携帯のカメラに収まり切れないような大きな虹が出た。その虹を背にするかのように亀の里アパートが建っている。肉眼でハッキリと七色が見分けられるくらいや。スマホならばもっときれいな写真が撮れたやろなあ。買い替え時かなあ。「ガラ携、最後の一人まで頑張ってください」とドコモ姉ちゃんに言われたが、気持ちが萎えそうな今日この頃。
1/24(日) 今日の大島の海は白波が立つほどの強風に見舞われていた。とは言ってもここは穏やかな瀬戸内海。船が航行できなくなるような強風は台風でも来ない限り滅多と吹かない。むしろいつも平たんで静かな海の景色に彩りを添えてくれる白波は見ている人の目に美しく映える。『SUO-OSHIMA-CREW』と染め抜かれたロゴ入りフードを着て礼拝へと向かう午後のひととき。
25(月) 今日も白波立つ瀬戸内海の上をまたぐ大島大橋を渡って、久しぶりに蕎麦を食べに行く。デッキ席はオーナーが苦心して囲ったビニールが今にも破れそうな音を立てて強風にあおられている。いつ、バリッ!メリメリッ!という悲劇が起こるかも知れない不安におびえながら、僕の定番コース「温蕎麦&冷蕎麦」をいただく。でも大将、このビニールいつか破れますよ。
26(火) 社会事業団の施設長会議が終わった後、危篤の報を受けていたマックさんを訪ねる。部屋に入ると酸素マスクをして、肩で息をしている姿のマックさんがいた。らしくないですよ。いつものように笑顔で握手してきて「ヘロー!オゲンキ?」と僕の肩をたたいてくれる彼がいい。「初代牧師のマックさん!五代目牧師が来ましたよ!」耳元で伝えると大きく目を開けられた。
27(水) 広島聖文舎に行って聖書を見る。今でも口語訳聖書を用いている周防教会にも、ついに新しい聖書と讃美歌を購入しようかなという計画が出たからや。しかし、聖書+讃美歌を合計20セット。ざっと計算して30万円越えという値段を知って、計画がとん挫しそうな思いになる。そもそも聖書ってなんでこんなに高いんや。神様、あなたの『言』で儲けようとしてまっせ!
28(木) 今朝方マックさんが永眠されたという報が入った。1951年、周防教会設立当時、田舎町を背の高い外国人が闊歩し、しかも誰にでも声をかける陽気な性格。いやでも町中で目立つ存在やった。天神祭りを利用して境内でバターを売ったり、養豚場を経営したり、おまけに亀の里などという障害者アパートを開設したり、もうやりたい放題、天真爛漫、傍若無人?な牧師
29(金) として、初代と三代目を牧された。そんなマックさんが辞任して町を去られたと同時に、教会もメインストリートの駅前から町の隅っこに移転をすることになる。町の人らは「外人牧師さんが居らんようなり、教会も無うなった」と思うのは当然なことで、その後、僕は何度も「え?まだ教会あるの?」と驚く人たちの声をあちこちで耳にした。こんな破天荒な牧師に
30(土) 勝った!と言えることが一つ。それは二年前、僕が天神祭りの実行委員長となり「教会はまだ潰れとらんど!」と存在を示したこと。いずれにせよ二人とも天神さんまで利用する「神をも畏れぬ」牧師やが、それでも当時の「型破りバブ」には遥か及ばない。そんな大団円を綴り終えたバブ・マックウィリアムズ牧師は満足げな顔をして眠っておられた。享年百。安らかに。