周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

10月18―24日

2020年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

下松市運動公園のコスモスを見に行ったら桜が咲いていた。種類は分からんが狂い咲きってやつかも?1970年代に岡林信康が自作自演コンサート『狂い咲き』ってのをぶち上げた。過激で面白い曲が満載。当時多くの若者が夢中になった。でも僕が岡林の歌で一番好きなのは『橋・実録/仁義なき寄り合い』。自治会長をしている時によく聞いた。

 

10/18(日) 二週に渡ってつねさんが襲来。疲れ果てている時を狙っているみたいに必ず日曜の夜。つねさんは焼き鳥屋のかたわら新聞の仕分け仕事も行なっている。ゆえに真夜中の出勤となる。「ぼちぼち行くかな」と言い残して午前1時に出かけて行った。頭が下がる働き者。と同時に明日が休刊日でないことを神に感謝。休刊日やったら明け方コースになだれこむとこや。

 

19(月) 地球上に落下する流れ星の数は一日に2兆個以上だという。だから夜空を眺めていたら(忍耐も必要やけど)ほぼ確実に流れ星が見られる。秋も深まり今夜は一段と夜空がきれいや。新月から二日目なので絶好の観測日和でもある。しかも明後日はオリオン座流星群。今夜はきっと出るぞ。うまくいけば火球が出現するかもしれん。期待しながら一時間。出たのは水洟だけ。

 

20(火) コピー屋の親父さんはとても話し好きで、毎回集金に来た時は30分以上油を売って帰る。今日も止まらぬコピー機のごとく話題が次から次へと飛び出した。親父さんとは昔からの付き合いで「色んな会社と取引しているがここの教会が一番貧しい」と憐れんでくれて、よく手土産を持ってきてくださる。今日もドーナツをくださった。憐れまれるって結構ええもんやな。

 

21(水) 礼拝堂に入ったら異様な臭い。うちの猫がまたイタチと格闘して屁をかまされたに違いない。その証拠に気まずそうにニャンニャン鳴いてまとわりつく。ところがよく調べてみると礼拝堂に置いてあるギンナンが原因だと判明。小さい頃、母親によく言われたなあ「七度探して人(この場合は猫)を疑え」。以前15kgの米袋が無くなった。もう時効やから犯人は名乗り出てよ。

 

22(木) 今日の弁当は1年生のクラスに乱入して食べた。職員室で食べるよりもずっと居心地がええ。周囲の生徒らに話しかけながら食べたがなんか変やぞ。みんなやたらと無口や。僕って、もしかしたら嫌われてるの?しかし原因はコロナやった。「静かに食べましょう」ということらしい。とりあえずホッとしたけど、お願いやからこのことは先生たちには内緒にしといてね。

 

23(金) 学校が終わった足で牧師会へ。少し時間があるので次女の家に立ち寄った。ところが次女は高熱を出して寝込んでいるではないか。まさかコロナやないやろな?全てコロナを疑う今のご時世。咳をしている人を見るとコロナちゃうか?県外から来た人に会うとコロナが心配。教団から届いた郵便物を見るとコロナ・・・。もっとも今の教団はある意味においてコロナよりも重症。

 

24(土) 僕が周防に着任した春、三人の女子高生が突然礼拝に現れて、その後卒業までの三年間ずっと通って来た。その中の一人のトモちゃんが高3の娘さんを連れて訪ねて来てくれた。ああ久しぶりの「普通」の友人や。娘さんに「宗教には気を付けなさい」「若いうちから宗教なんぞにハマったらあかん」などと説法をする。もしかして僕が「普通」の牧師ではないのかもしれん。


10月11―17日

2020年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

収穫したギンナンの一部。どうやったら写真が横向きになるんやろ?まあええか。実から種だけ取り出すのは重労働。この「重」というのは「力仕事」という意味ではない。悪臭と戦うという意味における「重」である。「臭労働」と言うべきか。以前奉仕者の一人が気分を悪くして寝込んでしまったことがある。今年は84の婆ちゃんが一人でやってくれた。僕?来年やります。

 

10/11(日) 夜、外出から帰って来たらつねさんが襲来した痕跡が残っていた。DVDの貸し出しリストに名前が書かれてある。今回は何を借りてったんかな?え~っと『ダーリンは外国人』・・・やっぱり彼のイメージではない。リストの横に袋に入ったDVDがどっさり置かれてあった。もしかして献品かな。何が入ってるんやろ?『性犯罪特捜班/全12巻』。悪いけど・・・いらんわ。

 

12(月) 昨日せっかく来てくれたのに留守をしたので、久しぶりに『焼き鳥つね』に顔を出す。そっと覗くとつねさんが一人で厨房にいる。絶好のチャンスは見逃さない。「こらあ!」で驚かせて入店。神学生時代にも学校の食堂のおばちゃんにいつもやっていて「寿命が縮むじゃないの!」と怒られた。残念ながら、そのおばちゃんは若くして亡くなられた。僕のせいかも知れん。

 

13(火) 大量のカラ揚げを手土産にB君が来会。おおよそ45個はある。ありがたいが「誰が食うねん!」。亀の里アパートの住人のNさんにこっそりと「他のみんなには内緒やで」と言っておすそ分けした尻から他の住人たちに配っていた。これやからトーゴーさん(統合が失調している人の亀用語)は正直で困る。つねさん、B君、Nさん・・・etc。僕には普通のお友達がおらん。

 

14(水) 園児礼拝の帰り道、国道のバイパスで杖を振り回すお爺さんがいた。間寛平かと思ったがどうやらエンコして困っているようす。手助けをしたら、しきりと名前を聞かれて困った。「名乗るほどの者では御座らん」「私めの気が済まぬ」「平にご容赦を」「あいや、是非にお名をおっしゃれ」「それを聞くと震えが来ますぞ」。水戸黄門がよく言っていたセリフを借用。

 

15(木) 今日の昼の弁当は生徒と二人で外のベンチで食べた。話に夢中になってしまい、半分も食べられんかったが、職員室で食べる弁当は未だに食った気がせんので今日は気分がええ。どうしても職員室は「叱られに行った場所」という忌まわしい記憶がこの歳になっても抜けきれんからな。たとえて言えば、猛獣を気にしながら草を食む草食獣のような気分になるのである。

 

16(金) 今週の授業が終わった。今日は午前中までなので弁当は無し。いつものように帰りがけに「すき家」に立ち寄って牛丼の中盛りを食べる。しかしこのルーティンも今日までや。先日の検査でさすがに数値が悪くなっていたからなあ。これからは「吉野家」の「頭の大盛り」にしよう。「すき家」よりも心持ち程度、肉の量が少ないのがええ。それくらいで数値が変わるか?

 

17(土) 知らぬ間に金木犀(キンモクセイ)の木がもう一本生えていた。竹やぶの中でひっそりと育ったのが、花を咲かせて良い香りを漂わせたので気が付いた。ひっそりと暮らしておられる周防教会の皆さん。あなたの良い香りはいつかきっと神様の元に届きますよ。・・・と言いたいところやが、うちの連中は「頼むからもうちょっとひっそり暮らしてくれんかのう」と言いたい人で花ざかり。


10月4―10日

2020年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

秋桜と曼殊沙華に挟んで並べた山口の秋。僕が写メで撮る花々や景色はその素晴らしさの半分も表現できないが、どれも見ていて飽きない光景。特に瀬戸内海を走るフェリーを見るたびに「道後温泉に行きてえ~」と思ってしまう。GoToキャンペーンで格安で高級ホテルに泊まれると思って予約していたが、その牧師会旅行も中止。コ、コ、コロナぁ~!

 

10/4(日) 珍しく彩七がチビ共を連れて礼拝に訪れた。子供の姿が礼拝から消えて久しいが、今日の出席は嬉しい反面、ややこしいことにもなってしまう。もっとコンスタントに出席してくれるならええが、このままだと年度末の議事録に出席者数を「礼拝平均数=子供0.05人」とかいう数字を載せにゃいけん。報告のため四捨五入をしたら0.1人や。2倍もサバを読むことになるぞ。

 

5(月) 久しぶりに大島の「うずしお亭」にそばを食べに行く。夏の終わりから新そばが出ているが、これは冷水でしめたのを食べたい。でも僕は無性に温かい出汁を欲している。関西風ではなく、大阪人がよく「あんな真っ黒けな出汁なんかでうどんが食えるかい!」と揶揄する関東風の真っ黒けの出汁で食べたくてたまらないのである。苦渋の選択の結果、血糖値を捨てて両方注文。

 

6(火) 萩で開かれた広報委員会に出席している下手さんを待つ間、遊覧屋形船に乗る。他の客がいないので貸し切りや。城下町ゆえ時代劇風にアレンジしてみました。船頭さん「お客人、どこから来なすった?」。僕「周防の国は岩国でござる」。船頭「県で一番金持ちの藩でござるな」。僕「基地のせいでのう」。その後、船頭さんの熱弁が続く。研修会の講師に招きたい左派船頭。

 

7(水) 竹田さんの母上を広島の病院から玖珂の病院に搬送する。昨日は萩からの帰りに徳山(現在は周南市)で帰宅ラッシュに見まわれたが、今日は朝の広島市内で通勤ラッシュにハマる。山口で生活して早や38年。渋滞などというものとは無縁の日々を過ごしている幸せをかみしめる。こんな渋滞を毎日体験する全国の都会で暮らすアンビリーバボーな仕事人たちよ。ご愁傷さま。

 

8(木) 今年はコロナ禍のせいなのか中間試験が終わった直後から授業が始まっている。生徒たちの疲弊した顔は僕に憐みを乞うような、うつろな視線を投げかける。心配するな。そんなことやと思って今日は授業はせん。そこでYouTubeで「岸和田のだんじり」動画を見せてやった。というか本当は僕が見たかっただけ。興奮しながら観る僕をよそに、生徒らは安らかに寝ている。

 

9(金) 台風14号の強風で電車が止まっているらしく、登校できない生徒がかなりの数になる。これじゃ今日も授業にならんぞ(内心は「やった!」)。そこでまたYouTubeの出番。手抜き?違いまっせ!腐っても宗教の授業をつかさどる身。「人々はなぜ命をかけてまで神事を行うのか」という立派なテーマや。諏訪御柱祭りの動画も見せる。しかし実際思う。なんでそこまですんねん。

 

10(土) 昨日5歳の孫から苦言を受けた。「爺ちゃんは教会の人にはしないのに、どうして私たちだけを怖がらせたりするの?」。良い質問や。それはね、爺ちゃんは人をハメたり驚かせたり怖がらせたりすることが三度の飯よりも好きだからだよ。今は小さい君たちにジョークが怖さとして映るだけなんだよ。それに比べて教会の人らは年を取り過ぎて驚きに鈍感なだけなんだよ。


9月27日―10月3日

2020年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

聖徳太子が政(まつりごと)や仏教のことなどで思案していた時に仏さんが現れて妙義を授けてくれたという法隆寺の夢殿は有名。この写真は夢殿を模写した靖霊殿。岸和田の久米田寺にある。最近知ったんやけど戦没者の慰霊のため昭和32年に建立されたという。そんなこととはつゆ知らん僕はこの回りで大騒ぎをしてセミ採りに夢中になるバチ当たりな夢見る少年やった。

 

9/27(日) 大島教会での礼拝中に大阪の母から着信があった。後でかけ直してみたら「合格した!」という喜びの電話やった。もうすぐ85歳になろうとしている母がいったい何に合格したかと言えば「要支援認定1」。元気な母を知っている誰もが「あかんやろ」と思っていたが、この度見事合格した。赤飯でも炊いて祝うか?そもそもこれって「バンザイ!合格」とかいう類のものか?

 

28(月)『信徒の友』の「日毎の糧」欄に『祈りは不要です。ただ助けてください。全国で相次ぐ小教会の無牧・閉会。そこはあなたの故郷かもしれません。あなたの教会が安泰ならば、子犬にもパンを』という記事を提出していたが、送ってこられた冊子を見て仰天。冒頭の『祈りは不要です』という部分だけがスッパリと削除されていた。編集部にメールでお尋ねしたところ、承諾なしで

 

29(火) 削除したことに関しては丁重に謝罪する返信が届いたが、内容的には「祈りは必要」とのこと。言いたいことは分かる。全国で祈られているからな。でも祈っておしまい?信者の間にだけ通じる「祈ってますよ」は「そうなればいいですね」程度のご挨拶で、叶う叶わないは神の判断ということか?過去、食前の祈りで「世界には飢餓で苦しむ人々がいます」と祈ったあとで

 

30(水)「いただきま~す」と食事を始めた場面に何度も遭遇した。違和感が否めなかった。昔のドラマで「同情するなら金をくれ」というセリフが流行語大賞に選ばれたことがあった。バブル崩壊した日本で他人事ならぬ言葉やった。もはや教会などではなく、まるで企業化したような日本キリステ教団。「実らぬ枝(教勢が伸びない教会)」は聖書とは真逆の意味で切り捨てられるのか。

 

1(木) 中秋の名月。例年は町内の鞍掛山に登って山頂から観月弁当を食べるのが楽しみやったが今年は中止。コロナで自粛?な訳がない。今いち気が乗らんかっただけ。それにしても何でもかんでもコロナと言えば納得する(納得せざるを得ない)時代。そう言えば各家庭にアポ無し訪問をして宣教する宗教の方々の姿も、とんと見かけなくなったなあ。あの熱心さもコロナにゃ勝てんか。

 

2(金) 牧師館のテレビが壊れて一カ月になる。買ってからまだ6年や!保証期間は5年。ふざけるな!とは言え、牧師室や和室にもテレビはあるし、亀の里の事務所にもあるが、僕以外の家族は誰も見ていない。そのおかげでラジオと虫の声だけで静かな秋の夜を楽しんでいる。罪作りなワイドショーや、くだらんバラエティー番組、暗いニュースを見ないと人の心はとても豊かになる。

 

3(土) 高校の通信制入学式。うちの子らが小・中・高生時代、入学&卒業式で君が代が流れると拒否の着席で抗議したこと20数回。一方、今日のプログラムは君が代の直後に聖書朗読。子供らに知られたら「おとん!何しちょるん!」と怒られそうや。ほんまに何しとんねんと自分でも思う。でも決して魂だけは売っとらんぞ!2600円の手当で売れるわけがなかろう!だから、もう一声!