周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

3月24—30日

2024年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

整備士が「こんな光景、なかなか見られんでしょ」と言って、僕のバイクのタイヤ交換作業を見せてくれた。手際の良さに感服すると同時に、やっぱり僕は職業選択を間違っていたと感じた。デスクワークは出来ないが、せめて手に職か、商売の道に進むべきやった。牧師には向いとらん。なんて今更後悔してもなあ。

 

3/24(日) まだ手術後の療養中だけれど、大島教会の悦子さんがまたオルガン奉仕に来てくださった。司式しながら自動演奏器のキーボタンを操作するのは結構大変。まま、押し間違え、押し忘れがある。オルガニストの存在は大。演奏は説教なんかよりもずっと礼拝を盛り上げてくれる。いや、ほんまでっせ。

 

25(月) 新入生への聖書販売のため学校へ。これは僕に対する業(ごう)みたいなもんやと思っている。毎年考え込んでしまうのは、聖書と讃美歌で6000円を超す金額に見合う授業をしているのか?という後ろめたさ。心の中で「申し訳ありません」と呪文のように唱えながら売る。いや、ほんまにほんまでっせ。

 

26(火) 今日は今から42年前、僕が周防教会に着任するため初めて山口県入りをした日。愛車(カローラ1200SR)で東京を出発し、岐阜の先輩の教会に立ち寄り、実家の大阪で二泊した後、千代田インターまでしか完成していなかった中国道を走り周防に到着。24歳になったばかりのまだ真面目やった時代の話。

 

27(水) 予報によると晴天は今日だけらしいのでバイクで広島へ。二区間だけ高速を利用。100km/hを超えるとややジェットコースター気分が味わえる。ジェットコースターで思い出したが、あれには年齢制限があるらしい。僕にはもうほとんどアウトみたいや。もちろん誤魔化して乗るに決まっているけど。

 

28(木) 何があったのか今日の広島への道は2時間半もかかってしまった。おまけに病院周辺の駐車場はどこも満車。ちなみに病院内の駐車場はガラガラやが駐車料金がべらぼうに高い。この病院には感謝の思いで一杯やが駐車料金に関しては恨みすら抱いている。雨でさえなかったらバイクで来れたのになあ。

 

29(金) 今生の別れと称し、間もなく関東の教会(聞いたけど忘れた)に転任されるベム&ベラ牧師が明石から来訪。てっきり広島のカキが目当てやとばかり思っていたがそうではなく「雅子さんのお見舞いです」と嬉しいことを言ってくれた。ずいぶん遠くに行ってしまうが、きっとカキ目当てにまた来るやろな。

 

30(土) 人生の大先輩であり、神学校の後輩でもある田中和三郎牧師が19日に亡くなられた。和三郎さんが小松製作所の技術者だった頃からの知り合いで、僕の結婚式では妻の悦子牧師と共に証人として立ち会って下さった。「幸せな中で逝きました」と言われた悦子さんの言葉に少しだけ救われた。享年83。


3月17—23日

2024年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

博多と言えば屋台。天神や中洲周辺に立ち並ぶ屋台には一度だけ行ったことがある。下戸の僕でも屋台のごちそうは魅力的やった。とにかく種類が多く、そのまま高級レストランでも出せるような品もある。そんな屋台を駐車場?で見かけた。・・・正直言うと、明るい陽の下では見ない方がええかもしれまへんな。でもまた行きたい!

 

3/17(日) 光教会の中庭駐車場の隅々には四季折々の花が咲く。中でもピンク色のムラサキカタバミが群生する。僕の好きな花や。なるべく花を踏まないように駐車する。南アメリカ原産のこの花は江戸時代末期に観賞用として輸入されたそうやが、今では駆除困難な要注意外来植物。だからと言って踏めんわ。

 

18(月) 1年ぶりにバイクを点検に出した。オイル交換と後輪タイヤの交換をする。バイクの場合、タイヤを新品に替えた直後は気を付けて走らないとスリップして転倒する可能性がある。熟練者でも転倒することがあるという。でも僕の場合は安心。まだまだ初心者を自覚して今でも慎重に運転しております。

 

19(火) 広島にて事業団の理事会。昼間のバイクは気持ちいいが、妻の病院に寄ったので帰りは夜になる。夜風はまだ冷たい。ひとしきりぶっ飛ばして家路につき、教会に戻った時にハッと思い出した。そうや!昨日タイヤを替えたんやった。すっかり忘れていた。初心者というのはこういう無自覚も含まれる。

 

20(水) 今日はやや天気が悪いので車で妻の病院へ。看護師さんから病状が急性期を過ぎたので近いうちに転院になる可能性があると告げられた。まだ立ち上がることも出来ないが、リハビリ専門病院の方がより効率的な治療を受けられるとのこと。広島大学病院に入院して早や半年。卒院式の日が待ち遠しい。

 

21(木) 今日は寝不足なので車で妻の病院へ。授業がないので今週はネット映画三昧生活を送っていて、すっかり寝不足になってしまった。バイクで居眠りするわけにいかない。事実もう何度もバイクで眠くなる経験をしているしな。もしも事故ったりした場合はバイクより車の方がマシやろと考えたわけです。

 

22(金) 病院の帰りにやや高級なファミレスに入った。今夜は清水の舞台や!とステーキセットを注文した。オーダーを告げた店員が再び戻って来て言う。「この値段になりますがよろしいでしょうか?」「あ、はい」。でもそりゃどういう意味や?見た目、払えそうにないか、食い逃げするように見えたんか?

 

23(土) 今日は孫たちも見舞いに来てくれたので、病院の帰りに普通のファミレスに入り夕食。伝票を見て笑った。大人3人と幼児3人の食事代の合計と、昨夜僕一人で食べた食事代との差はたった1円だけやったから。やはりファミレスは庶民レベルの店に、寿司はまわる店にしか足を踏み入れてはならない。


3月10—16日

2024年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

博多と言えば「もつ鍋」が有名。職員旅行の夕食に出された。翌日はキャナルシティー周辺で約45分の自由時間。まるで修学旅行並やな。ここには20年以上前に来たことがある。でもその記憶はすっかり薄らいでいる。記憶を呼び戻そうとあちこち歩いていたら、貴重な45分の大半は迷子になってしまうという結果に終わった。

 

3/10(日) 大島教会の礼拝。今日は普段より少し余裕をもって早めに出発したところ、交通事故のため迂回しなければいけなくなった。それでも十分に余裕はある。そしてもうすぐ到着という時点で火事による片側通行を求められ、結局礼拝時間に遅刻。こういう場合、あまり罪悪感が無いのは良いのか悪いのか。

 

11(月) 今日は一日何の予定も無かったので教会でゆっくり過ごすことにした。妻には申し訳ないが僕が見舞いに行かなくても悲しまないでほしい。と思いたいところやが、妻の方はそんな風に思ってくれているかどうか「そう。今日は来ないのね」程度だとすれば…と想像するだけで何やら複雑な気持ちになる。

 

12(火) 寝坊した。まあ今日は授業も無く成績入力だけなので支障は無い。登校すると何やら騒々しい。え?学校閉鎖?そう言えばインフルとかコロナが蔓延しているようなことは聞いていたが、まさかこんな展開になっているとは。学校の先生って大変やなあ。非常勤の僕は自分のことだけしてそそくさと帰る。

 

13(水) 妻の見舞いへ。リハビリは少しずつ進んではいるが、食べものを口にできない状態が続いている。食べられないのに食事の提供だけは続き、今では食事時間が精神的な負担にもつながっている。そこで看護師に申し出た。医師と相談してくれるそうな。僕が代わりに食べるというのは…あかんやろなあ。

 

14(木) 愛隣幼児学園の礼拝。年長さんたちには今日で最後となるので卒園礼拝みたいなもの。毎年この礼拝では『良いサマリア人』の紙芝居で締めくくることにしている。そこには信仰がどうのとかは出て来ない。優しい人になりなさいというイエスの言葉。あんたはどうなのか?と自分にも問われるお話し。

 

15(金) 出かける前にシャワーを浴びて、スッポンポンでリビングに行った時のこと。ピンポ~ン。やば!こんな時に限って来客や!服は全て寝室にある。リビングから寝室に行くには玄関の前を通らねばならん。しかも玄関は開け放たれたまま。どうする?将棋で言えば王手飛車取り状態か。居留守しかない。

 

16(土) 所用で100km離れた町へ。天気も良い。もちろんバイク。とは言えこの時期のバイクは一年で最も大きなリスクを伴う。暑さや寒さ、悪天よりもずっと深刻や。花粉である。マスクにサングラス、風除けシールドを最大限にまで上げて走る。結果はたいてい夜に出るが、今現在(23時)のところ無症状。


3月3—9日

2024年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

大宰府と言えば天神さん。今を去る5年半前、近所の天神祭りの実行委員長をしたのを思い出す。道真公から「その節はお世話になりました」との言葉くらい頂いてもバチは当たらんと思うが。それにしても平日なのにこの混みよう。儲かってるんやろなあ。悔しいから土産の絵馬は千円のをやめて五百円のにした。

 

3/3(日) ♪灯りを点けましょ爆弾に~♪という替え歌は今の子供たちでも知っているそうな。歌詞は全国共通だとか。♪ドカンと一発〇〇頭~♪と続いて♪五人囃子の愚連隊~♪という部分があるが、愚連隊なんて言葉は完全に死語。最後の節は♪今日は悲しい便所掃除~♪で終わる。さあ、皆さんもご一緒に!

 

4(月) 明日の試験の答案用紙を印刷しに学校へ。今週はとんでもないことになる気がする。やるべきことが多過ぎるからや。試験関係はさることながら、確定申告の準備も終わっていないのに勢いで申し込んだ職員旅行が重なる。コロナが今週やったら完全にアウト。ただ花粉症の症状が出始めテンション最悪。

 

5(火) 朝一から聖書の試験。終了と同時に解答用紙を携えて教会に戻り、午後からの職員旅行の準備をして再び学校へ。マイクロバスで福岡へと向かう。牧師たちとは何度も旅をしたがカタギの人(教会関係以外の一般人のことを僕はそう呼んでいる)との旅は初めて。そして思った。カタギの人々は礼儀正しい。

 

6(水) 前から一度行ってみたかった太宰府天満宮へ。驚いたのは観光客の多いこと!今日は正月か?と思うほどの人ゴミ。中でも大きな声が耳に届く。全て中国語と韓国語と関西弁。世界中を席巻する言語はもはや無敵やな。夜、疲労困憊して教会に辿り着いた。待っていたのはテストの採点と確定申告の準備。

 

7(木) 朝から確定申告へ。またしても「牧師の収入は何に分類されるのか」で中断。去年は営業収入として処理されたが、今年の担当者は解釈が違って、調べ上げた結果、給与として処理。どうでもええがこっちは政治家のような不正はせんぞ!午後、東京の友人が妻の見舞いに来てくれるので病院へと向かう。

 

8(金) 水木しげるによると、旅人が急に空腹に見舞われた時は餓鬼に憑りつかれたという。午前中に学校で成績処理をしている時、突然空腹に襲われた。何かを食べる暇はない。急いで仕事を済ませて帰らないと葬儀に間に合わん。しかし超寝不足ゆえ、居眠り運転しそうになるのを空腹のおかげでまぬがれた。

 

9(土) 通信制の卒業式。通信で学んできた生徒たちには様々な事情がある人が多く、答辞の言葉を聴くともらい泣きさせられてしまう。今日は涙こそ我慢できたが鼻水が垂れて仕方がなかった。あいにくティッシュが無い。そこで役に立つのはアレ。子供の頃、鼻でテカテカにした服の袖。背に腹は代えられん。


2月25日ー3月2日

2024年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

ニホンアワサンゴ。山口県の大島(正式名は屋代島)に群生地がある。なぎさ水族館に行けば見られるが、できれば実際に海に潜って見たい。バイクの免許に続いてほしいのはスキューバダイビングの免許。若い頃は素潜りで10mは潜った。キャンプでは川で2分以上潜るのを課題にしていた。今じゃ1分過ぎりゃ三途の川が見えると思う。

 

2/25(日) 二週間滞在した帆波が「すぐ戻って来るけえ」と言い残し岡山に帰った。その言葉には複数の意味が含まれている。母親のお見舞いに行けなくなるから。昼間の子守りを一人でしなければならないから。そしておそらく一番気になるのは、わがままな父親の相手を全て姉に負わせてしまうからやろな。

 

26(月) たぶんどこかに手が触れたのでそんな機能が作動するんやとは思うがスマホが時々勝手にしゃべる。やや熱っぽく風邪かなと思っていた時のこと。スマホから「どうしました?」と。そこで「死にます」と言ったら、少し間をおき「ですよねえ」。その返答は聞き違えか?偶然か?ジョークか?マジか?

 

27(火) 大した熱でもないし、体調も悪くない、また鼻風邪かと思ったが、妻の面会のこともあり念のため検査を受けに行ったところ「コロナです」と言われてしまった。思わずドクターに「人生初コロナ!」と言ったら呆れられたが検査を受けてよかった。そして僕のゴロ寝映画三昧の日々が始まるのでした。

 

28(水) 一番難儀だった症状はと言うと、後頭部に局部的で軽い頭痛があったくらいで、今はそれもないし平熱状態。味覚が無いのは花粉症だからかも知れない。一般常識で言うと、これで休んだりするのは「ズル休み」とも言われるレベルやが、畳んだ布団を背もたれにして、時間を忘れ楽しむミニシアター。

 

29(木) 何本観たのか忘れてしまうほど映画三昧。寝ては夢、起きては映画の贅沢生活。一方で娘や孫たちまでがコロナったらしい。教会のみんなは大丈夫やろか?いつどこで誰から伝染ったのかは分からないが、もしも僕なら申し訳ないなあ…などと思いつつ「今日はどの映画を観ようか」とズル休み最終日。

 

1(金) 高校の卒業式。進路指導部長に「今日はひねりの無い普通のお話でしたね」と言われた。「卒業式にふざける訳にはいきませんから」と答えつつ、そんな自分が恥ずかしくなった。「ふざける訳にいかない」と言った言葉に自分で違和感を感じたからや。僕からふざけを取ったら何も残らないではないか。

 

2(土) 映画三昧の日々も終わったので今日は溜まった仕事をこなさなければならない。これは寝過ぎたしくじった!兎と亀の物語!明日の礼拝準備はさることながら来週早々の学年末試験問題も作らねば。映画三昧のシワ寄せはすさまじい。頭がクラクラしてきた。これこそ自分で招いた最大のコロナ後遺症!