周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

6月20—26日

2021年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

神学生時代に通っていた教会の青年会が会報を作り『アジサイ』と名付けた。小さな花が集まって一つの花を作るからだという。僕は「一つの花に見えても実はバラバラ」と言ったところ大ひんしゅくを買ってしまった。だってホンマのことやん。ちなみにアジサイには毒がある。それは内緒にしておいた。

 

6/20(日) 久しぶりに光教会の礼拝へ。礼拝のあと教会の皆さんからヒマワリの花束を頂いた。え?これって石鹸の香りの造花なの?「悪いものが洗い流されますように!」との願いが込められているとのこと。優しいお心遣い本当に有難うございます。ところで僕から悪いものを洗い流したら何も残らへんで。

 

21(月) 眼の三カ月検診。「良くなりましたね。ではまた三カ月後に」。はあ?良くなってるなら「治療終了」か、せいぜい「半年後に」とかでしょ?銭を払うのはこっちやで!だけど気の弱い僕はケイコ先生の言葉に逆らうことなく小声で「はい」と応えて瞳孔を開けられた目で眩しく世間を見ながら帰った。

 

22(火) 帆波が「これ何?」と虫の写メを送ってきた。どこにでもおるコメツキムシや。職場では誰も分からず、中には「新種だ」とか言う先生までおったらしい。人は自分が見たこと無い生物を新種?などと考える。でもそこは秘境ではなく広島市内や。え?その先生も保育士の中では新種か珍種?こりゃ失礼。

 

23(水) 驚きのニュースが飛び込んだ。知の巨匠と言われたノンフィクション作家の立花隆が4月に亡くなっていたという。今まさに彼の本『臨死体験』を読んでいる最中や。彼は最後に自ら臨死を体験して逝ったんかな?だとしたらすべての謎が解けたんかなあ?満面の笑みを浮かべて逝った彼の顔が浮かぶ。

 

24(木) 明日は手術を受けた病院の受診日。朝早いので今日から広島入りすることにした。帆波を広島の老舗ステーキ屋に連れて行ってやる。ところが何と「ここには二回来た」と言う。生意気なガキやで!そう言って400gを超えるトリプルステーキをレアで注文してかぶりついていた。まるで肉食動物やな。

 

25(金) 検診。大病院フルコースのメニュー。前菜はオードブルのごとく採血で始まり、次にサラダ感覚でレントゲン。心電図はスープというところやな。それらをクリアしてやっとメインの診察となる。しかしドクターが緊急のオペで遅れている。シメのデザート会計が終わったら、とっくにお昼を過ぎていた。

 

26(土) 間もなく始まる学期末試験準備が忙しい。思えば絶妙なタイミングでぶっ倒れたもんや。もしもあと一カ月遅かったら学校にも多大な迷惑をかけていたやろな。そう言えば、先週エビちゃんがこんなこと言っていた「もう少し休んでてください。その間(事業団評議員会の)議事がスムーズに進みますから」


6月13—19日

2021年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

裏庭の竹ヤブ。タケノコが成長し、コーンを突き上げ、一斗缶まで持ち上げていた。僕が入院している間の出来事。妻が切り倒した直後に「しまった」と悔やむ。そのままにしておいたらどうなったか?面白い光景が見られたのではと思うと臍(ホゾ)を噬(カ)む思い。臍はヘソ。どうやって噛むねん?

 

6/13(日) 今日から講壇復帰。しかし講壇に立つ前から「こりゃヤバいな」と気付いていた。まだ体調が悪い?そんなことではない。準備不足?それは毎回のことや。理由は闘病時のことに触れるから。なるべく話の最後の方に持ってきたが案の定おそれていたことが起こった。メッチャ泣いてしまいましたわ。

 

14(月) 急に重い物を運ばねばならない事態に。今の僕が禁止されていること。①重い物を持つ。②激しい運動。③車の運転。④恋愛。⑤金銭欲。また要らぬことを書いてしもた。助っ人を頼まにゃ。柔道部・大学生・結構近所と言えば柳井教会の昇平。幸いに今はリモート授業で在宅中。ほんまに役に立つ男よ。

 

15(火) 今日で退院3週間。何か特別なお祝いでもあるかなあ~と楽しみにしていたのは僕だけ。妻子の立場からすれば増々わがままになった僕を3週間も我慢し続けてくれたことになる。そしてマジに思う。次にこんなことがあったとすれば家族は今回のように心配してくれんやろし、あきらめも早いやろと。

 

16(水) 先日ある母子が来会。子供が教会で「わや(とんでもないこと)した」のではないかと母親が心配して来られたのである。確かに「わや」された形跡がくっきりと残っていた。だが応対に出たのが「仏の長女」やったことが悪ガキにとって幸い。「メチャわや」が「プチわや」と、恩赦を言い渡されたようす。

 

17(木) 学校の帰り道、近所のご夫婦に出会った。「この前、救急車が来ていましたね」と言われる。やっぱり気付かれていたんやなあ。「実は僕です」「え!てっきり亀の里の住人の方かと思ってました」。そうか!だったら住人のせいにしておけばよかった。なんせ午前3時にご近所を叩き起こした訳やからな。

 

18(金) 1年経っても慣れない職員室。しかも今日は次の授業まで一コマ空いている。居心地の悪さに耐えられず職員室を抜け出して、空いている教室で動画のスクリーン再生の練習をした。ところが音量未調節のまま廊下にロックが大音量。ぼちぼち要注意人物として扱われているような気がする今日この頃。

 

19(土) 今日は1970年に関釜フェリーが就航した日。学生時代、韓国に渡るため関釜フェリーに乗りに来た。僕にとっては初めての山口県入り。高い所を見たら登らずには居られん性格の僕は、夜中にこっそりマストのてっぺんまで登った。見つかったら怒られたやろなあ。それでも止められん性格は今も同じ。


6月6—12日

2021年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

暑さと眩しさに翻弄されながら撮ったショウブの花。『登竜門』という名のショウブがあった。「とうりゅうもん」と続けては読まず「とう、りゅうもん」と区切るのが正しい。うざいウンチクです。そんなことよりもマジで倒れるかと思うほど辛いリハビリ散歩やった。

 

6/6(日) 今日は岩国東教会とのZoom礼拝。先週のYouTube礼拝との大きな違いはZoomは双方が同時にお互いを見ながら礼拝ができること。見ようと思えば「あの人寝とるで」とか「献金が少ないんちゃうか」まで見ることができる。共催というよりもまるで相互監視やな。それはそれでおもろいけどな。

 

7(月) ずいぶん昔、立花隆(作家)の『臨死体験』のドキュメント番組を見て色々と学ばされたが、今回彼の本(長編)を買って読むと、やはり僕が味わったのは紛れもなく臨死体験だったことが分かる。オカルトや超常現象などの視点ではなく大真面目な内容や。この体験談で講演にでも呼ばれて一儲けできんかな。

 

8(火) リハビリを兼ねた散歩。岩国吉香公園のショウブが満開だと聞いて見に行ったが、真夏の日差しにリハビリどころではなくなる。臨死体験で見た真っ白に輝く草原よりもずっと眩しくて目が開けていられん。眼科で瞳孔を開けられた時のようにまぶしい。もう一回「あの世」から呼ばれているみたいやった。

 

9(水) 子供の頃、入院でもしない限りバナナは食べられんかった。まだバナナが高級品やった時代のこと。今回の入院でメロンが3個も手に入った。メロンは今でも高級品。1個食べたらメチャうまいやん。2個目以降もったいなくて眺めている間に熟し過ぎ味が落ちてしもた。小市民の手にゃ負えん果物やで。

 

10(木) 今日はスクールバスで帰った。遠足に行くような気分。遠足と言えばバスに酔ったけれど楽しかったなあ。ある遠足でガキ大将のAと気の弱いB子とが並んでバスの席に座らされた。しばらくしてB子が酔って、あろうことかAの膝の上に嘔吐。リベンジのような光景に誰もがB子に喝采を贈っていた。

 

11(金) 今年は玄関のツバメの巣で6羽のヒナがかえった。僕が入院している間に大きく育ち、今日は4羽が巣立った。後の2羽も明日あたり巣立つやろ。夜になると帰って来たヒナたちで巣がギッシリ。行儀よく一方向に向いて座るヒナ。どっかで見た光景やな。あ!思い出した。タコヤキを詰めた経木の舟。

 

12(土) ヒナは全て巣立った。初めて飛ぶ空は鳥でも勇気が要ったかなあ?どんな気分やったろう。僕が初めて飛んだのは今から34年前。心拍数が跳ね上がった。だが飛んだ直後は爽快で讃美歌2編『大空のもと』を大声で歌った。愛用のハンググライダーは亀の里の通路の上で、もう何年も埃を被ったまま。


5月30日—6月5日

2021年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

物であふれた牧師室を眺めていると「僕が死んでいたら、この部屋を片付けるのは大変やったやろな」と思った。学生時代、韓国で出会った牧師が言った。「牧師はいつでも三つの準備をしておかねばならない。いつでも語れる準備、いつでも死ねる準備、いつでも引っ越せる準備」。今思うと何て重い言葉なんやろ。

 

5/30(日) 周防教会史上初めての試み。You-Tube礼拝。モニターの向こうで柳井教会の角田牧師が説教しとる。これがインターネットの世界か。すごいな。何度かフリーズこそしたが、ほぼ問題なく礼拝は行われた。来週は岩国東のエビちゃんがズームとやらでやってくれる。一年ほどこれで通してくれんかな。

 

31(月) 胸帯(キョウタイ)という、文字通り胸をしめる帯のようなものを巻いている。肋骨を何本か切ったので三カ月は装着せねばならない。これから暑くなるし胸も苦しい。ブラジャーは胸を締め付けるので嫌う女性が多いと聞くが、僕の場合ほんの三カ月の我慢で済む。女性たちも婆ちゃんになるまでの我慢ですよ。

 

1(火) 退院後一週間。ぼちぼちストレスがたまり始めている。僕にではなく娘や妻にや。「少しは大人しくなって帰って来る」などとは思わなかったそうで、鬱憤をためて帰ってくることくらいは予想していたという。すなわちあの時「死なないで」と願っていた家族の気持ちは確実にトーンダウンしとる訳やな。

 

2(水) 岩国医療センターへ。ここは最初に運ばれた病院で心室破裂が確認されたところ。広島は遠いのでここで投薬のお世話になる。しかし飲まなければならない薬は10種類。少しずつ減るそうやが、中には一生やめてはならないという薬もある。人はパンのみで生くるにあらず。病院の薬でも生かされとる。

 

3(木) どうも右耳の中がざわざわして気持ち悪かったので何年かぶりで古くからの知人、羽熊ドクターの耳鼻科に行く。すぐに「原因はこれですね」と言ってモニターに映し出された一本の髪の毛を見せてくれた。入院中に行った病院の理髪店で入ったに違いない。今日の診療代、理髪店に請求できんかなあ。

 

4(金) 病気をしてからどうも味覚がおかしい。何を食べても美味しくない。食べた後になぜか苦味を感じてしまう。フルーツやアイスを食べた後でも苦味が残る。そこでええこと思いついた。僕に「これは美味い!」と言わせる食べ物をくださった方に、なんと!特別に!個人的に!手術の傷跡をお見せします。

 

5(土) 夜、エビちゃん一家が来会。「ホタルを見に来たついでにお見舞いに来ました」か、「お見舞いに来たついでにホタルを見に来ました」かは7:3あるいは8:2で前者やとは思うが、何が一番嬉しかったかと言えば、ホタルを見た帰りに「見舞うの忘れて帰ってしまいました」という結末にならんかったこと。