周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

8月19―25日

2012年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo キャンプ場で出会える可愛いお友達。誰が名づけたかその名もヘビトンボ。この子の幼少時代は「孫太郎虫」などと呼ばれ、あぶって食えば酒の肴になるし、子供の疳の虫にも効くという。ほんまかいな?せっかくあぶられずに成長したのに毎年キャンプファイヤーに飛び込む。そんなにあぶられたいんかよ?ところで疳の虫って・・どんな虫?

8/19(日)「別に出なくてもいいよ」と言ったのに、今日の礼拝に同志社大学の学生が三人出席。二人掛け椅子に三人がかしこまって座っている姿が何ともかわいい。失礼やが「こんな子らがねえ」と思ってしまうほど若い三人は、今年のクリスマスに亀の里の大イベントを叶えてくれる下見班。宜しくお願いいたします。

20(月) 事業団のサービス向上委員会。今回の会場はうち。あわてて作った麦茶がまだ冷えていない。冷えてない麦茶はガッカリする。でも昔の麦茶は常温か、せいぜい水道水の温度やったのに今よりも美味かった気がする。麦茶は冷たいものやというイメージに慣れてしまった僕は何かを失っとるぞ。きっとな。

21(火) 最低気温が22~23℃になり、昼間まだ騒がしいセミから、夜になると秋の虫にバトンが渡される。秋が来てるんや。でもせめてコオロギかスズムシにしてくれ。いきなりクツワムシやツユムシに渡すなよ。こいつらうるさくてしょうがない。おまけに僕が寝てる部屋のどっかで嫌がらせのように鳴きやがる。あぶるぞ。

22(水) 夜、角田一家が来会。無謀にも夏休み中なのに山賊に行って来たらしい。「義理の兄が来たので」とのこと。俗に言う「接待山賊」や。しかも予約無しのゴールデンタイムやで。二時間待たされたとか。それはそれはご愁傷さまでした。山賊を期待して来られるお客様に告げます。土日祝日春夏冬休みは勘弁して。

23(木) 代車に乗っている。またしてもプレちゃんが入院したのである。今回は「パネルがだんだん真っ暗になってゆく症候群」。ガソリンゲージから始まり、順に水温計、スピードゲージ、タコメーターと暗くなっていく。なのに食欲だけは旺盛の燃料食い。マネーピットか、お前は!最近、車に化けた貧乏神に思えてしょうがない。 あぶるぞ!

24(金) 谷村牧師率いる、滋賀の水口幼稚園職員一行が来山。「山賊で食事をするので招待します。予約もしてますよ」と誘われ、「ほなしょうないわなあ~」といそいそ出かける。でも予約のコースは「満腹食い倒れ救急車送迎付きコース」。みんな残った山賊ムスビを包んでもらっとるが・・あんたらホンマに後で食うんやろな?

25(土) 昨夜の一行をマイクロバスに乗せて山口見物へ。分刻みの殺人ツアー。朝の早よから出発し、マジ駆け足で秋吉台を観て、仙崎で昼飯をかきこみ、青海島の観光船でゲロゲロになって・・。きっと「二度と山口になんか来るもんか」という思い出が一杯でしょ。ところで昨日のムスビ。ちゃんと食ったやろな?


8月12―18日

2012年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 夜の岸和田城にはたぶん初めて行った。ムシムシした大阪の夜空にライトアップされている。間もなくやってくるだんじり祭りを前に、あちらこちらから準備練習の太鼓や笛の音が聞こえる。やっぱ血が騒ぐ。子供の頃は声が枯れるまで叫びながらだんじりを曳き回したなあ。そういや最近声を枯らした経験がない。知識は枯れまくっているが。

8/12(日) 礼拝後、東京からのお客さん一家に「まあ自由勝手に泊ってってチョ」とだけ言い残して、自分だけそそくさと大阪へ。車の荷台には明日の夜、岸和田の実家で開かれる飲み会のためビールサーバーと生ビールの大タンクを積んでいる。これでヤキソバの鉄板とカキ氷機も積みこんだら大阪で夜店が出せるぞ。

13(月) 夜、竹馬の友が集合。それぞれちゃんとした職について、自分の家も持って、立派に生活をしている友達らをうらやましそうな目で見ているのは僕の母親。しかしそんな連中たちの会話で一番盛り上がったのは、薄くなった頭髪の話題。どや!牧師をしているだけあって僕の「カミ」が一番豊かではないか!

14(火) ドライブがてらに行った久米田寺の鐘楼堂で天語が「この鐘撞いてもええん?」と言ったので、「ええよ」と言ったらホンマにゴ~ンと撞きやがった。子供のころ、鐘を撞いて遊んで、住職に追いかけられた時、鐘楼堂の梁で顔を打って鼻血まみれになった記憶がよみがえる。幸いに住職は出て来んかった。

15(水) 教会の同窓会なるものに初めて参加した。20年30年ぶりに会う友達もいたが、みんな変わらんなあ。不思議と最近まで一緒にいたような感覚になる。ここでも「カミ」だけは褒められた。そりゃそうよ!これでも僕は牧師をして・・。こんなこと言うから「さとべえは昔と変わらんのう」と違った意味で言われるんやな。

16(木) 大阪に帰ったらお好み焼きときつねうどんは食べて帰らにゃ。昼は親戚の叔父らとお好みを。夜は母ときつねうどんを食べて帰途へ。「山口に着いたら電話しいや」という母に「真夜中に着くからせえへんで。事故りゃ連絡いくやろ」と言って出発。次帰るのは三月後の母の喜寿の日。それまで生きててや。

17(金) おかしい。教会の自動ドアが動かん。そう言や留守中の山口は半端じゃない雷雨やったと彩七が言っていた。ブレーカーも大丈夫やし、見かけの故障は無い。やっぱ近くに落雷でもあったんやな。修理会社に来てもらったら単に本体側のスイッチが切れているだけやった。出張料はオロナミンCで勘弁してもらう。

18(土) 先週何年かぶりで大島の友人宅を訪ねた時のこと。玄関のベルを押したら中学生の娘が出てきた。僕の顔を見てすぐに家人を呼びに行ったまではええが、「川でウンコした人が来た」と言ったという。確かにこの子も昔キャンプに参加しとった。あのな、ええこと教えたろ。君の両親の結婚式をしたのがこのウンコおじさんや。


8月5―11日

2012年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

2012

2012_2

2012kyannpu

2012_32012_4

2012

キャンプ前日。豪雨で濁流と化した川を見ると、正直気分がなえた。いつまでこんなキャンプを続けるんやろか・・と。川は怖い。決してこういう場所にテントを立ててはいけない。でも、一夜明けた川の美しさを見るとやめられんのよね。もしかしたら、川って「饒速水琥珀主(ニギハヤミコハクヌシ)」のような、素敵な神さまが棲んでいるんかもなあ。

            

 

8/5(日) 9年ぶりの洗礼式。やり方を忘れかけていた。洗礼盤をゴソゴソ探し出す。ちょっとサビとるな。受洗希望者本人の「気楽な式がいいです」という注文に応えて、僕の夏の正装アロハ姿で式を行なう。彼への洗礼条件はこうや。「洗礼を受けたからといって、心の病は治らんよ」。「承知しています」。ようこそ周防教会員の世界へ。

6(月) アロハと言えば山口のハワイ夏真っ盛りの大島へ軽トラックを借りに行く。大島教会員が経営するアロハオレンジでハワイ料理を食べて、帰りにハワイショップでハワイのお菓子を買う。まさにハワイ尽くし。ところでハワイには虫歯の人がおらんことを知っとるか?ハワイ、はわい、歯はイイ・・・。滑りましたな。

7(火) キャンプ前日から場所取り前泊をして、荷物を運び入れ、テントを立てたり、色んな準備を青年たちと泊まりながら行なうのが恒例行事。今年も意気揚々と前日に現地入りした。が、山間部は豪雨に見舞われていて、川は茶色い濁流で大増水。しばし唖然。まぁよくあることや。「ものども、撤退じゃ!」の号令で引き返す。

8(水) 一夜明けてキャンプ本番。川のことは知り尽くしている。案の定、ひと晩で水は引き、ほぼ元の清流に戻っていた。昨夜の濁流ごときで中止する訳にゃいかん。なんせ今年は過去にない新兵器「発電機」を借りてきたので、夜の河原には100w球が輝き、冷えたビールサーバーまである。後は空の機嫌を祈るだけ。

9(木) キャンプ中日。昨日の夕方上流で雷雨があったらしく、やや水かさが増してきたが問題はない。カジカの鳴き声が渓谷に響き渡る。花火でボルテージを上げたまでは良かったが、なんと、今年は32名の参加者がそれぞれに用事が入って、夜までに21名がリタイヤ。え、まさか明日は残った11人で撤収作業するの?

10(金) 最終日。今年も無事に終わろうとしている。残った人間で片付けを始めた。使えないと思っていた高校生(帆波ら4人)や東京から来た小学生たちまでが頑張ってくれたおかげで、例年よりもスムーズに撤収作業ができた。毎年キャンプが終わった夜は、布団で眠れる幸せを感じる。虫に刺された痕を血が出るまで掻きながら。

11(土) 夜明け前の闇を引き裂くような雷と激しい雨。ネット画面で確認すると、まさにキャンプ場地域を中心に起こった雷雲ではないか!もし、キャンプが前後に一日でもズレていたら、濁流か雷雨に見舞われていた。思わず「神さまありがとう」と口に出してしまう。おっといけねえや。あやうく神の力を信じちまうところだったぜ。


7月29日―8月4日

2012年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo K牧師が出張する間、時々預かるワン公。人間なら還暦を過ぎ、古希に近い年齢。「こいつちょっと太り気味なんですよ」と言ったK牧師の言葉を「飼い主の責任でしょ」とA女史が咎めた。一本!それまで!さて明日からまたしばらく預けられることを知っているのか、K牧師が寝る布団を占領していた。その名も「ドリーム」。ええ夢見れよ。

7/29(日) 彩七が車を買い替えるので力を貸してほしいと言う。よっしゃ!父さんに任せとけ。なんぼの車や?500万か?1000万か?と言いたい気持ちはどんな父親にもあるやろ。僕の役目は「値切り」だけ。大阪人であり、また牧師をやってて得をしたと思えるのはまさにこの瞬間。今日も勉強させまっせ!

30(月) 今日の医師のインフォームド・コンセントは見事やった。今まで色んなインコンに立ち会ったけれど、この医師は病状説明の分り易さ、的確な例え、優しい口調、どれを取っても満点。牧師の仕事にも、ぜひ参考にしたい。でも僕の場合はみんな最初から疑いの目で見てくる。参考以前にどっか問題でもあるんかいな?

31(火) テントの予約に教育委員会へ。今年の参加者は約30人。一つのテントに4人として8張りほど必要やが、5張りだけ借りた。河原にテントを8つも張れる広さが無いからや。あぶれた連中は、河原か車の中、駐車場のアスファルトで寝るハメに。そんなキャンプに遠くは東京,埼玉から人が来る。大丈夫かいな?

1(水) 涙声で「どんな色でもいいからメダルが欲しかった」と語る選手。浮かぬ顔で銅メダルをかざす選手。金メダル以外いらんという選手。覚えておけ「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」。時は1908年ロンドンオリンピックで語られた名文句や。ちょっとは学んで帰れよ。

2(木) 広島大韓教会の中江牧師とラーメン屋にいる。支払い時に中江牧師が「僕に出させてください」と言われた。「いいや、お誘いをしたのは僕ですから僕が払います」と切り返したが、結局ごちそうしていただいた。次に関西人なら必ず言うセリフがこれです。「それやったらもっと高いもん注文しとくんやった」

3(金) 熊本大韓教会の金牧師が来泊。いつも彼を迎える時、僕は団子屋とらやのおいちゃんになったような気分になる。いわゆる「寅の奴、またフラれなきゃいいんだが・・」という気分のことや。48作まであの名作が続いたのは寅さんが失恋を繰り返したからこそ。そういうことなのでソンヒョ、また次回を期待してるよ。

4(土) 錦帯橋の花火大会。帆波と友達のアミが化粧をしたり、髪をいじくり過ぎて汽車に乗り遅れた。都会なら次の電車が5分や10分で来るが、悲しきかな岩徳線。次は1時間後。送ってと言われたが「あほか!お前ら自業自得じゃ!もう諦めろ」と断った。でも結局送って行く。恐い父親になる道はまだまだ遠い。