周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

1月21—27日

2024年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

去年の夏、教会キャンプに行った時に撮った写真。岩国市を走る錦川清流線。鉄道ファンにはたまらない路線だけれど、僕が乗った記憶は42年で2度くらいかな?国鉄時代は岩日(がんにち)線と呼ばれていました。JRから、第三セクターとなった時、売り出された車両グッズの吊り輪を買った。鉄道ファンは是非乗りに来てね。

 

1/21(日) 光教会の説教壇に立つ時、いつもうらやましく思ってしまうことがある。それはマイク設備や。ボリュームがええ。大き過ぎず、ハウリングも起こさず、会堂に心地よく響き渡る。それに比べて周防教会のマイクはひんぱんに不調を起こす。まあ会衆の立場からは説教が途切れて有難いかも知れんな。

 

22(月) 先週末に再々の緊急手術を受けてHCUに入った妻。しかし真夜中の病院からの電話が恐い。牧師をしていて今までに夜中の電話と言えば、信徒の訃報がほとんどで何度も心を痛めたが、病院からの電話も同じくらいに心臓がバクバクする。また心筋梗塞を起こしたら弁償してくれるんかいな!弁償?

 

23(火) 日本列島を寒波が襲う。さすがに広島までバイクで行く気にはなれず今日は車にした。一般病棟に戻ったのはええが「口の手術もしたんですか?」と看護師さんに尋ねてしまうほど妻は饒舌になっていた。その姿はまるで、MさんかNさんが憑依したのかと思うほど。M?N?ご想像におまかせします。

 

24(水) 玖珂の町は氷点下5度で、数年ぶりに雪だるまが作れそうなくらいの積雪。今日は大阪の長男がドナー後の検診で来院している。店があるのでトンボ帰りするらしい。夜、今年初めての風呂に入った。いや、いくら便所に行った後に手を洗わない僕でもシャワーは浴びています。やっぱ湯舟は最高やな。

 

25(木) 先週東京から見舞いに来てくれた義弟に続いて、今日は大雪で新幹線が遅れる中、義妹が来てくれた。仲がええんやな。一方、僕は幼少時から妹とは喧嘩が絶えなかった。それが中学生時代を境にパッタリと喧嘩が止み、今では妹の膝枕で耳かきをしてもらうほど仲良くなった。ある意味で気色悪いか。

 

26(金) 今日が高校の受験日ゆえ昨日から授業が無い。今学期はまだ一度しかまともな(まとも?どの口が言うねん)授業をしていないので来月は忙しくなりそうや。ドナー後の検診を受ける長女の運転で広島へ。妻の饒舌は23日限定やったみたいで今は元に戻っとる。お祓いした覚えは無いが憑依がとれた?

 

27(土) 孫たちのインフルエンザも治って、久しぶりに病院を訪ねた次女が妻の顔剃りや爪切りをしてくれた。♪う~ちの女房にゃ、髭がある~♪なんて歌があったなあ。僕は昔、すね毛も胸毛も無く、髭まで薄いのがコンプレックスやった。若者が脱毛する世の中。50年早くこんな時代が訪れていたらなあ。


1月14—20日

2024年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

うちから車で10分以内の所にあるラーメン屋(娘が学生時代にバイトしていた『ラーメン山小屋』への義理ゆえ名前は明かさない)は、子供の頃、大好きやった夜泣き屋台の味に少し似ている。写真は(ちょっと食べてしまった後で撮った)地味やがファンは多い。しかし夜泣き屋台は美味かったなあ。今では紙芝居同様、絶滅したんやろか。

 

1/14(日) この季節、アマゾンで『氷点下で生きるということ』という番組を時々観る。面白い訳ではない。目的は玖珂の冬を過ごすことにある。とんでもなく寒いところで生活する人の姿は暖房費の節約に役立つからや。最近は暖冬で玖珂も氷点下の日が減ったが県内でもまだまだ寒い。番組を観た後に冷えた

 

15(月) 布団に潜り込み「なんのこれしき」と我慢できる。以前も書いたことがあるが、鈴木三重吉の『少年駅伝夫』も同じ効果を与えてくれる。暖房費を節約したい方は是非お試しください。ただしそれで体を悪くしても当局は一切責任を負いません。スパイ大作戦じゃあるまいし「当局」って誰のことや?

 

16(火) 妻の病院の行き返りはほとんど長女に運転してもらう。そのおかげで都会の運転が苦手やった娘も今は手慣れたもの。練習の成果やな。父に感謝しなさい。詭弁はこれくらいにして、実は僕は昼間運転すると眠くなってしまうのである。なのに夜の寝つきが悪い。たぶん夜行性動物に分類されると思う。

 

17(水) 東京の友人からクール宅急便が送られてきた。開けてビックリ!大量の牛の死骸・・・失礼、すき焼き用の高級牛肉。「しっかり食べてね!」と元気を出すようにメッセージが添えられていた。妻が入院してから色んな人たちに支えられている。この際、僕自身の性格も大手術せんと畏れ多くて食べられん。

 

18(木) 財布を忘れた。自販機の前で立っていたら生徒が来たので200円借りた。教会に戻ってから返すお金を用意する。利子を付けてあげようと、僕のコインコレクションの中から1958年の百円玉を取り出した。コインショップで売ると200円はするぞ。でも自販機では使えんから注意するように伝えねば。

 

19(金) 授業中のこと。女子生徒が大きな音を立てて椅子から転げ落ちた。すぐに起き上がったので体調の異変では無いことは分かったが、どうしたんや。寝ていたの?それが理由ならば安心。「寝るならしっかり寝なさい。成績には響かない」と公約している僕としてはそこまで熟睡してくれたことに大満足。

 

20(土) 200円借りた件やが、旧百円玉と沖縄海洋博の記念百円玉を手渡した時、さぞかし驚き喜んでくれることやろうと思ったが浮かぬ顔。そこで収集家にとってこの百円玉はそこそこ価値ある品だと伝えたら一言「普通のがいい」。どうも偽コインと疑っているみたいや。き・・・君は牧師様が信じられないのか!


1月7—13日

2024年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

広島大学病院の病室からの景色。まるで秋空のように見えるが、いずれも1月の空。寝たままの妻からは残念ながらその一部しか見えない。もちろんICUに入っていた時は外の景色どころか昼夜すら分からない。そんな生活がもう数か月。でも、退院後にはきっと「景色って本当に素晴らしい」ということが味わえるはず。

 

1/7(日) 新年最初の役員会。うちのような小さな教会の役員会の特徴。①いつでも開催できる。②アッと言う間に終わる。③教団や教区への苦情が出る。④本題よりも世間話しの方が長い。岡林信康の♪橋/実録~仁義なき寄り合い♪という歌があるが、この歌になぜか共感してしまう。YouTubeで聴けますよ。

 

8(月) 紙芝居を借りに柳美幼稚園へ。適当に借りているのではない。年少児の成長に合わせながらチョイスしている。4月にはまだ言葉の分からない年少児も次第に日本語を解するようになってきた。それを考慮しての紙芝居選びなのである。ただ悲しいのはこういう努力は子供らには全く伝わっていないこと。

 

9(火) 妻に三回目の手術が行われた。まだお腹の中で体液が漏れているらしい。今回は約5時間。うまくいったとのことやが、一つだけ言えるのはまたしても振り出しに戻ったということ。その度に病室が変わるので院内引っ越し8回。昨秋入院して三カ月が過ぎたが、無事に退院できるのはまだ二~三カ月先か。

 

10(水) 愛隣幼児学園の礼拝。今日の紙芝居は『南極のタロとジロ』。原文のまま読めば難しいので全部アドリブとなるが、何よりも難しいのは果たしてこの物語と聖書とをどう結び付けるかや。まるで落語で言うところの三題噺(さんだいばなし)さながら。さて、今日の落ちはいかに?お後がよろしいようで。

 

11(木) おそるおそる高校に電話した。「つかぬことを伺いますが、今日は授業無いですよね?」。事務のお姉さん「はい。入試ですから」。それを聞いてホッとしたが電話の向こうから失笑する声。過去に何度か知らずにうっかり登校してしまったのがバレとるんやろな。勤務して間もなく4年。そろそろ学べよな。

 

12(金) 今日の授業は一クラスだけ。そこで「何して遊ぶ」と聞いたら、なぞなぞを出すから答えよとの提案。僕になぞなぞで挑戦するなんて片腹痛いわ。ネットなど無かった子供時代、なぞなぞで育った僕や。次々に答えてやった。どや!尊敬したか!でも皆シラケた顔。すんません。空気を読むべきでした。

 

13(土) 今日は長女と次女とで妻の病院へ。昨夜はなぜか眠れず、明け方まで本を読んでいたので、つい病室の椅子で寝てしまった。気が付けば面会の終了時間。次女に「おとんは結局寝に来ただけか」と言われた。昔、産院のベッドで妻をどかして寝たことがある。リハビリで妻が歩き出したらベッド借りよ。


12月31日—1月6日

2024年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

元旦に角田一家をお招きして食事会。実はこの御節料理は大阪の実家で食べる予定やった。角田家も毎年名古屋のご実家に帰省しているはずやった。それぞれ心のどこかにささくれを残しての食事会となったが、ご馳走を前にしたら皆の顔は明るい。ハクがおまじないを込めて作ったおにぎりを泣きながら頬張る千の顔が浮かんできた。

 

12/31(日) 妻の見舞いを終えた後、夕食を取るために広島の本通り商店街へ。そこでまさかの展開。どの店も満員御礼。1時間以上さ迷い歩く。都会は怖い。やっと見つけた店で食事をし夜遅く帰る。誰もが腹ペコ状態でつい食い過ぎたのがいかんかった。みんなで苦しみながら食べる年越しそば。良いお年を!

 

1(月) 昨夜は「今年こそは」と耳を傾けたが、やはり除夜の鐘は聞こえて来んかった。こんな田舎で、しかもあちこちにお寺があるにもかかわらず一度も鐘が聞こえて来ないとは謎は深まるばかり。この町は善人だらけで煩悩など無いのかもな。しょうがないから自分の煩悩だけ払うためクマ除けの鈴を鳴らした。

 

2(火) 大晦日に名古屋から帰省した天語が友人を呼んで、庭でバーベキューをしている。ただですら寒い盆地町なのに外でバーベキューとは。元気やなあ。昔、槇みちるが歌っていた♪若いってすばらしい~♪それにしても集まっとるのは野郎ばっかりやん。まあこんな過酷な食事に来る女性なんておらんわな。

 

3(水) バーベキューは午前3時過ぎまで続いたそうな。真夜中にワイワイ、ガヤガヤ。亀の里の住人たちもさぞかし迷惑やったに違いない。大騒ぎはそれだけではない。オエオエ、ゲロゲロも加わったらしい。心配なのはみんな新年早々風邪引いて熱出してゴホゴホ、ウ~ンウ~ンなんてことになりませんように。

 

4(木) 何がおもしろいのか分からんが、広島女学院の高校時代から時々うちに泊まりに来る4人娘らが、今はそれぞれ大学2年生になって再び泊まりにやって来た。これも女学院の名物教師やったヤノイチが生前に結んでくれた縁や。あと数年もすれば彼女たちも立派に成長して献金を携えて来てくれるはず?

 

5(金) やっぱり言うと思っていた。山賊に行きたいらしい。正月の山賊なんてとんでもない話やが念のため店まで行ってみることにした。ん!思わず心の中で神に感謝。店休日や!残念やったなあ~。次にご期待。そしてまたヤノイチの思い出話を聞かせてくれ。それから、山賊に行きたかったら平日においで。

 

6(土) 妻がまた手術を受けることになり説明を聞きに病院へ。緊急ではないので少し安心や。しかし医療技術の進歩には驚くばかり。まるで車の部品を交換するような錯覚にとらわれる。中古のままでも無事に戻って来てくれ!と言いたいが・・・ドクター、できれば新車(40年前)に戻してくれると嬉しいんですが。