周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

3月22―28日

2009年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_2ここまでやるか?ハウステンボスのホテルで支払いを逃れるため、高層階の窓から今まさに脱走せんとするところ。危機一髪!二人の娘の運命やいかに!でも…ちょっとわざとらしいか。自動販売機のお茶から園内のレストランまで、何から何まで割高やったのには閉口したが、ケチなことを言わなければ充分に楽しめるパークやった。

3/22(日) 礼拝堂の和室に敷かれた布団で帆波(ホナ)が気持ちよさそうに眠っている。何度か起こそうとしたが一向に起きようとしない。オープン和室ゆえ寝姿は説教壇からマル見え。ふと思った。眠っちゃいけんと必死に睡魔と闘いながら出る礼拝。堂々と布団の中で眠りながら出る礼拝。本当は後者の方が自然なんやろな。

23(月) 明日からの旅行のため走野(ソウヤ)が休暇をもらって帰ってきた。不況で4月に解雇される友佳(ユウカ)も休みを取った。彩七(サイナ)も天語(テンゴ)も試験や受験をがんばったおかげで休みに結びついた。みんな偉いのう。おかげで僕だけが何もがんばっとらんように見えてしまう。ま、その通りやから弁解できんけど。

24(火) 第3回家族旅行で長崎ハウステンボスへ。出発前から「6人ですと言って予約しとるから帆波は隠れとけよ」と指示を出していたが、僕の発言をめぐって「ホテルに正直に言うべき派」と「うまく隠れりゃバレない派」に分かれた。兄弟姉妹でもこんなに意見が違うんやなあ。もちろんそんな指示は嘘なんやけどね。

25(水) おかげでみんなチェックインの時、ドキドキしていたらしい。不思議なのは幼少時からこれだけだまされ続けているのに、なんで5人共ゆがんで成長せんかったんやろ?だまして育てるのは新しい子育て術かも知れんな。ところで誰が「言うべき派」で、誰が「隠れろ派」やったかは武士の情けで内緒にしといてやる。

26(木) 昨日旅行から帰ってからも気になって仕方がないことがある。ハウステンボスにアメリカのサーカス団が来ていたんやが、どう見ても客の入りは少なそうやった。かと言って一人3000円払って観る余裕はない。あの人たちは日本にまで来て少しは稼げたんやろか?こういうことが気になる性格の自分がいとおしい。

27(金) 今夜は新月。真っ暗な夜空に春の星がきれいや。やっぱり星座観測は新月に限る。ところで世間じゃ花王や関西学院のマークが「三日月」だと言われているが、本当の三日月の形は新月の翌々日あたりに見られる細い細い月。ちなみに春は三日月の見ごろ。3月29日か4月27日、太陽が沈んだ直後の西の空を。

28(土) 帆波が勝手に中学校の制服を注文していて妻に叱られた。古着をあてがわれてはたまらんと思ったのか?不登校だった自分から再出発をしたかったのか?でもどうやらそんな高尚な理由ではなく、ただ単に早く着てみたかっただけらしい。昔は制服反対で学校と闘う保護者やった。今でも制服なんざ必要ないと思っとる。


3月15―21日

2009年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 生前、ガリは寝転んでいる人の背中に乗るのが好きやった。間もなく子猫がうろつく季節がくる。願いは一つ。うちの子らの悲しみが癒えたばかりなんで、教会の近辺には出没しませんように。

3/15(日) 今日の大島の海はコバルトブルーに輝いている。めったに見られない目の覚めるような青い色の海。ところで午後2時からの大島教会の礼拝は昼飯の後だけに睡魔との闘いとなる。一応「目の覚めるような」説教をする気持ちだけは持っているつもりの僕やが、今日、司会も説教も担当しながら居眠ってしもうた。

16(月) 下松での牧師会にて太作ちゃんの送別会。6年前、彼がこの分区にやってきた時、何を言っても笑いこけて呼吸困難まで引き起こしていた笑顔を思い出す。きっとバカ話しや下品なネタなど存在しないような世界で純粋培養されて育ったんやろなあ。今ではすっかり下品ネタにも慣れた太作ちゃん。どうぞお元気で。

17(火) 予想に反して天語が高校に合格。せっかく慰めの言葉を用意していたので披露しておきます。「まだまだ修行が足りんのう。父さんは506人中11人しか落ちん高校受験で落ちたんやぞ。まあビリで合格しても後から苦労するだけよ。それにこれでバイトができるから携帯も買えるやろ。何が幸いするか分からんのう」

18(水) 宮島で開かれた教区集会の帰りのこと。K牧師が船着場で売れ残った基督饅頭を外国人観光客に配っている。どう見ても怪しい名前の饅頭を怪しい人間が配る。見るに見かねて「決して怪しい者ではありません」と名刺を渡したが、マスクにジャンパー姿の牧師(僕のこと)が一番怪しかったと、ある信徒が言っていた。

19(木) 帆波(ホナ)の卒業式。小3の秋~小6の夏まで不登校しとったから、約3年間の小学校生活やったわけや。楽勝やのう。そう言ってからかうと「中学校のカバンも制服も、ぜ~んぶ買い揃えてから、また不登校になってやる!」などと減らず口をたたく帆波。こういう言い回しだけは超小学生級の成長を遂げていやがる。

20(金) 受験から解放された中学生が7~8人泊まりに来ている。至福の時なんやろなあ。明日の昼は吉野家の牛丼でも食わしてやるか…と妻に言ったら、あえなく却下され、カップラーメンとなった。確かに庶民の牛丼と言えども食欲に限界のない年頃のこいつらに腹いっぱい食べさせてやりゃ、月末の我が家は茶漬けやで。

21(土) 東京での学生時代は東京弁を、山口で暮らしてからは流暢な山口弁を話せる僕やが、東京でも山口でも「村田さんは関西人でしょ?」と言われた。いずれも発音ではなく発言でバレた。どうも冗談のレベルが普通ではないらしい。そういえば昔、祖母が言うとったなあ「気ぃつけや。氏素性は話す中身で分かるんやで」


3月8―14日

2009年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 広島平和記念公園の慰霊碑の前で子供たちに被爆体験を語る女性がいた。慰霊碑にはこう刻まれてある『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』。しかし現状はどや?安らかになんか眠ってられんぞ、この国じゃ。平和憲法を改悪したがる政治家連中よ。どうしてもそうしたいなら次の慰霊碑に刻む言葉を考えてからにせえ!

3/8(日) 食事はみんなが集まって席についてお祈りして…というのが普通の教会やが、席につくやいなやガツガツ食い始めるというのが周防流。今日、南吉衛(キチエ)牧師をお迎えしての昼食会でも周防の流儀が披露された。僕が着任した時はまだ「普通」の教会やったような気がするんやが。ちゅうことは犯人はわしかい?

9(月) 南牧師を広島の平和公園にご案内する。平日やというのに原爆資料館は大勢の人で賑わっていた。館内での写真撮影はOKやがフラッシュは禁止。でも借りたデジカメの操作がわからんのでバシバシたきまくる南牧師。心の中で(ドイツの人に見せるんです。堪忍してください)と念じながら僕は他人の顔をして立っていた。

10(火) 公立高校入試の日。試験から戻ってきた天語は意気消沈している。この日のために青年たちに個人指導を受けてきたが、いかんせん始めたのが遅かりし由良之助(古う~)。天語よ。後から悔いると書いて後悔と読むが人生は後悔という海を航海するようなもの。反省や悔い改めという言葉と共に覚えておけ。

11(水) 子供らの友達から電話がかかってきたら僕はいたずらせずに居られない。今日、帆波(ホナ)に電話があって姉が帆波を呼びに行っている間に受話器をとって「もしもし帆波です」と。しかし子供やとばっかり思っていた電話の向こうの相手は大人(子供会の世話人)で、たいそう驚かれておった。僕もたいそう驚いたわい。

12(木) 天語が卒業式で君が代斉唱時に着席したという。思えば子供らの入学&卒業式は小中高あわせて20回は出席し、その全ての式で着席してきたが、我が子が座るという快挙は走野(ソウヤ)についで2人目や。それで何が変わる訳でもないやろが…。そうか。座ったのか。お前が高校に合格するよりも父さんは嬉しいぞ!

13(金) 僕が好きなせんべいに雪の宿というのがある。一袋200円近くする雪の宿が量販店で半額で売っていた。これは夢じゃないかと喜びいさんで買ったのが先々週。売り切れたら困ると再びドッサリ買いに行ったのが先週。どうもおかしいなあ…と、よくよく調べてみて中身も半分しかないことに気付いたのが今週。

14(土) 夜になってあわててコンビニを回ったが、特設棚の上には何も残っていなかった。まずいぞ。しばらく思案していると他にも空棚を見て帰ってく男性たちが数人。みんな考えることは同じなんやなあ。おっと!考えてる暇はないで。あのオヤジらよりも早く次のコンビニに行かにゃ!誰が考えたんや?ホワイトデー。


3月1―7日

2009年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 先週のネズミの糞に「待った」がかかった。糞が散乱していた屋根裏部屋でコウモリの死骸が発見されたのだ。コウモリの糞かもしれない。とにかく素人目には両者は似ている。色々調べたが有力情報を得ることができなかった。いずれにせよ教会にネズミとコウモリがこっそり住んでいたことに違いはない。遠慮せず堂々と暮らしなさい。

3/1(日) 昨夜は4家族20名が周防に、今夜は4家族17名が柳井に集合。1~51歳が入り乱れての夕食は、もはや食事と言うよりも給餌。メニューは2夜連続で鍋。ちゅうか…この人数で他に何が作れる?相撲部屋がなぜ『ちゃんこ鍋』かという理由は「栄養バランスがとれる」なんかじゃなく面倒臭いからに違いない。

2(月) 今日の花粉はひどかった。くしゃみは連発。猛烈な目の痒み。泉湧くがごとし鼻水。とどめは頭痛。ここ数年おだやかな症状だっただけに結構ショック。選択肢は…①病院に行く(でもほとんど効果の無い治療や薬に金払うのは腑に落ちん)②沖縄か北海道に避難する。③山に火を放ちに行く。心情的には当然③やで。

3(火) 目覚めたら雪景色。湿気を含んだ牡丹雪が玖珂盆地の周囲の山をおそらく今年最後の雪化粧で覆う。そんな寒い朝、老夫婦が統一原理に入った娘さんのことで相談に来られた。遠くから列車を乗り継ぎ乗り継ぎ、凍りついた心を抱えて来られた。僕にできるのは少しでも心を暖かくして帰してあげることくらいや。

4(水) 大阪の中心部。6階建てのビルの最上階でベランダから通天閣や夜景を眺めながら暮らしている姿よりも、ええ気分で酔っ払って3輪電動車椅子をフラつかせながら人の迷惑かえりみず田舎道を蛇行している姿の方が断然似合ってる中村晋作さんが夕方来会。大阪でも迷惑だけはかえりみとらんらしいけどね。

5(木) 夜中、本郷の駐在所に徹さんを送り届けた帰り道のこと。小雨でモヤも出ていて視界が悪い。カーブを曲がったところで突然小動物の影!とっさにハンドルを切ってかわしたのは2匹のうりんこ。道路の真ん中で何しとんねんお前ら!危うく轢くところやで。今日は啓蟄やがイノシシの子に会えるとは思わんかった。

6(金) 中村さんを実家の三隅町に送ってさしあげた。なんちゅうと、親切そうに聞こえるが、実はドライブをしたいというオバさん二人の願いを叶えるのが目的。午前中はええ具合に小雨がパラついていたのに、無情にも晴れてきた。杉の木が今にも襲いかかって来る化け物に見える。往復250kmはまるで死出の旅路。

7(土) 先日いただいた『枝雀』の落語40巻の半分を観た。絶妙な語りは芸術品。残りの巻はあと半分か。見るのが惜しいなあ。「終わってしまうのが惜しい」というような興奮を味わったのは過去に『橋のない川』を読んだ時と『ドラゴンクエスト』のゲームをやった時だけやな。ドイツよりKichie-Minami牧師来たる。


2月22―28日

2009年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 犬や猫や人以外の動物の糞を見つけると僕は興奮する。天井裏の隠し部屋で大量の糞を見つけた。鼠や。最近リビングにも堂々と現れるらしく、家族の目撃情報もある。おそらくハツカネズミやろ。今んとこ糞以外の実害は確認されとらんが、奴らとの仁義なき戦いを迎えるのは時間の問題やな。がんばれネズ公!僕はお前らの味方や。

2/22(日) 求道者という言葉は何とかならんかな…というのが僕の長年の課題やけど、うちの教会の信徒を見ているとますますそう思ってしまう。これは僕がこの教会に着任した時から気になっていたことで、こまごまと働くのはたいてい信徒以外のいわゆる求道者。うちの信徒たちはというとデ~ンと座っていて微動だにしな

23(月) い。日曜毎朝のトイレ掃除。礼拝後のお茶入れ。イベント時や平日の功労者たちもほとんどが求道者。そんなわけで今日から周防では求道者という表示を、周防教会を「救い導く人々」という意味を込めて《救導者》に改めますので、間違っても「洗礼を受けたい」なんて言わず周防を助けて続けてくださいね。

24(火) 事業団サービス向上委員会。Sさんがええことを言われた。「起こった出来事を検証し合うのではなく、起こる可能性があることを予測して対応する」か。この会は評議員会なんかとは違って、幸いなことに牧師は2人しかおらんので良い意見が出される。これも予測対応をして牧師を入れんかったんかもしれんな。

25(水) テアトル徳山で『青い鳥』を観る。学校のいじめをテーマにした映画で考えさせられる作品やった。ストレートに感動する映画もあれば、観客の受け止め方を問う映画もある。今回は後者。ところでストレートに聴かせる説教もあれば、会衆に受け止め方を問う説教もある。ボ~ッと聴いとったらあきまへんで。僕は後者。

26(木) 「あの料理本は何のため買ったん?なんでもリクエストしろって言っとったやん?」と娘に皮肉られた。言われてみりゃ本を買ったことすら忘れとったわい。しかし…花は観賞するために買うやろ?本は読むために買うんや。料理の本を買ったという意気込みを評価できるような娘に育たないかんで。妻が帰山。

27(金) 例の代車のことを「車を買い換えた」と保男に言ったところ、「ええのう」としきりに羨ましがっていた。そのうちに気付くやろと思っていたが、未だに「ええのう」を繰り返す。保男に出会って27年。何度お前は僕に騙されてきたことか。念のため「主よ!あなたなのですか?」と尋ねとこかな…と思うくらい純粋な男よ。

28(土) 亀の里に住んでいた平本さんの部屋を弟さん夫婦が江田島から度々掃除に来られ、昨日終了。最も苦労したのは数年前の台風時、窓ガラスに貼ったまま強烈に焼きついてしまったガムテープ剥がし。結局あん時の台風は逸れたが、このテープ剥がしもある意味で「間接的台風被害」やろな。奈良より佐藤牧師一家が来会。