周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

11月18―24日

2018年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

名古屋のテレビ塔なる場所で共生と明恵の結婚披露宴が行われた。今から40年ほど前、先輩が名古屋中央教会で会議をしている間に一人この塔に上ったことがある。ひどい頭痛で展望もままならなかった苦い思い出。ある意味因縁の場所での披露宴。テーブルにずらり並んだのはほとんどアルコールグラス。僕のはウーロン茶にしてくれい。

 

11/18(日) 礼拝中、何となく喉の調子が悪く讃美歌の声が出ない。説教中、喉がイガイガしてしゃべりにくかった。礼拝後、体の節々が痛くなってきた。昼食後、むずむずと寒気を感じ出した。「あかん。ちょっと休んでくる」と言い残し、まだ話しに夢中になっている人たちを尻目に二階へ。熱を測ると38.5度。お祭りの日に熱が出なかった自分に感心しながら床につく。

 

19(月) 亀の里のクリスマス募金依頼書の発送作業。昨日の熱が嘘のように消えている。昨日の発熱は何やったんやろ?分区諸教会の皆さんのお手伝いのおかげで作業は午前中にほぼ完了。しかし今日はやけに冷えるなあ。あまりの寒さに三回も風呂に入った。念のため体温を測ったところ38度。発送作業中に熱が出なかった自分に感心しながら床につく。

 

20(火) 病は気からなんて言うが、今日は久しぶりに予定が何も無いので溜まったビデオでも観ようと思ったが、熱だけ37~38度の間を行ったり来たり。その後ある事情で彩七の家に転がり込んだ。「どうしたん?」「ちょっと仕事で来た」と答えたのに「家出やろ?」と言われた。着の身着のままのジャージ姿が物語っていたみたいや。へへへ、女房とちょっとね。

 

21(水) 朝から前自治会長が来会。まだ祭りの事後処理が終わっていないのである。町内の方々が僕の不調を心配してくださって、色んな後始末をしてくださっている。なんとありがたいことか。だけども熱はすっかり下がっているのでサービス向上委員会に出席するため110kmほど離れた益田市のねむの家へ。帰ってから恐る恐る検温してみた。ほれ平熱やん。

 

22(木) ハードな長旅に備えて出来る限りの準備をする。実行委員長として祭り報告書の作成。自治会長として環境衛生協議会への書類提出。福祉員として高齢者宅を訪問。牧師としてカルト相談。僕としてはバカンスに行く前のような気分でアドレナリンがマックス!熱こそ下がったが体中に熱気がみなぎっている。車に荷物や布団を積み込み23時いざ名古屋!

 

23(金) 御在所SAで時間調整をして11時前名古屋入り。名古屋中央教会を訪ねたら痩せてスタイリッシュに変貌した大ちゃん(草地牧師)に会えた。その後、天語の結婚相手友里さんのご家族と初顔合わせで昼食会。15時から名古屋教会にて今回のメインイベント『共生と明恵の結婚式』。二人の幸せ一杯な門出を見届けて、夜9時過ぎ再び山口へとトンボ返り。

 

24(土) 宝塚北SAで880円の高級きつねうどんを食べたのが深夜0時。昔アメリカで食べた1500円のきつねうどんに継ぐ高値の割にゃ味は今いちやな。その後の運転は子供らに任せることに。途中で誰がいつ、どの区間を運転したのか分からんが気が付けば朝7時に教会に到着していた。しばらく泥のように眠る。夕方大阪の久米田教会の信徒竹内夫妻が来会。


11月11―17日

2018年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

11月17日に開催された『玖珂天満宮大祭』では、過去に無いイベントの「触れ合い動物園」や「ミニSL」など、掲載しきれなかった写真がいっぱいある。しかし中でも熱が入ったのは、なんと言っても手踊りとエイサー。当初僕も手踊りに参加する予定やった。参加しとったら危うくブチ壊すとこやったで。祭りは「過去に無い大成功」と評された!

 

11/11(日) 朝から天神さま境内の大掃除。掃除をしながらも何となくみんなの空気が重い。その理由というのはお祭り当日の天気予報。ずっと晴れ続きなのに、17日だけ気圧の谷が通過するらしく雨の確率が何と90%。ここをきれいに掃除しても雨ならばお祭りは中止となる。順延は無い。天神も、天の神も「天」って名付けられるくらいなら天気くらいなんとかしろよ。

 

12(月) おかしなことに気象予報会社によって予報が違う。90%を予報する会社もあれば30%という会社もある。どないやねん。しかしやはり人情として降水確率が少ない会社を支持したくなるのは世の常。こういう人の弱みに付け込む宗教も多いのでくれぐれもご注意を。昔の人は言う。「女心と(男心という場合もある)秋の空」。いずれも信じられんちゅうこっちゃね。

 

13(火) 年一回の広島女学院高校での授業。先日大阪の知人から送られてきただんじりの半被を着て教壇に立った。僕としては近づく祭りへの景気づけやが、案の定奇異な視線を浴びました。それもそのはず。キリスト教強調週間の授業やからね。脳内メーカーなるものがネットで流行ったが、今の僕の頭の中は「祭り祭り祭り天気晴れ祭りエイサー晴れ祭り晴れ」や。

 

14(水) 亀の里の住人が祭りの通行止め警備員に名乗り出てくれたので、ここは念のため実際に現地にお連れして要領を説明することにした。ところが説明をすればするほど不安が生じてくるのは何でや。大丈夫でっか?起きてまっか?病状が出てきましたか?薬飲みましたか?ご褒美は小料理なかのの高級弁当やで。自信持ちなさい!あんたら無敵なんやから!

 

15(木) たこ焼き屋に入ったと同時におかみさんが満面の笑みで「ああ!村田さんだ!」と言った。しばらく来なかったので「もしかして、たこ焼きに異物でも入っていて怒らせてしまったのではないか」などと、さっきも焼きながら心配していたという。そんな心配はご無用ですよ。関西人は異物が入っていたりした時は誰もが(きっと誰もが!)「当たりや」と言って喜びます。

 

16(金) 明日の祭り本番に向けて分刻みの最終準備が始まった。寝不足もなんのその。朝から大はりきり。その理由は90%の雨予報が20%になり、晴れ予報まで出たから。エネルギーを充填されたパピー(1960年代のアニメ)の如し。天神も天の神もさすがに自らの面目を考えたんやろな。夜は天神の神事に参列。明後日は天神祭り感謝礼拝や。それは無いか。

 

17(土) 朝7時、祭りを告げる花火の音で行事がスタートした。まるで多くの人々の願いが通じたかのように晴れ渡った秋空。♪祭りだ、祭りだ、祭りだ、天神祭り~♪今日一日の歩数13000歩。連絡や確認、問合せでかかった電話42件。その夜、天神さまの社務所で開かれた慰労会で「牧師さん。どうでしたか?」と問われたので、当然こう答えた。「病みつきになりそう」。


11月4―10日

2018年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

このポスターを見たあるカタギ(クリスチャンではないという意)の人が「感動しました」と言ってくださった。首をかしげる人や、失笑するような人はおるとしても、まさか感動する人がいたとは、こちらの方が感動した。それよりもっと不思議なのは、こんなことする牧師を勘当しない周防教会の皆さんに感動した。「いかんどう」という親父ギャグすら出ない。Can Do!

 

11/4(日) 今月23日に名古屋教会で結婚式を挙げるトン助の一家が来会。僕が司式を頼まれているが謝礼三百万円で引き受けた。まあ安い方やろ。かなり勉強してあげたつもりや。ただし支払い方の条件がこれ『将来つまらん事情で離婚をしたら支払うべし』。彼の収入からすればどうせ分割やろ。月一万の25年払いで勘弁してやる。そこそこ楽しみにしとるぞ。

 

5(月) 今日から始まるカルト問題研修会の会場に到着したら『本日休業』の看板がかかっていた。フロントに電話をかけても留守電。さてはカルト団体からの圧力か?普通なら「マジかよ~!」と焦るとこやが、その点は長年利用しているゲゲゲの宿。何となく察しがつく。とは言ってもコテージに人数分の浴衣が用意してあったのを確認するまで不安はぬぐえなかった。

 

6(火) それよりも驚いたのは、昨日宿の人が言った言葉「今日は料理人がおらんもんでね」。ここはさすがに「マジかよ~!」や。なるほど、ここの宿は料理が美味いので定評やが、昨夜の夕食は家庭料理みたいな感じやったなあ。ま、それにしては美味かったが。ところで今回は過去最高の13.1名の出席。ああ、0.1名分は0歳児の参加です。0.05でもよかったけど。

 

7(水) 今年も岩国幼稚園の年長児が来会。まずは、牧師室の戸を開け「わ!」と驚かせるのはお約束。亀の里アパートの見学の後で花壇のそこここに置いてある亀の置物を見つけてもらう。え?5個だけ?おかしいな?前は20個以上隠してあったのに。「もしかしたら散歩に行ってるんかな」。そんな僕のつぶやきを聞いた子が言った「そんなわけないよ」。さすが年長児。

 

8(木) 新しい(とは言っても9年前の中古やが・・・。先週の週報に10数年前と書いたが間違ってました。しかしそんなことはどうでもええ)原チャリの後ろにカゴを取り付けた。前カゴと後カゴ。これで完璧や。以前カッコ悪いと天語が敬遠して勝手に外しよったが見かけはどうでもええ。要は実用性や。これで荷物が満載できる。お前も40を過ぎればきっと分かるはず。

 

9(金) やった!高森高校から連絡が入った。「5名動員できます」とのこと。これで祭りの通行止め要員が全て揃った。高校生に老人クラブ、亀の里の住人とその仲間。17日の祭り当日に向けて準備は着々と進んでいる。またひとつ肩の荷が降ろせたというもんよ。それにしても・・・女子高生に高齢者に障害者か。ある意味で無敵のメンバーやなあ。期待してまっせ。

 

10(土) 今日はうちの教会で分区役員研修会が開かれた。が、僕はブッチして隣町のお寺で開かれた仏教法話を聴きに行っていた。法話の前にお勤めがあって、檀家さんたちと一緒にお経を唱和させていただく。ナムアミダブ・・・。来週の金曜は祭りの前夜祭で天神様の社殿にて行なわれる神事に参加する予定。祓い給え浄め給え・・・。そんな牧師です。アーメン。

 


10月28日―11月3日

2018年11月04日 | 日記・エッセイ・コラム

広島の山深い里にある明子邸。夏の大雨で家と家の間を土石流が流れたそうな。さぞかし恐ろしかったやろ。その日のことを母親に話したが「ピンときていないみたい」だったとか。それでいいのだ。年老いた母にいらぬ心配をかけてはいけない。かく言う僕もその一人ではあるが、うちの場合は年老いた母が息子の僕に心配ばかりかけている。

 

10/28(日) 永眠者記念礼拝。礼拝堂で遺影が置かれてある場所は三か所ある。正面の聖壇。ピアノの上。窓際の棚。並べ方は、聖壇>ピアノ>窓際の順に献金をたくさん捧げてくださった方を優先して置かれてある。アーメン。というような教会がもしあるとすれば、即刻成敗せにゃいけんぞ。そう言えば、今年はワンちゃんやニャンちゃんの遺影が無かったなあ。

 

29(月) 教区の牧師研修会が神石高原町にある光信寺を会場に開かれた。造りは実に本格的なお寺やが、♪お寺のようでお寺でな~いベンベン♪一般的なふれ込みは修練道場だそうな。とは言え、牧師たちが修練を体験するわけではない。確かに修練をさせたい牧師は数多いる。僕みたいに悟りを開いている牧師(今更修練しても手遅れやでの意)には不要。

 

30(火) 自由時間に牧師五人で養鶏農家を営んでいる明子さん宅を訪問。7月の大雨時、家の敷地を土石流が襲ったそうで、その痕跡が生々しい。もしも家を直撃していたら、おそらく命は無かったろう。そしてもう一つ驚いたのは、ぷっつり帰って来なかった飼い犬が、なんと25日目にビッコを引いて戻ったこと。猪のくくり縄に捕まっていたという。強運な一家やで。

 

31(水) 研修会から帰って、天神祭りの通行止め監視員の募集チラシを携え高森高校に行く。ボランティアクラブとかいうのがあると聞いたので、その協力を仰ぐためである。掲示をしてくださるとのことで高校生が反応しやすいようにマンガの挿絵を入れたり、「報酬はおいしいお弁当」とか書いたり、それなりに工夫をして作った。どうか生徒らが食いつきますように。

 

1(木) 今夜の踊り練習は本番を想定して屋外で行なう。折しも寒波が南下して今朝の玖珂は3.2℃。踊っている人たちはそこそこ温かかったらしいが、いつものように側でボ~ッと見ているオッサンらは結構寒かった。しかしよくぞここまで上達された。本番は心配ない。後は天気だけ。祭りの順延は無い。全てが無に帰する。雨やったらマジ泣くわ。天神さん恨むわ。

 

2(金) そうか、大小便ができないのか。そこまで気がつかんかった。辻牧師のお見舞いに行くついでに立ち寄ったラーメン『たちばな屋』の坂上二郎に似ている親父さんが「断水で便所が使えない島にお客は来ないですよ」と嘆かれていた。でもここは大島。探せばまだポットン便所がある。水洗に駆逐され、絶滅の危機にあるポットンよ、今こそ大島の救世所となれ!

 

3(土) 先月、新しい(とは言っても10数年前の中古やが)原チャリが手に入ったので、長年愛用した古い原チャリをエビちゃんに譲渡することにした。今は製造されていない2ストなので燃費は悪いが出足はどんな車よりも速い。ナンバーもレア。合併される前の「玖珂町」や。かしこまって受け取ってもらわにゃいかんとリフトバスに積んでエビ宅へ。え~!留守かよぉ~。