周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

8月21—27日

2022年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

僕は撮り鉄ではないがこんな新幹線を見たら思わず写真を撮りたくなってしまう。同じように通天閣を見たらやはり撮りたくなってしまう。高校時代、家の屋根に上って撮った夕焼けの写真を、カメラ屋の親父さんに勧められるままフジカラーに応募したら『ハブ・ア・ナイス・デー賞』とかに選ばれてTシャツをもらった。今でも自慢している。

 

8/21(日) 午後から帰阪する。先月は医師も首をひねるくらい衰弱していた母やったが、今は以前のように元気あふれる状態。たとえて言えばバッテリーを新品に交換した車の如し。理由は不明やがひとまずは安心。そして今回の帰阪理由は元気になった母に、次は実家の元気(メンテナンス)を申し渡されたため。

 

22(月) まずは母の全快祝いということで和歌山の深山幽谷、熊野古道の近くにある温泉へ。半分サプライズのようなプチ旅なので母はよく理解できないと見えて、しきりに「こんな山に一人で迷い込んだら絶対に帰って来れんわ」とつぶやいていた。心配せんでもええよ。今回は捨てるのが目的ではないから。

 

23(火) たとえ山に捨てたとしても今の母なら僕より早く家に帰り着くくらい元気がある。熊野の本宮に立ち寄り、周防教会とはレベルの違う宗教を体感したあと帰路につく。何度も温泉に入って逆に疲れた僕は目をシバシバさせながら山道を運転。そんな僕の足や肩を容赦なくバシバシ引っぱたく助手席の妹。

 

24(水) 山口はまだまだ暑いが夜ともなれば涼しい。一方大阪の暑さはどや。夜もムシムシして寝苦しい。昨夜、久米田教会の福ちゃんを訪ねたら蒸し暑い牧師館でエアコンも点けず仕事をしていた。教会に負担をかけたくないという配慮か。僕のためエアコンを付けてくれたが、帰った後すぐに消したやろなあ。

 

25(木) 竹馬の友の竹内夫妻が遊びに来てくれた。彼こそが僕にバイクを買わせた張本人。そそのかされた訳ではなく、僕の知らなかった老齢特別年金の存在を教えてくれた男や。彼が教えてくれなかったらもらい損ねるとこやった。ただバイク論には一言も二言もある男なので立場上「はいはい」と聞くしかない。

 

26(金) 草野球で特大ホームランを打つ夢を見た。神学生時代にソフトボール大会の決勝戦で打った時と全く同じ感触やった。試合は負けたが、あの時のホームランは自分史上最大飛距離やった。それがなぜ今ごろ夢に?よく見る夢トップ3=③車のブレーキが利かない夢②寝小便しそうになる夢①銭を拾う夢。

 

27(土) 今でも神(カン)ポンと呼んでいるやはり竹馬の友が駅まで送ってくれた。元校長で若い頃、中学生時代の清原(元プロ野球選手)をぶん殴ったという経歴の持ち主。岸和田には只者でない仲間が今でも沢山いる。近づくだんじり祭りのボルテージも上がっている。一言で言えばアホウが多い町。僕もその一人。


8月14—20日

2022年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

うちの礼拝堂に毎週飾られる花は会員のご友人から頂いたもの。あまりにも毎週々々くださるので心苦しいくらいや。一方、植えてもいないのに教会の玄関前に咲いたユリ。5年前にも一度咲いたがタカサゴユリだと思われる。神様がくださったんやろなあ~なんて書くと「村田の奴・・・ついに暑さにやられたぞ」と思われるに違いない。

 

8/14(日) 夜、キャンプで出た大量のゴミを隣町のゴミ収集場所に捨てに行く。なんて書くと闇に紛れて悪いことしているみたいやが、ちゃんとその町の有料ゴミ袋を購入しております。岩国市は不燃と可燃の分別がややこしいが、隣町は同じ袋で大丈夫。キャンプが円滑に開催できるのも隣町のおかげとも言える。

 

15(月) 借りていたテントのペグが折れたので新しいのを購入して返した。そう言えば昔、借りたキャンプセットの金属椀が一つ無くなっていたので、一人でキャンプ場に引き返し、夕方の冷たい川に潜って探したなあ。下流で見つかった時は嬉しかった。若かった頃の思い出。今は?一つくらい誤魔化すかも。

 

16(火) 教育委員会から借りていたテント一式を返却しに行く。来年まで独特なカビ臭さともお別れや。しかしドーム型テントが主流のこの時代にまだ三角テントなんか使う人はおらんやろ。参加者にボーイスカウト少年が一人いたが彼も驚いていた。ええ経験になったやろ。たぶん何の役にも立たんと思うが。

 

17(水) 去年開胸手術をした肋骨あたりに異変を感じていたので、今日CTを撮ることに。自分では骨がまだくっついてないような感覚なんやが、結果は「よく分かりませんが…大丈夫でしょう」とのこと。そんな殺生な!と言いたいところやが、そこは親切な若い女医さん。「はい分かりました」と笑顔で帰った。

 

18(木) 保育園で礼拝。鹿が主人公の紙芝居をした。「たぶんみんなには分からないと思うけど、先生方には分かってもらえるでしょう。『鹿さんが王様に今までのいきさつを話しました。斯斯然然(かくかくしかじか)』と」。よかった。笑って下さった。シャレの何たるかが理解できない子供たちはただポカ~ン。

 

19(金) 日中はまだセミの鳴き声がうるさいが夜ともなると早くも秋の虫が鳴き出している。季節の変わり目が耳で分かる。夜風も涼しくてバイクは半袖で乗れない。それに虫が体に当たるとメチャ痛い。前にカナブンが当たって叫んでしまった。夏は暑い。冬は寒い。虫は痛い。それでもバイクはやめられん。

 

20(土) エビちゃん一家が夏期実習の神学生、古澤如雲(じょうん)君を連れて来会。まるで御出家のような、思わず合掌してしまいたくなるようなお名前や。エビガキたちは礼拝堂で大騒ぎ。イエスはそんな子らをとがめず、天国とはこんな子の場所だと言った。どうやら天国とは静かには過ごせない場所らしい。

 

 


8月7—13日

2022年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も二泊三日で開催した教会キャンプ。少しだけ通り雨が降ったが増水の危険性さえ無けりゃ誰も意に介さない。むしろ涼しいのでカンカン照りよりも有難いくらいや。ただ残念だったのは夜空の星が薄雲と満月の影響で見えなかったこと。来年は記念すべき40回目のキャンプとなる。グラム1,000円の肉でも買ってきて盛大にやろうと思っている。

 

8/7(日) 瀬戸内のハワイの異名をとるだけに夏の大島はアロハ活気に満ちている。礼拝もアロハを着て行なう。というか、僕はそもそも夏場になるとアロハしか着ないが。昔、辻健牧師が大島の礼拝を助けて下さっていた時、やはりアロハを着ておられた。逆にガウンなんか着て礼拝するのは大島じゃ異端児や。

 

8(月) キャンプの食料品(カップラーメン、缶詰、ドリンク)の買い出し。今まで1本29円のジュースや70円程度のラーメンにしたが、今回はケチらんぞ。教会の最大イベントや!でもイザ商品を目にすると気が弱くなる。キャンプで食べると何でも美味いしなあ~。どうせ副食やしなあ~。リッチになり切れん。

 

9(火) 明日から教会キャンプ。教育委員会から借りたテントを車に積み込んだ瞬間、車中にキャンプの臭いが広がった。とは言ってもそれはほぼカビの臭い。でもボルテージは上がる。今日から遠方の大阪や愛知からの参加者が到着し。開催中には埼玉からの家族も加わる予定。もちろん半分は地元の山口と広島。

 

10(水) 早朝スマホが鳴り響いた。着信名は中西旬。覚悟はしていたが電話に出るのに気が重い。5時35分、中西英清さん永眠。キャンプ場で荷物をおろした後、教会に戻るとすでに柩が運び込まれていた。妻の矢江子さんが病院に牧師との面会を求めたのに断られたと拳を握られる。それがコロナ禍の現実。

 

11(木) 昼前に告別式。矢江子さん大丈夫ですよ。英清さんとは入院前にご自宅でいっぱいお話しましたし、何よりも笑顔で眠るお顔を見てください。おそらく彼も僕が去年見た花畑(天国?)を見たんですよ。少なくとも人生に満足し旅立たれたお顔です。キャンプ場の空から時折小雨が涙のように降り注いだ。

 

12(金) キャンプ最終日。ずっと昔は川の対岸でテントを張っていた。その頃中西さんが矢江子さんを負ぶって川を渡って参加しに来られた姿を思い出す。僕は晋作さんを背負って渡ったなあ。一時は参加者も60名を超えていてパッと見は難民キャンプ。今年の難民(誰もかれも難儀な人々という意味)は32名。

 

13(土) 遠くからの参加者たちは夕方までに全て帰路についた。急に静まり返った教会。明日は日曜やが、僕は寝不足と筋肉痛で疲労困憊状態。時々「いつまで続けられるやろか…」と考えるが、実は小学生や中学生やった子供たちが今は立派に成長してキャンプの全てを担ってくれる。また来年たのんまっせ!


7月31日—8月6日

2022年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

いつの空やったか覚えていないけれど、面白い雲が出ていたので撮った。田舎で暮らしていると、よく空を見上げる。夜空は言うまでもなく、昼間の青空や雨の日の空。入道雲や雪雲も。昔ハンググライダーをしていた頃はサーマル雲というのを見た。今でもそれを見ると飛びたくなる。来週は教会キャンプ。今年も星空が楽しみや。

 

7/31(日) 夜、つねさんが庵野秀明展の入場招待券を持って来られた。その出で立ちを見て驚く。青いTシャツに青い短パン。青いタオルを首にかけ、青いマスクをしている。吉本新喜劇で緑の出で立ち芸人は見たことあるがここは舞台ではない。もし一緒に外出するようなことになれば、ごめんこうむりたい。

 

1(月) 帰省していた帆波が沖縄に帰って行った。前回のようにデッキまで出て離陸する飛行機を涙で見送る。なんてことにはならず、空港玄関で降ろしてそそくさと立ち去る。まあ二回目以降はこんなもんや。本人はもっとこちらに居たかったやろなあ。こちらは沖縄に行く娘がうらやましい。まあこんなもんや。

 

2(火) 部分入れ歯が欠けたので歯医者へ。普通に使っているし、歯ぎしりもしないのに、何故欠けたのかが分からない。一から作り直すとなると金がかかるので補修してもらうことに。破片は飲み込んだと思われる。飲み込んだ銀歯を自力回収して歯医者に持ってったら「使えません」と一蹴された過去がある。

 

3(水) 某医療センターにて心臓の検診。10時半の予約なのに昼を回っても呼ばれない。そこで受付に行って「飛行機に間に合わないのですが・・・」と申し出たら、あわてて順番を繰り上げてくださった。ドクター(若い女医さん)までが直立して平謝りされる。そこまでされたら罪悪感を禁じ得ない。実は嘘です。

 

4(木) 最近自分でも「結構うまくなったんとちゃう?」と思えるほどバイクに慣れてきた。分かってます。そう思うようになった頃が一番危ないんでしょ?ちなみに車の方は免許を取得してから今まで46年間無事故や。何度かこすったりはしたけどね。真夏のバイクは我慢大会みたいやけど、まだまだ楽しい。

 

5(金) 病院からオケーさんの訃報が入ったのは夜明け前やった。幼少時に故郷の福岡から広島の養護施設に入れられたオケーさん。施設での生活に耐えられずに亀の里アパートに来た。職員から「戻って来ても再入所させん」となじられた。障害者の一人暮らしなど夢の夢やった時代のこと。亀の里に来てオケー

 

6(土) さんはすぐに子犬を飼った。夢の夢がひとつ叶った。施設で生物を飼うなど許されるはずもない。子犬を亡くした時、激しい焦燥感にさいなまれ辛い辛い日々を送った。そんな苦しみすら施設では体験できない。生きることを楽しみ、生きることを苦しんだオケーさん。そして教会はまた貴重な友を失った。