東京から越して来た母が27日後のクリスマスの朝、亡くなりました。雪が舞う寒い寒い日のことでした。
11/29(月) 長男夫婦に連れられ母が山口入り。今日からうちの家族になる。
12/1(水) 右足の褥瘡(じょくそう)がかなり酷いことを往診医が指摘。
9(木) 大島の海を見せたくて車で出かける。きれいな夕陽が沈んだ。
12(日) 母のジョークが周防教会のおばさまたちに大うけ。
13(月) 母がみんなともっと生きるために手術を決意。
15(水) 岩国医療センター(通称=国病)に入院。
17(金) 14時より右足大腿部からの切断手術。
20(月) 順調に快復しているとのこと。ひと安心。
22(水) 下痢と嘔吐があったらしい。風邪かもしれないと危惧。
24(金) 肺炎を発症していて、あまりおもわしくない。
そしてクリスマスの朝…。たくさんの子供たちが歓喜の声を上げているであろう朝、私たちに届いたのは最悪の知らせでした。
手術をすすめなければ、もっと生きられたのではないか?
山口に呼んだことは間違いだったのではないか?
後悔と自責の念だけが何度も何度も襲ってきます。
でも、母の長女雅子,次女紀子,長男啓の家族が集まった時、私は知りました。ここに居るみんなこそが、母がこの世に残してくれた最高のプレゼントだったということに。クリスマスの朝、私たちは忘れられない贈り物を母からもらったのでした。たった27日間のあまりにも短い山口での母との暮らしでしたが、その価値は計り知れません。
今ごろサンタは17年間、天国で待ちくたびれていた父に、母を贈り物として届けてくれていることでしょう。