周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

11月19—25日

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

庭のイチョウが色づいた。黄色なのに紅葉とはこれいかに。左は一週間前。南沙織の『色づく街』という歌がある。高校時代アメフトの先輩が沙織の真似をしてこの歌を歌っていた。ウケないと怒られるので僕らは嫌々喝采を送った。紅葉を眺めながら思い出すのはその時の先輩の間抜けた顔。情緒もへったくれもあったもんやない。

 

 

11/19(日) 朝、帆波母子が夫の進次郎(あだ名)に連れられて岡山に帰って行った。「すぐに戻って来るからのう」などと言っていたが、母のことは心配せずクリスマスや年末年始、夫婦で貴重な子育て時間を過ごすがよい。やれやれと礼拝堂に入ったらバギーが置いたままや。友佳「すぐ戻るから置いてくって」

 

20(月) 亀の里のクリスマス募金依頼書の発送作業。毎年分区内教会から有志が集まって手伝ってくださる。ありがたいことや。いつも短時間で作業が終了するのは、何と言っても下手夫妻がひと月以上前から下準備をしてくださっていることに尽きる。それゆえどうかいつまでも達者でいて下さいますよう!

 

21(火) 紙芝居を借りに柳美幼稚園へ。園の横に颯爽とバイクを停めて降りようとしたらコケた。ちゃんとスタンドを出していなかったからや。しかし幸いなことにブロック塀のおかげで僕の体が間に挟まれただけで済んだ。それより園児や先生らにそんな不様な姿を見られてはいまいかと辺りをキョロキョロ。

 

22(水) 保育園礼拝。クリスマスに向けて年長児たちは熱心に生誕劇の練習をしていた。良い思い出に残るとええが。というのも高校でキリスト教の幼稚園に通っていた生徒に劇の思い出を聞いた時「天使?」とか「星?」とか「そういえば何かしたような」程度の記憶。まあその時が楽しかったらそれで良し。

 

23(木) 教会に来られた方にギンナンをお分けしている。みんな最初は遠慮しながら袋に入れているが「まだたくさんあるんですよ」と言ってカゴを見せると、次第にわし掴みに取り始め、最後は袋を一杯にされて帰る。食べ過ぎると体に異変を来すこともあると言われるギンナン。後のことまで知りまへんで。

 

24(金) 今は長女と二人で食事をしているがメニューが少し違う。娘は28日にドナーになるので「少しでも良い状態で肝臓を」という思いからの食事制限である。胸が熱くなる。そんな娘に僕は「ところでどこが痩せたねん?」とか憎まれ口をたたく。これも心を鬼にして涙を飲みつつの星一徹的スパルタ応援。

 

25(土) 共同墓地掃除をした後、みんなで天ぷら屋にランチを食べに行く。食事制限をしている長女は一人だけ車に残って何か食べている。僕はいいとして他のみんなは心が痛まないのか?ああ神よ、お許し下さい。この人たちは自分が何をしているのか分からないのです。僕は涙を飲みつつエビ天を追加した。


11月12―18日

2023年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

教会の玄関に掲示した今秋の天神祭りポスター。菅原の道真が生きた平安時代にはまだ日本にキリスト教は伝来していなかったが、よもや道真も天神祭りのポスターがキリスト教会に貼られるとは思っていなかったやろな。そもそも自分が神様にされるとは思わんかったやろ。イエスや釈迦も同意見?ほんに宗教とは摩訶不思議。

 

11/12(日) 朝、長女に起こされる「今日天神さんの掃除じゃないん?」。ありゃあ~!すっかり忘れとった。もう終わっとるがな。とりあえず境内に顔を出して18日の祭りのポスターをもらって帰って、教会の玄関に掲示した。祭り当日は教会の駐車場をお貸しすることになっているし、それで勘弁してちょ。

 

13(月) 妻の見舞いの帰り広島でクリスマスツリーのモールを買う。世間ではハロウィンが終わったと同時に、もうクリスマス商戦が始まっているし、平和大通りではイルミネーションの準備も進んでいる。今年は17日から点灯するらしい。教会も負けちゃおれんぞ。うちも早めにツリーを出すことにしよう。

 

14(火) 年一度の広島女学院高校授業。内容は「学年別特別プログラム/人生とキリスト教」。目的は「高校3年生の生徒たちに人生についての問いを投げかけて頂き、中高6年間を振り返るとともに将来の自分の人生について思いを新たにさせる」。知らんがな。だったら何でわしなんや?と毎年首をひねる。

 

15(水) 今月末に長女と長男から肝臓のW移植が行われることに決まり、妻への面会は一日15分だけとの制限がかかった。手術日まで風邪はもちろん、どんな病気にも感染させてはいけないのだ。考えれば時おり孫連れで見舞いに行くと病室は大騒ぎやったからな。しかし最も菌を保持していそうなのは僕かも。

 

16(木) 大阪の友人竹内夫婦が旅の途中で立ち寄ってくれた。夫婦でしまなみ海道を自転車借りて渡ってきたらしい。そうです。先週の週報で書いた自家製ヘルメットを常時備えているのが何を隠そう彼。そんな彼の名誉のために言いますと若い頃は紅顔の美少年(死語?)で髪ふさふさでした。これでええやろ?

 

17(金) 期末試験が近づいている中、どのクラスにどこまで授業を勧めたかが分からなくなり大混乱。メモはしておいたんやがこの二カ月、色んなことが重なって頭が回らなくなっていた。でもまあ何と言ってもたかが聖書の授業やからなあ。生徒に「この話し聞いた?」と尋ねながら進める。これでいいのだ!

 

18(土) バイクに自転車の防寒用ハンドルカバーを取り付けた。メッチャ温かい!そしてメッチャかっこ悪い!でも高齢ライダーの僕はそんなことは意に介していない。襲来する寒波、いつ雪になってもおかしくない時雨がパラつく中、娘たちからの「死ぬぞ」というラインを無視し、広島に向けて走らせた。


11月5―11日

2023年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

左が愛妻弁当で右が僕の手作り弁当。色取りから見ても左の方がきれいやし、ちゃんと野菜も添えられている。僕のはいわゆる茶色弁当で見た目も悪いし味も悪い。でもやっぱり茶色は食欲をそそる。沖縄で売っている弁当もほぼ茶色系でメチャ美味かった。栄養バランスやカロリーよりも食欲や!なんて言える立場ではない僕が言う。

 

11/5(日) 永眠者記念日。ずらりと並べられた写真を見る度に思うのは、願わくばこの写真が増えないことばかり。生きている限りいつかは別れの時が来ることは誰もが知っているけれど、それを受け入れられる人は少ない。愛する人を失った痛みを癒すのは神ではない。時間と、家族や仲間の支えに他ならない。

 

6(月) やっぱりな。自分でも分かっていたが案の定、原稿のダメ出しを食らった。そこで、提出した原稿を全て破棄して改めて一から書き直した。一時的に作家や漫画家の気分を味わう。締め切りは明日。しかし原稿料を頂く限りは責任を持って書かねばなるまい。なんぼ貰えるのって?挽いたコーヒー豆です。

 

7(火) 学校に着いたら礼拝担当の先生が僕を見て「ああ良かった」と安堵された。今日は収穫感謝礼拝やが到着がギリギリになってしまったからや。それもそのはず。過去には授業はおろか、入学式まですっぽかした実績?があるからな。きっと「要注意牧師」として刻まれていることやろ。さあ礼拝礼拝っと。

 

8(水) 昨日東京から妻のお見舞いに来てくださった義妹を広島駅まで送る。「広島に来るのは初めて」という言葉だけを聞いて、本人の希望も聞かず勝手に駅でお好み焼きを食べた。以前九州出身の方を豚骨ラーメン屋に案内したら後から豚骨ラーメンは苦手と知った。小さな親切、大きなお世話ってとこか。

 

9(木) 今日は学校で職員健診。胃の検査でバリウムを飲むのはもう慣れたが、いつもその後がいけん。下剤を飲まされるからや。3時限目は問題なし。一コマ空けて5時限目は危なかったがクリア。最終の6時限目。時折油汗が浮かぶ。でも耐えた。このまま家までテイクアウトや!と尻を浮かせてバイクに乗る。

 

10(金) バイクに乗ることで一つだけ困ったことがある。ヘルメットや。被るのは苦でも何でもないが、脱いだ時に髪型がヘルメットになってしまう。その点、大阪の友人が羨ましい。ヘルメットを脱いでも「まだ被っとんのか」と言いたくなる見事な自家製ヘッドやからや。なにか気に障ること言ったかいな?

 

11(土) 午前4時頃「ギャー!」という凄まじい叫び声で飛び起きた。今回のリングは外ではなく家の中。うちのキナコがライバルと大喧嘩を繰り広げとる。僕(応援団)が顔を出した途端に相手は逃げ去った。何と言ってもホームグランドは有利やが、阪神が敵地で勝ったのは数に勝る応援団のおかげと言えるな。


10月29日—11月4日

2023年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

死んでいるのはない。寝ころんでいるだけ。正確に言うと起きられないのだ。なぜこうなったのかは不明。牧師室の机の上で見つけた時はこんな状態だった。ゴキブリの背中にはワックス状のものがついているので机にくっついたのだ。ひと晩たったがまだこの状態だったので助けてあげた。頑張って冬を越すんやぞ。

 

10/29(日) 夜、角田一家が来会。啓ちゃんを失ってしまった大きな穴を少しでも埋める存在になるという、とてつもなく大きな役目?を引き受けるにしてはあまりにも小さいけれど、子犬のココが初登場。犬種はミニチュアダックスフンド。巨大な男だらけの角田家を支えるならヒグマの方がええと思うけどな。

 

30(月) 母親の容体が変わるたびに振り子のように岡山と山口を往復するかのごとくまた帆波が赤子を連れて戻って来た。昨日は大阪から走野も日帰りでやって来た。意識障害を起こす可能性もあったからや。しかし幸い容体は回復に向かう。けど、やっぱ深夜や早朝の病院からの電話はほんまに心臓に悪いわ。

 

31(火) 長女の友佳がドナー検査を受けるために一泊の入院に入る。妻もHCU(高度治療室)から元の一般病棟に戻ることができた。とは言え、まだ体のあちこちからチューブが出ている。でも僕が心筋梗塞で倒れた時にはもっと沢山のチューブにつながれていたぞ。何の自慢や。夕方東京から妻の弟が来会。

 

1(水) 広島は初めてだという義弟を見舞い時間の合間に平和記念公園へと案内。リニューアルされた原爆資料館は僕も初めて。修学旅行生と外国人客であふれている。広島サミットに来た連中はこの資料館で何を見たんや?核問題にあんな解答を出したくらいやから、きっと目をつむって移動したに違いない。

 

2(木) 学校に着いたと同時にチャイムが鳴った。そうか!今日は短縮授業やった。早めに来たのでセーフやったがいつものように出勤していたら遅刻するとこや。尻の座りが悪い職員室にいる時間をできるだけ短くしようと思ってギリギリに通勤していたけど、これからは少しだけ早めに出勤することにしよう。

 

3(金) 雅子と初めて出会ったのは今から45年前の今日。彼女の短大の文化祭やった。二人とも20歳の学生。♪あの日あの時あの場所で君に会えなかったら~♪という歌をしみじみ思う。でもほんまに会っていなかったらこれだけは自信持って言える。妻は今よりずっとリッチな生活を送っていたに違いない。

 

4(土) 今日は色んな用事が重なってバイクで東奔西走。250kmは走ったか。連日の異常気象とは言え、天気も良くライダーたちの姿が目立つ。僕は仕事での移動やけどツーリング気分でルンルン。帰ったら先日書いた原稿のダメ出しメールが届いていて、ルンルン気分は一気にどん底。名古屋より天語が帰省。