ赤茶けているとは言え、この緑豊かな森林は島一番の資産、一時訪問者の目を楽しませるだけでなく常時島に住む人達への有効活用もぜひ検討されたらと思いました。
(廃校される俵中学正門前で)
すごく羨ましいです。
廃校がどう生まれ変わるのか興味深いです。