啓ちゃんとのお別れ会の前の夜、音楽が大好きだった彼女のために盛大に前夜式が行われた。それはまるで歌舞音曲の発表会さながらだった。「暗いのは嫌。派手にして」と言い残していた言葉を家族たちは叶えてあげていた。みんなに悲しみを残して去ることが一番辛かったに違いない。(エイサーを踊る僕の次男夫婦)
8/20(日) 炎天下での告別式は幼稚園の教室、礼拝堂、園庭の仮設テントまでが人で溢れた。参列者の服装もTシャツやアロハと賑やか。彼女の最期の言葉「カキ氷が食べたい」を叶えるかのように配ったカキ氷は最高のおもてなし。それで悲しみが減ったわけじゃないが間違いなく笑顔は増えたよ、啓ちゃん。
21(月) 久しぶりの里帰りで大阪の実家に到着したのは夜明け前。ひと眠りして旧友のお見舞いへ。彼は一時期、牧師を目指していたが最後は別な道を選んだ(僕もそうすべきやったな)。帰り際、職員さんに「こいつセクハラ親父でしょ?」と尋ねたら苦笑い。「その時は遠慮なくしばいたって」と告げて帰る。
22(火) 夜、竹馬の友と三人で飲み会。リピート山中の歌に『父さんの宝物』という曲があって♪息子よ娘よ、人生の勲章は金でも名誉でもない、本当の友達だ♪という歌詞がある。大阪には今でもそんな友がいる。別れ際、二人に言った「今度セミ採りに行こか」。彼らとなら、今でも小学生時代に戻れる。
23(水) 今日が誕生日の友人を招いて夕食。高校生時代、母教会には仲間が数十人いた。あの時のメンバーは霧のように掻き消えて今では彼一人だけとなり夫婦で教会を守ってくれている。今こそ教団は「ふるさと納税」ならぬ「ふるさと献金」を導入すべきや。それができりゃあ「本当の教会」に近づけるぞ。
24(木) 義娘が孫二人を連れて豊中から訪ねて来てくれた。スーパーのお菓子売り場で「何でも買いなさい」と孫に言う。母親が「分かってるね?」とプレッシャーをかける。爺さんは「何でも買え」、母親は目で圧力。孫たちはどちらに従うか戸惑いながらウロウロ。この試練が君たちの夏休み最後の課題や。
25(金) 母から出された宿題は、網戸の張り替え,壁に額をかける,洗濯干しの補強。それらを片付け、渋滞のない夜中の10時前に家を出た。老いた母に見送られるのは毎回気が引ける。「到着は明け方やから電話せんよ」と言うと「何時でも絶対に電話しといでや」との返答。いくつになっても母親は母親。
26(土) 教会到着は午前3時。僕の留守中に福祉課から保護依頼があって、亀の里の客室には年配の女性が入っていた。「自由に使って下さい」と伝えていたので勝手知ったる福祉課の方がお連れしたみたい。困った時の亀の里。お役に立てて何より。難点は、役に立たんクセに文句ばかり言う困った牧師だけなのよ。