周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

11月19―25日

2017年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

教会二階のベランダから見下ろした光景。今年もすっかりイチョウが色づいて大量の葉っぱを落とし始めた。毎日掃除をしても数週間かかる。下に停めている車をうっかり出そうものなら、町中に葉っぱをまき散らしてしまうのでバツが悪い。いつやったか一晩でほぼ全部の葉が落ちたことがあった。理由は不明のままやが、たぶんトトロの仕業に違いない。

 

11/19(日) 東京から来た客が山賊を所望された。地元の人間は間違っても日曜の山賊には足を踏み入れない。なぜなら尋常な混雑ではないからや。だが社会館の連中に「山賊王」とまで呼ばれている僕の意地が闘争心を煽る。家族総出で山賊退治に攻め込んだ。駐車場と席さえ確保すりゃ勝利は目前。おかげで客人に喜んでもらった。ざっとこんなもんよ。

 

20(月) やっぱりね。昨夜の飲み会で、また宿の人に怒られたらしい。先月末には津和野の宿でも怒られたばかりや。36年牧師をしていると「この連中はたぶん夜中まで大騒ぎして怒られるやろなあ」という勘が働くゆえ、僕は夜の飲み会に出ても早々に退席するか、最初から出ないで難を逃れている。ただ仲間を見棄てたような気分が残る。ま、見棄てたんやが。

 

21(火) 春からたった半年で年少の子が僕の話しに反応してくれるようになった。人語を解するようになったわけか。目覚ましい成長やな。ところでその反応というのは「もっと面白い話しをしろよ」という類のもの。それって4年半も経っているのにぜんぜん成長していない僕に対する抗議か?こっちはまるで、高座に上がって熱演するのに全くウケない落語家の気分。

 

22(水) 夜遅く孫の希与を連れてスーパーへ。やばい!レジの横にあるキャラクターグッズに希与の目が止まった。でも買わんよ。レジのおばちゃんたちが注目する。買うわけない。視線が突き刺さる。絶対に買わんぞ。希与が品物を手に取って僕を見る。しつこいぞ!おばちゃんらの無言の圧力。負けるか!三歳児とおばちゃんの視線に屈した敗北感を背に帰宅。

 

23(木) 教会のトイレにデロンギヒーターを置く季節がやってきた。去年はあまりの暖かさにトイレで30分も寝てしまったが、この優しく包み込むような暖かさはたまらない。いっそここに布団を敷いて寝たらさぞかしええ気持ちやろなあ。待てよ。最近夜のトイレが近くなった僕にとって、ここで寝るというのは理にも適っているのではないか?試してみる価値はあるぞ。

 

24(金) 某会計の現金袋の裏に書いてある「7,000円借入」という文字を見て僕の心は折れた。しもた!ここからチョイ借りしてたんや。すっかり忘れとった。それと同時に別な某会計の現金袋の裏に書いてあった「25,000円借入」という文字が目に入り僕の心は砕け散った。有山じゅんじ&上田正樹の『俺の借金全部でなんぼや』を口ずさみながらその場で凹む。

 

25(土) 周陽教会にて分区信徒大会。テーマは葬儀。僕は家族に申し出ていることがある。僕の葬儀は一緒に暮らしている家族だけで行なうこと。教会員・友人・分区はもちろん、よそで暮らす家族にも火葬が終わるまで知らせないこと。死装束はステテコと腹巻。顔はバカボンのパパメイク。瞼に目を、額には「これでいいのだ」と書くこと。そして見る度に笑うこと。


11月12―18日

2017年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

最初はこんなやったけど(左)、次第にこんなになって(中)、最後はこんなありさま(右)。子供の頃、岸和田でだんじりを曳いて以来の祭り参加。高校は神社神道の学校やったので僕は洗礼の前に伊勢の五十鈴川で禊(みそぎ)を受けている。宗教改革500年?アホくさ。俄然こっちの方が楽しいぞ。

 

11/12(日) 朝8時から天神境内の掃除に行く。十八日の祭りに向けての大掃除と舞台の設置に百人以上の人が瞬く間に集まった。すごいなあ。天神さんにゃ勝てんわい。さて、来年僕は地区の自治会長になるが、午後の役員会で「天神祭りの実行委員長もやっていいよん」というお墨付きをいただいた。もしかしてこれこそ究極のエキュメニカルとちゃうか?

 

13(月) シャイな慶君が遊びに来た。彼が定時制高校時代に書いたという作文集を読ませていただいたが、良いご両親と学校に恵まれたことがヒシヒシと伝わってくる。うちの子も二人ほど定時制の高校に行ったので共感点も多い。思うんやが、全日制高校と定時制高校って、機械で作ったパンと、手作りパンに似ているなあ。まあ僕はどっちも好きやけどね。

 

14(火) 船頭多くして船山に登る・・・という言葉を連想する会議に出させていただきました。途中、ヤボ用で4時間ほど中座したけれど、この会議に全参加された方々は本当にお疲れさんでした。♪ええ~え~、舟は櫓でやる~櫓は唄でやる~唄は船頭さんのよ~心意気~♪みんなに選ばれた船頭さんたちよ。どうせなら調子を合わせて仲良く舟を漕ぎましょうや。

 

15(水) 映画『母』を観に行く。先日うちに来たお客さんが「私も観ましたが最後は宗教で終わりましたね」と、ややご不満な感想を述べられていた。原作が三浦の綾ちゃんやからねえ。確かに最後は宗教でチャンチャンみたいにとれる結末は、カタギの衆にはチョット残念かなあ。でももっと残念なのは、最近の宗教は大きな流れとチャンチャンをしてしまうことや。

 

16(木) 子供の頃、箸をくわえて転んだ子が病院に運ばれたのを見た母が「絶対にマネしたらあかんで」と言った。僕も目撃したのでショックやった。以後、自分の子供らにも注意した。深夜、夜食を作っている最中、箸をくわえたまま便所に行き、電気を消して出ようとしたら戸にぶつかって舌根にグサリと突き刺さる。ショ~ック!でも誰にも見られなくて良かった。

 

17(金) 初期の水戸黄門の再放送を観ているとセリフがやたらとカットされる。禁断の差別・不快語の部分や。その多くは何という言葉がカットされたか想像できる。たとえば「め〇〇」とか「お〇」とか「つ〇〇」とか「き〇〇〇」とかや。今の時代は「お〇〇」や「お〇〇〇」なんかもNG?これこれそこのあなた。何を想像してまんねん。これは下ネタじゃありまへんで!

 

18(土) 来年の天神祭りの参考にと、大まかな神事の流れを今から少しでも知っておくため早朝から参加。玖珂天満宮と書かれた青いハッピを羽織って交通整理や雑用をする。祭りのクライマックスは天神さんから八幡宮までのご神幸行列。僕は旗持ちを担当。ああ面白かった。さて帰って明日の礼拝準備でもするか。こんな牧師って・・・裏切り者でしょうか?


11月5―11日

2017年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

前々回、リクガメに足を踏まれたことに興奮して、こいつのことを書き忘れるとこやった。リクガメに夢中になっている時、なにやら殺気を感じて見上げると、こいつと目が合った。ばったり知人に会った時、急に名前が思い出せない時のような気まずさ。後で調べて思い出した。ビントロングや。それにしても手が届く距離で会った驚きは、桃の木であり山椒の木や。

 

11/5(日) 永眠者記念礼拝。前のテーブルの上に置かれた遺影は会衆の方に向けて並べられる。一方、生前皆で礼拝をしたというイメージで、会衆席側から説教壇に向けて置く教会もある。その教会の牧師が言っていた「視線をいっぱい感じて、なんか話しにくい」。心配はご無用。失礼ながら相手は永眠中。それに生きている連中もきっと眠っとるに違いない。

 

6(月) 朝昼を抜いて、腹ペコで庶民的価格のステーキ屋へ行って夕食。1ポンドステーキは約450gやから、適量の4分の3ポンド=340gを注文。最近は自分の腹具合が計算できるようになった。ただ、サラダ・スープ・パン食べ放題のことを忘れとった。空腹は計算も理性をも狂わせてしまう。娘に運転してもらい、僕は後部座席で唸りながら帰路へつくのでした。

 

7(火) 明日から値が上がるという情報を受け、ポリタンク5本分の灯油を買い込みに行く。パンパンに灯油を注いで帰った。これだけあれば当分ポカポカやな。暖かい牧師室で精神的ゆとりを持てば仕事もグンとはかどる。と、そこまでは良かったんやが、たっぷり居眠ってしまった僕は、朝まで原稿書き。時として、ゆとりには罠があるということを忘れるなかれ。

 

8(水) 大島教会へ向かう途中、いつものように大畠観光センターの販売所で渦潮母さんの弁当と揚げたてのエビカツを買って、海岸辺りの駐車場に車を停め海を眺めながらの昼食。何度味わっても、えも言えぬ至福の時。恒例行事として、食後は海に向かってマーキングして行くんやが、なぜか今日に限ってギャラリーが多い。漏れそうになって役員会へ。

 

9(木) 僕のCS教師であり、農伝の後輩であり、同級で卒業したFさんから、「まだ発売前なので内緒やで」と言われ、先々週『◎△×□$』という題で某有名出版社から発売される本が送られてきた。中でも驚いたのは挿絵のMさんが、高校時代から愛してやまない加川良や西岡恭蔵のレコードジャケットの作家ということ!アッチョンブリケ~!え、えも言えぬわ!

 

10(金) 寝床で読んでいる世界動物文学全集やが「僕が生きているうちに読めるやろか」という予想に反して全30巻中、間もなく20巻目を読み終わろうとしている。全巻読み終えると聖書を6~7回読んだ量に匹敵する。これがどんだけすごいことかと言うと、大きな声じゃ言えまへんが僕はまだ聖書ですら全読したことが無いんやからねえあんた。内緒だっせ。

 

11(土) 昨夜降った雨で落ち葉が濡れ、気をつけねば滑って転ぶ。加えておびただしいドングリを無防備に踏んでしまうと大転倒で奈落の底や。ただですら急で細い斜面を登らないと辿り着けぬ難所《共同墓地》の掃除に行く。なのに♪そこに私は居ません~眠ってなんかいません~♪なんて歌われた日にゃあ、何のために命がけで掃除に行くのやら分からんで。


10月29日―11月4日

2017年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

かつてはアンノン族でひしめいた津和野の町。しかしアンノン族という言葉自体が若手牧師たちには伝わらなかった。狭い観光地なので一日歩けばほとんどの名所を回れる。時々山口県と混同されるがここは島根県。話しは変わりますが、先週ゾウガメに足を踏まれたと書きましたがリクガメの間違いです。お詫びして訂正します。どうでもええって?

 

10/29(日) ご近所にあげる大阪土産を買い忘れてしまった!仕方なく教会の皆に出す分を割愛させていただくことに。当初、一人3個は食べられるように買ってきたつもりの菓子が一人1~2個となってしまった。ゆえに油断できない。2個以上口にしそうな人の一挙一動に目を光らせながらのお茶の時間。それは誰のことかって?そんなこと言える訳ないでしょ。

 

30(月) 教区の牧師研修会が津和野で開かれる。とにかく予算が少ない研修会なので、当然高級には縁遠く、毎回それなりの宿にしか泊まれない。☆の数で表すとだいたい☆5個中/2個か、良くて3個レベルの宿。昔は修学旅行生も泊まらない☆0.5という宿もあった。ただ幸せなことに客(牧師ら)のレベルもそれなりに低いので2個でも大満足。今回も12

 

31(火) 時まで使用許可が出ていたラウンジで1時過ぎまで大騒ぎしていた連中が管理人に叱られて解散という恥ずかしい目にあったらしい。ところで僕は4人部屋をあてがわれたが、悲しいことに呑兵衛たちが部屋に戻ってくるまでどんなに眠くても寝られない。なぜなら奴らは大騒ぎをしながら帰ってくるからや。先に寝ていたら必ず起こされてしまう。寝て

 

1(水) いたのに一旦起こされてしまったら、僕はしばらく眠れなくなる。下手すると朝まで眠れない。一方大騒ぎで戻ってきて僕の目を覚まさせた呑兵衛たちは瞬時に寝てしまうだけでなく、大抵は大いびきをかく。顔に濡れタオルをかぶせたくなる気持ちを抑えながら二泊三日を過ごす。それでも年一回の修学旅行気分を味わいたくて毎年いそいそ参加する。

 

2(木) 実家の仏壇を取り壊した時、父方の祖父の遺言書が出てきた。小さな大学ノートに1ページだけの遺言。日付が書かれていないから下書きみたいなもの。祖父は僕が中3の冬に81歳で他界。「みんな仲良く暮らすように」「自分のことは年一回、盆にだけ思い出してくれればよい」と書かれてあった。優しかった祖父ならではの遺言やなあ。同じ場所から

 

3(金) 僕の親父の死亡届けも出てきた。7年前に自宅で倒れて、妹が応急処置をほどこしたにも関わらず、救急隊員が来た時は心肺停止の状態やった。それは仕方がないが、第三者のヘルパーも一緒に居たのに死体検案書が要ると言われたことがよほど悔しかったんやろなあ。欄外に「4万円届け代金払う。腹立つ」と母の文字でメモが残されていた。

 

4(土) 高校生の頃、『おはよう浪曲』にハマり、朝の5時からラジオの京山幸枝若の声を聴きながら泣き笑いした。しかしまだ一度も浪曲を生で聴いたことが無い。そんな矢先に浪曲師玉川奈々福の独演会があると知って光まで足を運ぶ。やっぱええなあ。この素晴らしき話芸を是非、礼拝説教で。オルガンを三味線で出来ないものか?結構本気なんですけど。