周防教会・牧会ジャーナル

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9月21―26日

2020年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

帰省した。行きの新幹線は貸し切り。中央は岸和田城。右は今年中止となっただんじり。もっとも、いくつかの町内では「祭は中止やが、だんじりをちょっと移動するだけや」と称して引っ張りまわすのではないかという噂もある。なんせ岸和田人がやること。燃えてしまった炎はコロナくらいでは消せんのかも知れん。ソーリャ!ソーリャ!

 

9/20(日) 角田一家がオランウータンに似た初孫を連れて来会(うちの孫はビリケンさんにそっくりやった)。まあ生まれたての赤子はそんなもんや。その角田家の帰宅と同時につねさん登場。いつものように午前1時まで雑談をして「DVDを借ります」と言って帰ったので、後で貸し出しリストを見たら『北極のナヌー』・・・。どう考えても、あなたのイメージではありまへんな。

 

21(月) 今日から急な里帰りで早朝の新幹線に飛び乗る。岸和田に帰って、さっそく竹馬の友に再会。昼間っから飲み放題を注文する二人。「これから娘の結婚相手の親と初顔合わせや」と言いながら赤い顔をしている社長。ファミレスの外の通路にへたり(座り)こんで一服する元校長。その姿はどう見ても不良や。そういう意味において言えば、ヤクザな牧師である僕が一番普通や。

 

22(火) 走野一家が来たのでお好み焼き屋へ。しかし二人の孫はご機嫌ななめ。腹が減り過ぎるとこうなってしまうという。下の3歳の孫は去年石垣島で会った晋作さんのことを今でもよく覚えていて、車いすのオッサンを見るたびに「中村さんどうしてるかなあ?」と聞くらしい。初めて出会ったCP(脳性まひ)は、よほど強烈やったんやろか。ある意味でのPTSDかもしれん。

 

23(水) 上の孫は長い間休んでいた近所の店が久しぶりに開店していたのを見て、店の親父さんにこう言ったらしい。「おっちゃん。コロナで死なんで良かったなあ」。以前、若い男性たちとすれ違った時に「あの中でイケメンは一人だけやったな」と言ったのもこの孫や。すえおそろしいと言うか、じゃりん子チエと言うか、大阪で育つというのはこういうリスクが伴うのやろな。

 

24(木) 母を岸和田市民病院に連れて行ったあと、気の向くままにドライブをする。母の実家は昔、貝塚市で貸本屋をしていたが、その時の建物がまだ残っている。ここで知り合ったのが、東京オリンピック・バレーボール金メダリスト『東洋の魔女』たち。店の前の高い塀をヒョイと、いとも簡単に乗り越えて本を借りに来た彼女らから僕は「ワッペン小僧」とあだ名されていた。

 

25(金) 今回の帰省中の課題=母の検査結果を聞くこと。水道の水漏れ修理をすること。庭木の剪定をすること。壊れた時計の修理をすること(これはオマケ)。この年末年始は三ケ日が日曜と重なるゆえ帰省できないので、今のうちに色々と点検だけしておく。実は補修したい箇所は他にもあちこちあるが、それは次の帰省理由のため取っておくことにしたのや。親心ならぬ息子心でっせ。

 

26(土) 帰山の日。気丈というか、頑固なまでに独り暮らしを続ける母やが、どうしたことか珍しく「さみしなるなあ」などとつぶやいた。僕「だったら山口に来たらええねん」。母「まだええわ。ボケたら行くわ」。僕「ボケたら来んでもええ」。母「相撲がある間は大丈夫や」。さいでっか。やさしい息子との同居よりも大相撲に慰められるという母は、まだまだボケそうにない。