周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

2月18—24日

2024年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、食べ物の写真ばっかりやなあ・・・と思いながら今回も載せてしまった。というのも、この店には一度は行かなければと思っていたからや。大人5人と子供5人で行き、お得な食べ放題コースではなく、一品ずつ注文する割高コースで挑んだ。これは僕からの高校卒業祝いや!・・・豪語するほどのもんかいな?

 

2/18(日) 先日この時期恒例の《光教会見学》に生徒をクラス別に連れ出した。「痕跡は残さず全て元に戻すこと」を条件に会堂内で何をして過ごしても良いと告げたが、すぐに信徒たちに気付かれてしまう。もちろん何も悪いことはしていない。ただそのバレた理由とは何を隠そう僕が残した痕跡やったとは!

 

19(月) 愛隣幼児学園の礼拝。年少児には難しいかと思ったが聖書のブドウ園の譬え。12時間働いた人と1時間しか働かなかった人の賃金が同じという話にブーイングが出た。そうこなくっちゃ!そこで「これこそ神様の理想の世界だよ」という感動的な結論へと導いた・・・はずやが。何?その懐疑的な視線は。

 

20(火) 某友人とラインが出来るように設定。なんて言えば聞こえはええが僕には無理なので帆波に操作してもらったところ、すぐさま今までラインしたことの無い友人2人からメッセージが届いた。何かを開放したからだとか。開放?うちの教会は40年開放しとるが誰も来んぞ。あな恐ろしやネットの世界。

 

21(水) 走野がドナー手術時に入れた管を取り除くため二泊三日の入院。結局まだ取れる状態ではなかったとか。内視鏡手術はかなり痛かったらしくベッドでうなっていた。妻の容体も横ばいで未だに寝た状態。食事の摂取も困難なまま。だけど焦ることはない。あるがままに。自然法爾(じねんほうに)。Let it be.

 

22(木) 今日で授業終了。この三学期はイレギュラー続きやった。学校行事や休日が重なって授業が出来なかった上、インフルエンザでの学級閉鎖もあり、授業平均3回という状況。そんな悲惨な状態で、間もなく試験日。もはや子供の頃から用いて来た魔法の言葉を叫ぶしかない「知~らんで、知~らんで~」

 

23(金) 店の手伝いをしていた彼は僕の姿を見て驚いた。ここは高校の教え子の焼肉屋。中国人の彼とは日本語も十分でない二年前に出会ったが、今は日本人としか思えないほど流ちょうな会話をする。いっちょ宣伝しよう『飛牛(とびぎゅう)』をよろしく!場所は岩国市麻里布3丁目。でも何で牛が飛ぶんや?

 

24(土)やるべき仕事がドッサリ。途中で一休みしようと夜中にTVを付けたら『朝まで生テレビ』がやっとる。87年に放映された時は夢中になって、文字通り朝まで見た。久しぶりに見入って気が付きゃ朝。何タルチーヤ!(死語と言うより、もはや化石語)。結局7時過ぎに寝床へ。今日の予定が無茶苦茶や。


2月11—17日

2024年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

ウサギがワニを騙してひどい目に遭う『因幡の白兎』という神話があるが、ワニとはサメのこと。フライは食べたが刺身は初めて。弾力味があり、なかなかの美味や。ワニは島根県東部の方言。サメの身は腐りにくいが不味いので海浜部では敬遠された。しかし山間部では貴重な海の幸ゆえ、広島北部で料理法が研究されたとか。

 

2/11(日) 角田牧師の長男の共生(ともお)一家が名古屋から里帰りしてきたので周防で夕食を共にする。準備は婿殿たちを中心に子供らが全部してくれた。僕は周防と大島の礼拝で忙しくて手伝えんかった。牧師先生はいつもお忙しいなどと思われているがそれは嘘!どの牧師の「忙しい」も世間じゃ通用せん。

 

12(月) 一昨日またもや帰省して来た帆波母子を置いて、夫の進次郎が岡山に帰って行った。今回はいつまで居るのか知らんが「一日でも早く岡山に戻りなさい」と言ったところで父親の言うことを聞く耳など持ってはいない。自慢じゃないが、人の言うことを聞かないのはまさしくうちの家系の由緒ある遺伝。

 

13(火) 夕方、大阪の母が妹に連れられて来山。前から妻の見舞いに来たがっていたが米寿になった母に心配をかけたくなかったので、少しでも妻の容体が良くなってから来てもらおうと思って今日まで遠慮してもらっていた。しかし案の定、取越し苦労。むしろこの母の活力を早く妻に見せるべきやったなあ。

 

14(水) 徳山の食堂で「村田さん」と声をかけられた。見ると大島のレストランのシェフや。二年前にヤノイチさんの葬儀で出会って以来。あの後、僕と同じく心筋梗塞で九死に一生を得たという。しかし何というめぐり合わせ!今日はヤノイチの二周忌。彼が引き合わせてくれたとしか思えない出来事やった。

 

15(木) 母たちと広島駅で食事。大阪にいる時は食欲が出ないという母が穴子定食を注文した。妹が「穴子苦手やったんとちゃうん?」と驚いていたが母は意に介さずモリモリ食べていた。みんなと居る時は多少なりとも元気が出るようや。戻ったらまた食欲がなくなるのかな。早く隠退して母と暮らすべきか。

 

16(金) 今日はマラソン大会なので授業が無い。マラソンと言って思い出すのは高校時代に僕はコースレコードを記録した。ただし、そのことで教師からこっぴどく叱られた。何故ならショートカットしてゴールしたのがバレたから。「あの時もう少し時間を調整してゴールすべきやった」と今でも悔いている。

 

17(土)所用のため落語を聴きながらバイクで現地に向かっていた時、相談電話が入った。落語は中断して電話が優先される。すごい機器の時代になったなあと感動しながらも人生初のバイク走行しながらの対応をした。一つだけ残念なのは、60km/h以上出すと風切音で聞こえ難くなる。ま、安全運転でええか。


2月4—10日

2024年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

僕が中高生時代、大盛り以外は食事と思えなかった。それに比べ、今の男子高校生の弁当箱が異様に小さいのが気になる。運動部に所属している生徒にしても同じ。練習中に倒れないかが心配や。もしかして車と同じく、人間も燃費が良くなったのか?写真は去年僕がある店で泣きながら食った天丼。50年前なら大喜びやったろな。

 

2/4(日) 立春。熱も無く、声がれも治まって来たが、風邪の後遺症はまだ続いて相変わらず食欲が出ない。気が付けば4kgほど体重も減っている。昨日の誕生日に義息子が作ってくれた太巻きも4分の1ほどしか食べられんかった。近頃血糖値も上がり気味ゆえ丁度ええか。でも病気で痩せるのは反則技やな。

 

5(月) うかつやった。学校で5年ぶりに春の職員旅行の募集があったので申し込んだのは良かったが「職員やったら補助でも出るんやろなあ」と思い込んでいたのが間違い。全員積み立てているらしく、僕のような非常勤は実費徴収となるそうな。この際、カタギの人々と旅を共にして一般社会を学んで来るか。

 

6(火) 広島社会館にてサービス向上委員会。この辺りには在日商店が多いので帰りにキムチとチャンジャを買った。さすがに病室に持ってはゆけまい。今日は小雨模様やし、妻の病院に寄る間は車に置いていこうと考えたのが甘かった。真冬の帰り道、臭いに慣れるまで、しばらく窓を全開にして震えながら走る。

 

7(水) 甲状腺の定期検診が早く終わった。10時半の回に間に合いそうや。目的は映画『鬼太郎誕生/ゲゲゲの謎』。とまあ、ここまでは計画通りやったが始まって30分もすると睡魔に襲われる。結局1300円出して寝に行ったようなもの。体調が万全ではないのに無理したのが敗因やな。ゲゲゲは謎のまま。

 

8(木) 朝起きた時、マンガみたいな目まいに襲われベッドに倒れた。マンガみたいと言うのはスイカ割りの前に目隠しされグルグル回された後のようやったからや。休もうかとも思ったが、学校に電話するのも何となく気が引ける。こんな時、保護者(妻)が居てくれたらなあ。そのうち治まってきたので登校。

 

9(金) 小3の孫にゲゲゲの話をしたら行きたいと言う。僕も今度こそ謎を解こうとリベンジ。と、「わたしも行く!」と小1の孫までが名乗り出た。何とか諦めさせようとしたがどうしても観ると言う。恐怖に泣きながらポップコーンを頬張る孫の隣で、謎解きに感動して涙を流しつつポップコーンを頬張る爺。

 

10(土)礼拝説教に落語や浪曲を取り入れるのが僕の夢。落語は同じ噺を繰り返し楽しむ。説教にも通用するはず。そこでイエスは言った。「そんなとこに立ってんと、まあこっちお入り」。罪人「ほな遠慮のう」。群衆「あのオヤジ、罪人を集めて何しよんねん?」。これじゃ落語というよりも、ただの関西弁やな。


1月28日—2月3日

2024年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

広大病院に出現した親子鬼。妻の病室に現れたそうやが、一緒に行った僕は気付かんかった。ところで昨日の授業で生徒に「明日は何の日?」と尋ねたら「節分」と答えたが、「外には?」と問うと「牧師の誕生日」と答えてくれた。啓蒙は成功や。歳を聞かれたので大きな声で「36歳」と言った後、小声で「+360カ月」と返答。

 

1/28(日) 何となく体調に異変を感じてはいた。夜になってその不安は間違いなかったことに気付く。最初は咽喉の違和感に始まるのが僕の風邪の特徴。微熱が出るがせいぜい37度台。まだ熱こそ発してはいないが予想通りの症状が出始めている。でも礼拝が終わった後で良かった。これも日頃の行ないやな。

 

29(月) 単なる風邪だとしても感染の危険がある限り、妻の見舞いには行けない。そこでネット映画を観て過ごすことにしたが、体調が悪い時は10分もすると眠くなる。寝るたびに巻き戻しするので1本観終えるまで時間もかかるし内容も頭に入らない。勉強するとすぐ眠くなった時に似ている。でもあの頃は

 

30(火) 体調だけは万全やったのに何ですぐ眠くなったんやろ。まさにその時代、瞼の上をサッと拭くだけで眠気を吹き飛ばせるという画期的な商品(大学フレッシュとか言ったか?)が出た。ついにそんな時代が到来したか!と飛びついて買った記憶がある。結果は瞼に残る刺激だけを感じながら眠りに落ちた。

 

31(水) 今回は体の節々が痛い。熱が高いのかと思ったが1~2回38度をやや超えただけで、ほとんどは微熱状態。関節痛の方も市販の鎮痛剤がよく効いている。娘らは口うるさく授業は休むように言うが問題はなさそうや。「自分の体のことは自分が一番よく分かる」とはいつの時代でもお決まりのセリフよ。

 

1(木) 意気揚々と出勤。玄関で出会った校長に「ご苦労さまです」と挨拶された。しかし廊下が静かすぎる。職員室に入ったら誰もいない。ホラー映画か!一人だけ居た教師が言った「今日は授業無いですよ」。でもさっき校長は「ご苦労様」と。もしかして「授業も無いのにご苦労様」という意味やったのか?

 

2(金) 今日は間違いなく授業がある。神経痛が起き出したので薬を飲もうとカバンを開けたら用意したはずの薬が無い!牧師室に置き忘れて来たんや。痛みのために食欲も失せて車の中で寝た。自分の体のことは自分が一番よく分かったとしても、自分がミスをするということは、いくつになっても学習せんな。

 

3(土) 次女一家と妻の病院へ。僕も6日ぶりの対面やったが、少し元気になっているのを感じた。今は立ち上がるリハビリを受けている。『這えば立て、立てば歩めの親心』という道歌がある。幼子ではないがもう振り出しに戻らず進んでくれるよう願うばかり。下の句はこう続く『わが身に積もる老いを忘れて』