整備士が「こんな光景、なかなか見られんでしょ」と言って、僕のバイクのタイヤ交換作業を見せてくれた。手際の良さに感服すると同時に、やっぱり僕は職業選択を間違っていたと感じた。デスクワークは出来ないが、せめて手に職か、商売の道に進むべきやった。牧師には向いとらん。なんて今更後悔してもなあ。
3/24(日) まだ手術後の療養中だけれど、大島教会の悦子さんがまたオルガン奉仕に来てくださった。司式しながら自動演奏器のキーボタンを操作するのは結構大変。まま、押し間違え、押し忘れがある。オルガニストの存在は大。演奏は説教なんかよりもずっと礼拝を盛り上げてくれる。いや、ほんまでっせ。
25(月) 新入生への聖書販売のため学校へ。これは僕に対する業(ごう)みたいなもんやと思っている。毎年考え込んでしまうのは、聖書と讃美歌で6000円を超す金額に見合う授業をしているのか?という後ろめたさ。心の中で「申し訳ありません」と呪文のように唱えながら売る。いや、ほんまにほんまでっせ。
26(火) 今日は今から42年前、僕が周防教会に着任するため初めて山口県入りをした日。愛車(カローラ1200SR)で東京を出発し、岐阜の先輩の教会に立ち寄り、実家の大阪で二泊した後、千代田インターまでしか完成していなかった中国道を走り周防に到着。24歳になったばかりのまだ真面目やった時代の話。
27(水) 予報によると晴天は今日だけらしいのでバイクで広島へ。二区間だけ高速を利用。100km/hを超えるとややジェットコースター気分が味わえる。ジェットコースターで思い出したが、あれには年齢制限があるらしい。僕にはもうほとんどアウトみたいや。もちろん誤魔化して乗るに決まっているけど。
28(木) 何があったのか今日の広島への道は2時間半もかかってしまった。おまけに病院周辺の駐車場はどこも満車。ちなみに病院内の駐車場はガラガラやが駐車料金がべらぼうに高い。この病院には感謝の思いで一杯やが駐車料金に関しては恨みすら抱いている。雨でさえなかったらバイクで来れたのになあ。
29(金) 今生の別れと称し、間もなく関東の教会(聞いたけど忘れた)に転任されるベム&ベラ牧師が明石から来訪。てっきり広島のカキが目当てやとばかり思っていたがそうではなく「雅子さんのお見舞いです」と嬉しいことを言ってくれた。ずいぶん遠くに行ってしまうが、きっとカキ目当てにまた来るやろな。
30(土) 人生の大先輩であり、神学校の後輩でもある田中和三郎牧師が19日に亡くなられた。和三郎さんが小松製作所の技術者だった頃からの知り合いで、僕の結婚式では妻の悦子牧師と共に証人として立ち会って下さった。「幸せな中で逝きました」と言われた悦子さんの言葉に少しだけ救われた。享年83。