周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

1月20―26日

2008年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 11月のある日。広島の山奥。木漏れ日が差す道。見ているだけで癒される光景。聖書の知識などなくても、こんな自然の光景の中で人は癒される。創造された世界を破壊するだけの人間が、その世界の中で癒される。昔からあるものを壊し続けたから『世界遺産』という言葉が生まれたのなら、それはなんという悲しい言葉なんやろ。

1/20(日) 教会まで後15分のはずやった。雪で欽明路が渋滞し始めたので高速道路に回ったら通行止。旧2号線に向かったがノロノロ運転の末に通行止。誰も走らない雪深い県道を走り、もう少しというところで倒木。6時間半かけ夜中に帰宅。何のために冬用タイヤを装着しているのか分からない。

21(月) 抱かれたり触られたりするのを極端に嫌う野良猫のリドの様子があきらかにおかしい。触っても抱いても逃げようとしない。獣医に連れていったら腎機能と肝機能が壊れていて、急性の腎不全が考えられるゆえ入院させて下さいと。検査数値では生きているのが奇跡だそうな。

22(火) また行方不明。泣く親の顔を消えた本人たちは見ることはない。帰って来んでもええから、隠れてでええから、親の顔や姿を見に来なさい!と…腹を立てるのは僕の修行が足りん証拠やな。怒っても何も解決しないもんな。でも、我が子が帰って来ない親をなだめるのは大変なんやぞ。

23(水) リドの呼吸が止まったとの知らせ。どうやって子供らに知らせようか…。最初に知った帆波(ホナ)が泣き、天語が泣き、友佳が泣き、夜中に帰ってきた彩七(サイナ)がリドを抱きながら泣いた。そして4人で午前2時まで泣いていた。走野(ソウヤ)のやつも自分の部屋で泣いていたに違いない。

24(木) 岡山好江牧師が急逝された。午前2時頃に心不全を起こしたという。午後から教会の電話が鳴りっぱなしだった。長い間、下関の梅光女学院で教鞭を取っておられた牧師。電話の数はその人柄を表わしている。1年前、「わたしの葬儀はね…」と僕に残された言葉。「梅光女学院の

25(金) 聖歌隊が歌うハレルヤコーラスを流してちょうだい」と。13時からの告別式の20分前に、下関から何人もの人の手でリレーされたCDが届いた。好江先生!間に合いました。式場にハレルヤが響く。しかし、たとえ間に合わなかったとしても、このリレーは最高のコーラスを奏でていましたよ。

26(土) なんと言う1週間やったんや。10日にも2週間にも感じた。重い時間というのは確かに存在する。「死」の意味を知るゆえに、一瞬にして幸せから絶望のどん底へと突き落とされもする人間。なんてもろい存在なんや。でも、どん底から再び立ち上がるのも人間。何かを掴んで立ち上がれ。


1月13―19日

2008年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 新幹線N700系のぞみ号。新大阪駅で写メを撮る時、どう見てもマニアックな風貌の鉄道オタクたちがカメラを持ってホームに群がっていた。(あの中で撮るの嫌やなあ。仲間やと思われるんちゃうか。違うぞ!僕はただジャーナルに載せたいだけや!)と心の中で叫びながら撮った。でも…カッコエエなあ。今度は500系を撮ろっと。

1/13(日) 週報をコピーしようとしたらトナーが切れ、あわててコンビニへ行ったのは午前4時。ある牧師は毎週この時間ファミレスで説教を書いている。便利やなあ24H営業。僕の夢は全教会24H営業。牧師が起きている必要はない。ただ人々に「いつ行ってもOKな場所」やと思わせたい。

14(月) 朝青龍が負けたとたん会場は大歓声におおわれた。問題横綱が負けてスッとしたという喜びなんやろ。街角の声で「ザマ見ろだよ」と語る会社員がいた。でも威厳風格どこ吹く風の型破り横綱を応援する人も多い。聖餐式のオープンorクローズに似てるなあ。え?全然違うって?

15(火) 教会の前でへたり込んでいるお婆ちゃんがいた。老人ホームから買物に行こうとして転んだという。彩七(サイナ)が車イスに乗せ近くの商店に買物に連れてゆき、その後ホームまで車で送った。「ホームにゃ内緒にして」という。脱走婆ちゃんかい。チクらないから安心なさいやせえ。

16(水) 思えば僕の親父も少し元気になったら家を抜け出し近くの店にお菓子を買いに行く。医者に止められている菓子を母の目を盗んでは脱走して買いに行くのや。あの婆ちゃんも糖尿かもしれんなあ。婆ちゃんの健康と安全を考えたらホームにチクるべきか。みなさんならどうしますか?

17(木) 僕の留守中、おとといの婆ちゃんが菓子を持ってお礼に来たらしい。そう言えばあの日、しきりと「地獄に仏、地獄に仏」とつぶやいておられた。それを言うならせめて「地獄にキリスト」と言ってもらいたかったなあ。待てよ。お礼に来たちゅうことは…。また脱走して来たんかい!

18(金) 相談で益田へ。泣きじゃくる母親。落ち込む家族。信者らは「家族のため」と繰り返すが実態はこうだ。こういうシーンをもう20年も見てきた。何度遭遇しても慣れるわけがない。「牧師などに頼らず家族で解決してくれ」と訴えたいが、泣く親や家族を前にどうしても言えない。

19(土) 深夜、益田からの帰り「日本一」を自称する自販機コーナーに寄る。山陽と山陰をつなぐ国道187号。クマでも出てきそうな山の中。夏のキャンプの行き帰りにも立ち寄るが、冬の夜空を眺めて食べるラーメンは格別。同じ品でも季節が味を変える。やっぱラーメンは冬がええな。


1月6―12日

2008年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 『山賊』。今年はここで牧師新年会が開かれた。僕が周防教会に着任する時、教区副議長から「面接」を受けたのもこの店。1982年1月のこと。飛ぶ鳥落とし、泣く子も黙ると言われた西中国。緊張した僕に出された3つの問いは「飲めますか?」「泳げますか?」「麻雀できますか?」鼻から牛乳もんやったが(一問目以外)見事合格。

1/6(日) 朝7時に「ウ~ウ~ウ~」とけたたましいサイレン。どうやら町内で火事らしい。2時間前に床に入ったばかりの僕の中で『睡魔』と『好奇心』とが激しく戦って、寒さの応援もあり睡魔が辛勝。ところで火事はどこやった?え、消防の出初式?睡魔よ、よくぞ勝ってくれた。

7(月) 七草粥の日。夜の役員会後にふるまおうと七草を買ってきた。セリやカブ,ダイコンまではええが、ハハコ草やホトケノザなんて道端の草やがな。ハコベは昔ヒヨコによく食べさせた。とどめはペンペン草!そんなもん食えるんかいな?案の定、青臭い、カビ臭い…まさに七臭粥でした。

8(火) 統一協会信者の女性から年賀状が届いた。彼女に離婚をせまる夫や、絶縁しようとする親兄弟を何とか留めようしたが空振りに終わってしまい、あれから10年。文面には何もふれられていないが、なぜ僕に年賀状を?祈る思いで返事を書く。原理はどうであれ、皆が幸せならそれでいい。

9(水) 咳が止まらんので耳鼻咽喉科に行く。子供のころ、長い期間バスに乗って耳鼻科に通っていた。治療効果は全く分からんが、帰りに食べた太鼓まんじゅうが美味かった記憶だけ残っている。今日、耳鼻科の近くのスーパーで太鼓まんじゅうの屋台が出ていた。ここまで偶然がそろうと買うしかないやろ。

10(木) 年末ジャンボの当選番号は大晦日に発表されたが、確認を先へ延ばせばいつまでも夢を持ち続けられる。もっと長く楽しもうと思っていたのに、無情にも「県内に1等なし」という情報を知って僕の夢は潰えた。宝くじは当てようと思って買うなかれ!夢を抱くためにのみ買うもの。

11(金) 牧師新年会。店に申し込んだ時、歓迎看板を書くので団体名を教えてほしいと言われ「山口東分区牧師会」と言いかけたのを「山口東分区」で止めた。酔っ払い牧師の醜態を見られたらどうしようという思いが本能的に働いたのだ。あんたらはええけど僕は地元やで。危ない危ない。

12(土) 衆議院が『新テロ特措法』を強引に可決。政治ネタはなるべくこの紙面に書かんつもりやったが…いや、やっぱ書くのや~めた。国も教団もネタには困らんが頭に来る記事ばかりなんで気が滅入る。朝『山賊』より電話。おかしいなあ…昨日はみんな結構イイ子やったのに。苦情かと思ったらお礼の電話。驚かすなよな。


2008-01-06 04:51:42

2008年01月06日 | インポート

Photo ちょっと暗いけれど、これは子供の頃いたずらして撞いたお寺の鐘。最初はコ~ンと小さく撞くんやが、次第にエスカレートしてゴ~ン。最後はゴーン!ゴーン!ゴーン!「こらあ!」という住職の声で逃げた時、鐘楼の横木に鼻っ面を思いっきり打ちつけ、ドバッと鼻血を出した。「バチ」を身をもって体験した瞬間やった。

12/30(日) こんな時に限って!という一日。オルガニストが不在。自動演奏器が突然不調になる。本日の讃美歌は年末限定でみんなもよく知らん曲。リードしようにも僕は風邪で全く喉をやられている。おまけに出席者は8人。今年最後の礼拝は暗かった。夕方、天語と二人大阪に帰省。

31(月) 常々一度は除夜の鐘っちゅうのを撞きたいと思っていたんやが、今夜実行に移した。子供の頃よく遊んだK寺に早めに行って並び、住職と門徒総代に続いて、一般参列者の1番鐘を撞く。108つの煩悩を祓うという除夜の鐘やが、今夜は僕の一発で全ての魔は除かれたに違いない。ちなみに

1(火) このK寺の息子は僕より1つ下で昔教会にも通っていた。坊主の息子が教会に通っていたちゅうのも面白いが、そんな彼もまさか除夜に牧師が鐘を撞いていたなんて夢にも思うまい。ところで寒い中を並んですっかり体が冷えてしまい、2008年を迎えたのは寺の便所の中やった。

2(水) 透析のため親父を病院へ。正月やと言って休むわけにゃいかん。毎日親父を送り迎えをするお袋に、せめて正月くらいのんびりしてもらおうと思ったが、お袋は僕らを迎えるため正月準備に余念がない。とにかく仕事が早く、のんびりが苦手のお袋。残念やがその性格は僕も妹も受け継いどらん。

3(木) 国道の途中でアライグマの轢死体を発見したんやが誰も信じてくれん。証拠を見せるため、真夜中に確認しに行った。やっぱりアライグマや。捨てられたペットが日本中で野生化していることは知っていたが実物を見るのは僕も初めて。でもわざわざ写メを撮らんでも信じてくれよな。

4(金) 何年かぶりで高校時代の同級生を訪ねる。辻の向こうから杖をつきながらこちらに来る友。彼がアメフトの試合で生死をさ迷うほどの大ケガをしたのは高2の夏やった。「まだ生きとったんか」「それはこっちのセリフや」は僕らの定番挨拶。生きてる間は彼も僕もあの日の16歳のまま。

5(土) 楽しみにしていた帰省も今日で終わり。僕は結局、咳が止まらず眠れん日々を過ごした。親父やお袋に風邪がうつってなきゃええが。食べ残したご馳走と、訪ねきれんかった人や、行けんかった場所に後ろ髪を引かれつつ、妻娘らは東京から、僕と天語は大阪からそれぞれ山口へと向かうのでした。