周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

1月24—30日

2021年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

携帯のカメラに収まり切れないような大きな虹が出た。その虹を背にするかのように亀の里アパートが建っている。肉眼でハッキリと七色が見分けられるくらいや。スマホならばもっときれいな写真が撮れたやろなあ。買い替え時かなあ。「ガラ携、最後の一人まで頑張ってください」とドコモ姉ちゃんに言われたが、気持ちが萎えそうな今日この頃。

 

1/24(日) 今日の大島の海は白波が立つほどの強風に見舞われていた。とは言ってもここは穏やかな瀬戸内海。船が航行できなくなるような強風は台風でも来ない限り滅多と吹かない。むしろいつも平たんで静かな海の景色に彩りを添えてくれる白波は見ている人の目に美しく映える。『SUO-OSHIMA-CREW』と染め抜かれたロゴ入りフードを着て礼拝へと向かう午後のひととき。

 

25(月) 今日も白波立つ瀬戸内海の上をまたぐ大島大橋を渡って、久しぶりに蕎麦を食べに行く。デッキ席はオーナーが苦心して囲ったビニールが今にも破れそうな音を立てて強風にあおられている。いつ、バリッ!メリメリッ!という悲劇が起こるかも知れない不安におびえながら、僕の定番コース「温蕎麦&冷蕎麦」をいただく。でも大将、このビニールいつか破れますよ。

 

26(火) 社会事業団の施設長会議が終わった後、危篤の報を受けていたマックさんを訪ねる。部屋に入ると酸素マスクをして、肩で息をしている姿のマックさんがいた。らしくないですよ。いつものように笑顔で握手してきて「ヘロー!オゲンキ?」と僕の肩をたたいてくれる彼がいい。「初代牧師のマックさん!五代目牧師が来ましたよ!」耳元で伝えると大きく目を開けられた。

 

27(水) 広島聖文舎に行って聖書を見る。今でも口語訳聖書を用いている周防教会にも、ついに新しい聖書と讃美歌を購入しようかなという計画が出たからや。しかし、聖書+讃美歌を合計20セット。ざっと計算して30万円越えという値段を知って、計画がとん挫しそうな思いになる。そもそも聖書ってなんでこんなに高いんや。神様、あなたの『言』で儲けようとしてまっせ!

 

28(木) 今朝方マックさんが永眠されたという報が入った。1951年、周防教会設立当時、田舎町を背の高い外国人が闊歩し、しかも誰にでも声をかける陽気な性格。いやでも町中で目立つ存在やった。天神祭りを利用して境内でバターを売ったり、養豚場を経営したり、おまけに亀の里などという障害者アパートを開設したり、もうやりたい放題、天真爛漫、傍若無人?な牧師

 

29(金) として、初代と三代目を牧された。そんなマックさんが辞任して町を去られたと同時に、教会もメインストリートの駅前から町の隅っこに移転をすることになる。町の人らは「外人牧師さんが居らんようなり、教会も無うなった」と思うのは当然なことで、その後、僕は何度も「え?まだ教会あるの?」と驚く人たちの声をあちこちで耳にした。こんな破天荒な牧師に

 

30(土) 勝った!と言えることが一つ。それは二年前、僕が天神祭りの実行委員長となり「教会はまだ潰れとらんど!」と存在を示したこと。いずれにせよ二人とも天神さんまで利用する「神をも畏れぬ」牧師やが、それでも当時の「型破りバブ」には遥か及ばない。そんな大団円を綴り終えたバブ・マックウィリアムズ牧師は満足げな顔をして眠っておられた。享年百。安らかに。


1月17—23日

2021年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

左の写真は去年のみかん収穫時にたった一つだけ幼い木に実っていた実。なんだか可哀そうな気がして収穫できなかった(作業終了時に妻によってブチもがれていた)。右の写真は蝋梅。蝋というだけあって、黄色い蝋で作られたような花が咲いている。梅の花にはまだ早かったが、咲き出したら孫は連れずに来ようと思っている。その理由はこの先の記事を読めば分かります。

 

1/17(日) 阪神淡路を襲ったあの震災から今日で26年。周防教会の皆さんもご存じの通り、95年は亀の里アパートと周防教会が新築工事を始める年でした。正直「これで全国からの募金は望めない」とあきらめたのを覚えている。ところが驚いたことに、兵庫の教会からの募金が一番多かった。今思い返しても目頭が熱くなる記憶と共に周防教会の歴史に深く深く残っている。

 

18(月) 大学の全国共通テストの問題と解答が新聞に載っていた。どれどれ、ちょっとやってみるか。高校時代得意やった国語は・・・話にならん。言わずもがな、英語も歴史も数学もほぼ意味が分からん。かろうじて大好きな生物だけは30%ほど正解していた。僕の中では大学生って遊んでばかりいるイメージがあったけど、結構賢いんやなあ。少し見直してみることにしよう。

 

19(火) 牧師館の階段・ベランダの板塀は中西さんによって全て新しいものと交換されたが、古い板のくぎ抜き作業が残っている。「これだけは僕がします」と横取りした。こんだけありゃ薪やオガライトを買わなくて済む。キャンプの燃料代が大節約や。興奮気味に釘を抜く。朽ちた板が銭に見えてくる。この夏、コロナがどんな状況であれ、僕一人でもキャンプをするぞ!

 

20(水) 光の冠公園の蝋梅が見頃と聞いて見に行く。山の斜面を利用しているのでほとんどが坂道。歩き疲れた下の孫を抱くことに。数メートルほど歩いた時点で「やば」、1分ほどで「あかん」。もはや、孫を放り出すか倒れるか。こんな時は高校時代の苦しかったクラブ練習を思い出す。過去何度となくそれで乗り切った。そして今回も根性で登りきった!Get  Fire!浪高!

 

21(木) 教頭から校長室に行くよう指示される。今でも僕の中には「職員室は叱られる場所」という子供時代の記憶が残る。今回は校長室とは言え、いくつか身に覚えがある。あのことか?いやこっちかな?しかしついにこの日がやってきたか。正々堂々と闘うぞ。深呼吸をしノックして入った。「お呼びたてしてすみませんねえ」。ただの事務確認なの?一気に力が抜けてもた。

 

22(金) 校門を入った所に使い捨てカイロが落ちていた。関係者でなきゃ放っておいたかも知れん。気色悪いやん。雨に濡れて冷えたカイロをポケットに入れる。授業中、何気なくポケットに手を入れるとカイロが温かくなっていた。まるで死んだ小鳥が息を吹き返したみたいで嬉しくなる。笑う僕の顔を見た生徒が「どうかしたんですか?」と聞く。説明しても伝わるまいなあ。

 

23(土) 2017年に国連で採択された『核兵器禁止条約』が昨日発効された。その中に日本の名前はない。恥ずかしくて世界に顔向けできん理由でや。これじゃ海外旅行にも行けんで(いつ誰が行くねん)。すなわち、これは連れションか?きびだんご?親分子分?番頭はんと丁稚どん?もし米国が加入したら日本はシッポ振って追随するやろ。それでも加入せんのならある意味で立派や。


1月10—16日

2021年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム

何年かぶりで行った徳山動物園。写真はスリランカゾウ(アジアゾウ)のナマリー14歳♀。人間で言えば思春期の少女みたいなもんか。体高は3mちょい、重さは4tくらいとか。岸和田のだんじりほどやな(アフリカゾウはもっと大きいが)。凍てつくような寒い日やったが案外寒さにゃ強いという。インドの街をゾウに乗って♪という歌があるが、僕は玖珂の町でゾウに乗ってみたい。

 

1/10(日) 大島教会の礼拝に見知らぬ紳士が来ておられた。説教中も目を閉じておられる。寝ているのなら何の問題もないが、どうやら起きて聞いておられる。実はこういう人が一番怖い。剣の道でいう心眼の構え。お主・・・できるな。後で聞いたらカトリックの信徒さんやった。おそらく心の中では「プロテスタントの信者やなくて良かった~♪」なんて思っていたに違いない。

 

11(月) なんか礼拝堂が賑やかやぞ。また近所の悪ガキどもが来てるんやろと見に行ったら、近隣のママ友さんたちが子連れで集まっておられた。僕を見て「いつでも自由にどうぞと聞いてましたので」と言われた。そうです!もちろんWelcome!大歓迎や!あ、悪ガキたちでも歓迎するで。でもほんまに来るとは思ってなかったなあ。よっぽど行くところがないんやろなあ。

 

12(火) 診察室に入ってすぐ「先生!何も言わんでください。今回はクリスマスやら正月やらで気がゆるみっぱなしで・・・」と先に言い訳をした。医師「まだ結果が出てませんよ」。しばらくして血液検査の結果が出た。医師「良くなってますよ」。僕「そ、そんな筈ない!」。医師「でも機械は故障してないよ」。あきまへん。僕から「努力」という言葉を奪わんでください。

 

13(水) セブンでカードに入金しようとしたらエラー音。何度も試みたがダメ。店員のおばちゃんも首を傾げる。気にいらんのか!エラー音が警報のごとく店内に鳴り響く。気が付くと後ろにお客の列ができとる。すると店員が急に落ち着きはらって言った「それ・・・ナナコカードじゃないですよ」。僕のせいかよ?他人事のように言うなよな。あんたも気づかんかったやんか!

 

14(木) なぜか今日は一日中睡魔に襲われた。学校の帰り道も眠くてたまらん。帰ってすぐに寝た。夕方起きて牧師室で仕事を始めたら、またしても睡魔が襲ってきて椅子に座ったまま眠った。ツェツェバエに刺された覚えはないので眠り病ではないが、こんなに寝たらまた朝まで眠れんことになってしまう。地獄の悪循環や。しかし心配をよそに夜布団に入ったらすぐ眠れた。

 

15(金) 生徒たちに「はい質問!今夜9時。KRY」と問うたら、即座に「エヴァンゲリオン!」との返答。よしよし上出来や。とにかくこの映画を観てもらわんと僕の授業が成立せんからな。すると一人の生徒が「その時間、もう寝てます」と言ったので、そこは腐っても教師の端くれ、即座にこう応える「お前はガキか!高校生やったら夜更しくらいせんでどうすんじゃ!」

 

16(土) 昔はテレビのCMは1分やった。あまりに短いので家族で順番を決めてトイレに行った。最近の民放は平気で3分以上もCMをやりやがる。うんこをしてきても間に合うぞ。CM料金は局や時間帯によって違うが多い時には500万円を超えることもあるという。全米スーパーボウル(アメフト)でのCM放映権は30秒5億円。これじゃテレビ局がスポンサーに媚びるはずや。


1月3—9日

2021年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

始業式の朝、今冬初のセンチメートル級の積雪があった。ま、足跡がつく程度ってこと。新聞配達さんの足跡が無かったので午前4~5時以降のわずかな時間に降ったと思われる。これじゃ雪だるまも出来んなあ。待てよ。気温だけは毎朝氷点下5度近くにまで下がるんやから、駐車場に水を撒いてスケートリンクを作ろう。そうしよう!新年から冴えてるなあ。けど・・・そんな時間に起きれるか?

 

1/3(日) 新年最初の礼拝。いつもと変わったところはない。と言いたいところやが、コロナの影響で常連さんの半数は休み。休むことには何の問題もない。「教会に行きたい」と願っているのに来られない人たちの無念が胸に突き刺さる。心が張り裂けんばかりの悲しみに、礼拝後、久々に会堂の長椅子で寝てしまった。いびきまでかいていたらしい。もちろん嘆きのいびきです。

 

4(月) ショッキングな報が入る。僕が尊敬してやまない福本清三先生が元旦に亡くなられていたという。え?誰それって?無礼者!僕が子供の頃からテレビで観ていた、ヤクザや悪徳商人たちから「先生」と呼ばれていた用心棒の先生や!それでも分からんって?これを言えば分かるはず。東映京都撮影所の所属で五万回斬られた男!まだ分からん?もっと時代劇を観なさい。

 

5(火) 彩七が孫たちを連れて泊まりに来た。孫たちにせがまれて一緒に風呂に入る。いつもは絶対に嫌がるくせに一体どういう風の吹き回しや?爺さんと風呂なんて二度目の快挙やぞ。はは~ん、そういうことか。お年玉が目当てやな。それに関しては君たちがお金の意味が分かるまであげません。え?熊毛のお爺ちゃんや伯父さんはくれたって?ケチなジジイで悪うござんした。

 

6(水) お年玉の代わりに焼肉屋に連れて行く。ガキが食べる程度、楽勝や。今時の店の注文は全てタッチパネルか。「すき家までがタッチパネルになった」と全盲の粟屋さんが嘆いていたなあ。何々?会計もこの画面に出るの。19162円!ご親切に「お一人様2737円」と割り勘額まで出とる。この数字を見た僕が何を考えたか、もうお察しでしょう。お年玉にすりゃよかったあ!

 

7(木) 校内全面禁煙は去年の春からで喫煙室まで無くなったとか。愛煙家の先生たちが困っておられるのを黙って見過ごせん。昨今はバッシングとも言える嫌煙風潮。光教会の皆さんに窮状を訴え、教会の敷地内で喫煙できる許可を得た。それを告げると「福音だ!」と大喜び。だって僕はこう見えても周防(吸おう)教会の牧師ですからね。福音がお仕事。お後がよろしいようで。

 

8(金) 年末にスタッドレスに交換しといてよかった。このままスキー場に行きたいなあ~などと考えながら、道路に積もった雪道を快適に走らせ登校。今日から三学期。「下ネタ期待してます」などと言う、けしからん生徒の期待に応えるべく引き締めて授業をせにゃ。意気込んで教室に向かおうとしたところ教務部長がひと言「せっかく来られたんですが今日は授業中止です」

 

9(土) 寝室の中でも氷点下やった。顔や耳が痛いほどの寒さ。最近は毛糸の帽子をかぶって寝ている。教会の台所の水道も昨日から凍結している。長女が生まれた最初の冬も寒くて、寝室は-1℃やった。小さな手にそっと触れてみたら氷のように冷たくなっていたのでドキッとしたことを覚えている。あの時の玖珂は-8.9℃。今朝は-7.3℃。記録更新はならずか。何故か残念や。


12月27日―1月2日

2021年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム

使用されて良いものには厳しい決まりがある。それは鍋用に特別に栽培された温州みかんでなくてはならない。その証拠の印として『鍋奉行御用達』の焼き印が押されている。このみかんをそのまま鍋に入れた料理が開発されたのは2004年の秋。人呼んで《みかん鍋》。まんまやがな!と突っ込まれそうやが新しい大島名物や。一度食べてみんさい!まあ・・・一度でええかも知れんけど。

 

12/27(日) 明日は世に言うところの御用納め。僕もそれに乗じさせてもらうため、溜まっている課題(主に手紙や書類作成など)を今日中に全て済ませておくことにした。10数件ほどあったが、真夜中を過ぎた頃に全て完了。冬休みの宿題もこんな風にやっておけばどんなに気が楽な年末年始を迎えられたことか。子供時代に何度も味わった後悔がこの歳になってやっと実を結ぶ。

 

28(月) 大島で牧師をしている以上、これは体験しておくべきやと一大決意をし、みかんを一個丸ごと入れた「みかん鍋」(今回は予算の関係で「みかん鍋ラーメン」それでも1000円)に挑戦した。14年前に新しい大島名物として登場した不思議な無理鍋やが、まったくもって予想通りの味やった。知らない人に出したらこう言うに違いない。「誰や鍋にみかんなんか入れたやつは!」

 

29(火) 明日から記録的な大雪になるとの予報。平地部でも10cmの積雪という予測なので、半時間ほどかけて冬タイヤに交換した。これで安心!と言いたいが、いくら冬タイヤにしたところで、いざ積雪となると道路はノーマルタイヤの車のせいで大渋滞を引き起こす。それを思うと腹が立って仕方がない。正直に冬タイヤを買って装着する者が結局バカを見るような中途半端な地方。

 

30(水) 雪・・・降らんなあ。ちょっと残念。雪と言えば思い出すのは、北海道で吹雪に見舞われたことや、広島の山中で雪に車が埋まって現地で一泊するハメになったことや、高速道路なら4時間で帰れる道のりを通行規制に遭い、国道を20時間かけて帰ったことなどの忌まわしい記憶。でも雪の無い町で暮らしている僕には雪は憧れ。積もると嬉しくなって庭かけ回りたくなる戌年。

 

31(木) 鐘・・・鳴らんなあ。めっちゃ残念。去年実家で大晦日を迎えた時はあちこちのお寺から除夜の鐘が聞こえてきたのに。近年は「うるさい」などという苦情で特に住宅地では鳴らしにくいみたいやが、まさかこんな田舎町で自粛はあるまい。人手不足なんかなあ?僕でよければ来年はお手伝いしますよ。自治会長をしている時「火の用心」を復活させ、町内を回ろうかとも考えた。

 

1(金) 文字通り『朝まで生テレビ』を朝まで観て寝不足やったが、孫たちにせがまれて公園に行った。多くの人が遊具に登るのに苦労していたのを「今時の奴らはだらしないのう」と見ていた。僕の出番やな。こういうのは子供の頃から得意中の得意。両手をポケットに入れたままで充分。孫ども!今日の公園ヒーローは爺ちゃんや!一歩目で仰向けに転倒。これが僕の新年の始まり。

 

2(土) 帆波が彼氏を連れて来た。本名は聞いたことあるが忘れた。小泉進次郎に似ているので僕は進次郎と呼んでいる。見るからに緊張しながら夕食の席についとる。今夜はうちで泊まるって?まだ婚約者でもあるまいし、僕が若い頃には考えられんことや。ちなみに僕は高校の生徒から「安部晋三に似ている」などと言われている。確かに最近表情筋がたるんできとるが、安部はやめて。