周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

7月19―25日

2009年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo山陽自動車道(下り)を防府市の土石流災害の救援に向かう自衛隊のトラック。 僕には夢がある。自衛隊が全ての武器を棄てて、レスキューに徹底すること。国内のみならず世界中の災害や危機に無償で駆けつけること。そうすれば戦争責任を果たすとともに、あらゆる国から攻撃を受ける心配もなくなり、堂々と九条を謳うこともできる。

7/19(日) 全国あちこちでこの夏の花火大会が中止になっている。このご時世わずか数秒で消える花火に金かけられんわなあ。今日、柳井のショッピングセンターで花火コーナーの前にしゃがみ込むことしばし。色々と迷ったが決断した。わずか数秒で消える花火を盛大に買うぞ。キャンプの花火くらいパーッとやらにゃ。

20(月) 別府に旅した時に買った「温泉の素」を入れて風呂に入る。湯に浸した両手で鼻と口を覆って匂いを嗅ぐと温泉が香る。しかしうっとりしているのは僕だけで、硫黄のにおいが廊下に洩れているらしく、子供らが臭い臭いと大騒ぎ。結局そのあと誰も風呂に入らず、無情にも温泉の栓は抜かれてしまったのでした。

21(火) 朝から雷雨。携帯電話で雨雲レーダーを見ると、強烈な雷雲が大挙してこちらに向かっている。これは大変や!落雷に備えて教会中のコンセントから電気器具のプラグを外して回った。雷雲が去ったあと再びプラグを元に戻したのはええが、ウォシュレットのセッティングをし忘れて冷水を穴に噴射して飛び上がった。

22(水) 日食。山口では87%まで欠けた太陽が見られるというので、古いビデオのテープを切って太陽を覗いた。フィルムのせいでオレンジ色の三日月のように見える。それだけでも神秘的やが、やはり皆既日食で周囲が真っ暗になるという体験をしてみたい。行きさき真っ暗!っていう体験なら今まで何度もあるけどね。

23(木) 彩七(サイナ)を光の病院に送った後、朝飯を買って黒岩峡へ。蝉と小鳥の声。川のせせらぎを聴き…と言いたいとこやが普段は狭い川が先日の大雨で増水して騒がしく音を立てている。それでも朝食をこんな素敵な自然の中で食べられる幸せよ。駐車場掃除のおばちゃんらさえ、側でベラベラしゃべらなきゃなあ。

24(金) 再び雷雲が県内を覆い、あちこちで避難勧告が出された。勧告なんて言葉を聞くと、どうしてもトラウマのように、あの忌まわしい「牧師退任勧告」を思い出すけれど、前者は人を助けるための勧告で、後者は人を切るための勧告。しかし山口県内の「土砂災害危険箇所」は2万箇所とか。むしろどこが安全か教えてくれい!

25(土) 作業の途中で降り出した雨に濡れながら、ともすれば萎えてしまいそうな気持ちを奮い立たせつつフェスティバルの準備をする。明日の降水確率は80%。しかも西日本はまたしても豪雨予想。雨ってこんなにヴォルテージを下げ、活力まで奪い去るものなのか。ま、晴れたら晴れたで、たぶん太陽を恨むんやろうけどね。


7月12―18日

2009年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 7月10日14時50分。親父は逝った。何度も死線を越えた親父やが最後はアッと言う間で僕は死に目に会えんかった。葬儀屋が「キリスト教の葬儀もいくつか出ましたがこんな温かい式は初めてです」と言ってくれた。リップサービスかも知れんが嬉しかった。家族全員が別れの言葉を贈ったが…親父、みんな少しリップサービスしたよ。

7/12(日) 本当は今日の礼拝が終わってから大阪の実家に帰る予定やった。10日に父急死の知らせを受け、昨日久米田教会で家族だけのお別れをし、今朝早く父親の骨上げをした。周防のことは全部信徒たちに任せて山口をあとにしたが「無事に終えましたよ」とのメールが珠さんから入る。さすがやな。周防教会。

13(月) S&Gと言えば僕らの青春に大きな影響を与えたサイモン&ガーファンクルのこと。実は今夜開かれる彼らの大阪公演に合わせて実家に帰るのが当初の計画やった。それがこんなことになって、周囲には「公演のついでに親父の葬式も済ませた」などといつもながら相手が応えに窮する発言をしておいた。そんな僕の

14(火) 正面100mちょっとの場所に米粒のような大きさにしか見えないけれど、子供の頃から憧れ続けていた二人が現れて、歌い始めたオープニング曲は『旧友』。日曜の夜、父の訃報を聞きつけて40年来の友達らが訪ねてくれた。暗いスタジアムに大音響で流れる歌を聴きながら、涙が溢れてどうにもならんかった。

15(水) この国から人一人いなくなるとうんざりするほどの手続きをしなければならず、おふくろと二人で東奔西走。岸和田市役所の職員はとても親切やったが、書面から次々と親父の生きていた痕跡が消されてゆくのが辛かった。ところで今回一番腑に落ちんかったのは死亡診断書。親父は家で亡くなったので

16(木) 警察の検死が入った。職務上、仕方のないこととは言え、おふくろと妹、それにヘルパーまで居たし、救命講習を受けていた妹が必死で蘇生をほどこしていたのを救急隊員も知っている。それだけならまだしも親父の遺体を見てもいない検死医に証明書代手数料として4万円も支払わされた。その書類が

17(金) 無いと火葬にできないという。泣きっ面に蜂とはまさにこのこと。しかも死亡診断書という文字が消されて「死体検案書」となる。あれだけ懸命に親父の介護をしていたおふくろの気持ちを思うと悔しくてならない。よく「畳の上で死にたい」という言葉を聞くが、へたに自宅で死ぬと、疑われた上に金がかかる世の中や。

18(土) もっと母の側に居てあげたかったけれど、後は妹に任せ実家を出たのは午前2時。カーステレオから流れるのは『旧友』。僕には山口で待ってくれている友、それに全国あちこちにも大切な友がいる。ところで親父の遺骨は祖父母の仏壇の横に安置されており、箱には葬儀屋のサービスで十字架が付けられていた。


6月28日―7月4日

2009年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 1000円のうな丼を注文するつもりやった。でも悲しき性。負けず嫌い。隣のサラリーマンが特上(1900円)を注文したのを聞いて、気が付くと僕の口は特選(2200円)をコールしていた。ただその後でこうして写メを撮るのをバッチリ見られてしもたんで事実上の負けを喫してしまう。だってこんな上等のうなぎ次いつ食えるかわからんもん。

6/28(日) ほぼ徹夜で迎えた日曜日。午後、気が付いて周囲を見渡すとさっきまで居たはずのみんなの姿がない。またしても礼拝堂の長椅子で眠ってしまったようや。そっと寝かしてくれたみんなの優しさが身にしみるけれど…これからの季節は出来れば蚊取り線香の1本くらいお供えしてくれてたら申し分なかったんやけど。

29(月) 牧師会後の夕食は工場の煙突の先から出た煙が直角に曲がって飛び去るほどの強風吹き荒れる屋上ビアガーデン。雨と風とコンロの火の粉が襲いくる中、「雨ニモマケズ風ニモマケズ…一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と言いたいけれど今日は時間制限の食い放題。肉ト魚トアルコールヲ食ッタ飲ンダ120分。

30(火) 今日明日と島根の山ん中の温泉で教区のある研修会が開かれる。本館の客室ではなく離れのコテージを借りたのは、安かったという理由だけではない。万が一のバカ騒ぎに備えて、宿と他の泊り客に迷惑をかけたくないという、トラブルを予測しての主催者(僕)判断。しかし今回のメンバーは、いたって大人しかったので

1(水) 心配は無用やった。もしこれがうちの分区の牧師やったら予防措置は大正解だったこと請け合いや。さて研修会の帰りに今日移転したはずの教区事務所に立ち寄る。ぼちぼち3時のお茶やろと踏んだが、今まさに山積みのダンボールを搬入せんとしているところ。やば!最悪のタイミングや。結局手伝うハメに。

2(木) 朝,昼,晩と連続相談の一日。中でも一人で来られたご高齢の男性はよほど鬱憤が溜まっていたんやろか、120分間食い放題…もとい、しゃべり放題。しかも本来の相談内容とはかけ離れた話をとうとうと語られ出した。でもその顔が次第に親父に見えてくる。認知が進んできた親父もこれくらい話せたらええのにな。

3(金) たぶん今週のような日々が毎日続いたら過労死してしまうやろな…なんて思える売れっ子芸人的な週やった。しかし地獄の看護実習が続いている彩七(サイナ)はもっと悲惨。午前3時、眠気覚ましに看護学生仲間と電話で励まし合っている。頑張る娘を送る早朝の高速道。父さんは…全然…眠く…なんか…ない…ぞ。ZZZ

4(土) 「サトシ君はのんびりタイプやろ?温厚やしストレスなんか溜まらへんちゃうん?」と統合失調症の友人が穏やかな口調で尋ねる。「そうでもないで」と応える僕は朝から不愉快なことがあって爆発寸前。でも彼と電話しているうちに怒りの炎が消えた。相談を受けながら自分が冷静になる。そんな彼の方が僕の心のドクター。