周防教会・牧会ジャーナル

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3月17―23日

2019年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

2009年4月~2019年3月。まるで通常の牧師の任期期間のような10年。隠退されてから私財を投げ打って島の教会を牧してくださった。それが自らの務めの最終章となる。辻建牧師。享年86。全国の楽隠居されている隠退牧師さん。あなたの最終章を無牧の教会で綴りませんか?ただし謙虚な方に限りますが。

 

3/17(日) 主治医から「危ない」と告げられたとの連絡を大島教会の役員より受け、辻建牧師が入院されている病院へ急行した。聞き取りにくいお声ではあったが、ちゃんと会話も成立していたので、到底「危ない」なんて思えなかった。なのにまるでドラマか映画のワンシーンを観ているように、「大島をよろしく」との言葉を残し眠りにつかれた。かっこ良過ぎますよ。

 

18(月) 明日は「友引」なので斎場が休みになり日程が一日ずれた。田舎ではいまだに友引は禁忌という風習が残っている。だけどそのおかげ?で、ドイツから帰って来られた娘さんも前夜式から出席することができた。辻牧師に「僕の葬儀は頼みます」と言われたのは5年ほど前のこと。それまでに僕の隠退の方が先やと高をくくっていたのに。ちょっと早過ぎますよ。

 

19(火) 前夜式。あちこちから沢山の方々が参列に来られた。中には四国からフェリーで来て、とんぼ返りされた牧師も。ことのほか涙腺の弱い僕はなるべく泣いている人の顔を見ないようにして式を進める。なんとか式を終えた後、お孫さんの萌さんに言われた。「村田牧師の真面目な姿を初めて見ました」。おっしゃる通り。自分でも自分ではないような気がしてます。

 

20(水) 告別式。萌さんの言葉に目を覚まされ、今日は真面目な自分を棄て、いつもの自分で送り出すことにした。「辻牧師に初めて会った時は雲の上のような存在でしたが、ほんまに雲の上に行ってしまいました」等々、冗談を連発。今さら「こんな葬儀を頼んだんやない!」なんて言われても自己責任ですよ。でも遺族代表の挨拶で、学さんも笑わせてくれましたよ。

 

21(木) 今日は虚脱状態で一日を過ごす。実は辻牧師が亡くなられた日にうちの次女の彩七に三人目が生まれたので上の子らはうちで預かっている。そしてこの子らはなぜか僕を怖れている(もちろん身に覚えはあるけれど)。妻が一番上の孫にひらがなを教えていた時、こんなことを言ったとか。「『じいちゃんキライ』ってどうかくの?」。ようし、こっちも本気出すぞ。

 

22(金) 栗栖さんのお見舞いへ。預かった手紙を帰って読んでみた。何じゃこりゃ?遺言状みたいやぞ。普段より丁寧に書いてはいるが誤字脱字だらけやがな。教会に献金をしてくれるというのはええが金額が書いてないし。日付も無ければ名前も無い。まあそれはそれとして、あなたはまだすこぶる元気ですから。あり余るほど時間があるので、もう一回書き直し。

 

23(土) 今週は時間の感覚が狂ってしまい、今日が日曜日だとばかり思い込んでいた。そのおかげで一日のんびりと過ごす。そう言えばさっき気付いたんやが、教会の玄関に藁が散らばっていた。早くもツバメがやって来て去年の古巣の改装を始めたようや。『初燕 一筆書きで 巣にもどる』なんていう俳句があるが、これからはフン爆弾にはくれぐれもご注意を。


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1 コメント

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辻牧師のこと (大阪・うめのはな)
2019-03-24 00:31:07
辻牧師のこと、いろいろ思い出します。1977年、仙台から神戸にやってきて、ほとんどすぐにお会いして、学ばせていただいた。教区や教団でもお世話になった。大阪で祈っていた。
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