周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

5月24―30日

2009年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 実家の僕の部屋の天井に貼ってあるペナント。最近はほとんど見なくなったが、ひと昔前は旅行土産の定番。旅先で必ず買ったが、親父も旅先で買っては僕にくれた。でもね、自分で行って買わんと意味ないねん。「ありがとう」と言いながらも(こうなりゃ親父が行った旅行先に僕もいつか必ず行ってやる)と心に誓ったことを覚えている。

5/24(日) 新月の夜は星を観にゃ…とばかり、夜風に誘われるまま天神さんの境内の方に歩いて行った。ここは真っ暗やからよく観える。ここまではよかった。暗闇の中を手探りで歩いとったら石段に蹴つまずいて、左側頭部を神社の壁にしこたま打ちつけてしまう。おかげさんで種類の違う星がたくさん見えました。

25(月) 遠くからヨタカの鳴き声が聴こえてきた「キョキョキョキョキョ…」。キャンプ場で聴いたことはあったが教会で聴くのは初めてや。うれしいなあ。できればフクロウやトラツグミあたりも鳴いてくれんかなあ。それはそうと、今夜は亀の里の事務所で盛んにヤスオの鳴き声がこだましている「ナッサケナイノオ~」 。

26(火) 広島駅でこだまからのぞみに乗り換える時、熟睡してしまい発車のベルで飛び起きて列車から飛び出た瞬間にドアが閉まった。冷や汗もんのスリルと、ホームの客の注目を一斉に浴びたおかげで完全に目が覚めた。できることなら、看護実習で毎日睡魔と闘っとる彩七(サイナ)にもこれくらいの覚醒を与えてやりたい。

27(水) 横浜での研修のあと大阪へ。今回は前に修理しきれんかった水道が気になって実家に立ち寄ったんやが、帰宅早々母から差し出されたメモには修繕箇所が5つも書かれていた。増えとるがな!その前に怒涛の愚痴や世間話しに付き合うこと2時間半。母親のストレスの修繕はこのあと土曜までかかった。

28(木) まずは最大の難所の洗面所から。以前から何度修理しても蛇口から水がポタポタと漏れる水道。思い切って蛇口を交換することにした。35年前の洗面所は難敵で結局洗面台を取り外しての工事となる。そのあと再び母の話し相手。親父の体調は以前に比べて安定しているが母親のストレスはどうやら臨界点や。

29(金) 今日は台所の水道、風呂場の排水溝、ドア止め部品の取り付け、古くなった固定立て簾(タテス)の交換。これが業者なら(母親のお相手代はサービスとして)工賃3万円ってとこやろな。さて、今夜も近くの池からしきりとカイツブリの声が聴こえる。もの悲しい声に最初は心がなごんだけれど…こう毎晩続くと騒音やで。

30(土) 親父に「ほな帰るわ」と言うと「帰るんか?」と答えてくれた。認知気味の親父ゆえ会話が成立するだけでも嬉しい。そしていつもこの瞬間、できるだけ頻繁に帰ってやりたくなる。「また来るわ」と言い残して帰った僕は、広島駅でのぞみからこだまに乗り換える時、熟睡していて到着の放送で飛び起きてドアを出た。


5月17―23日

2009年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Kawasaki400

Kawasaki ZRX400。走野(ソウヤ)は小学生時代からバイクにあこがれていて「風になって来る」と言ってはチャリンコであちこちに出かけていた。高校生の時にバイトして夢を叶え、免許とバイクを手に入れた。大した奴や。僕も時々原チャリで「風」になって野山を走っている。つい大声で歌ったりなんかすると人が振り返る。大した牧師や。

5/17(日) 大島教会の礼拝で子供たちに紙芝居をした。聖書物語のなら教会に色々あるが、今日は図書館から借りてきたものを選んだ。実際のところ聖書の紙芝居ってやつは、どれもこれもつまらんからなあ。子供たちには「教会で神樣の話を聞いた」よりも「教会は楽しかった」という記憶を残してやりたい。

18(月) 最近はセルフのガソリンスタンドが増えたが、今日スタンドに車を乗り入れたと同時に「いらっしゃいませ~!」と元気よく店員が2人もかけ寄って来た。え、ここはセルフやろ?何かサービスしてくれるんかなあ?と思ったが、僕が入れるのをジッと側で見ているだけ。野次馬かよ。気ぃ散るがな。一人にさせてくれ。

19(火) セルフと言えば、大阪の母が初めてセルフに行った時、勝手が分からず店員を呼んで教えてもらったまではええが、「最初にお金を入れてください」と言われて、「まだガソリン入れてへんのに何で先に払わなあかんのよ!」と文句を言ったという。店員はこんな母をどんな風に説明して納得させたんやろ。

20(水) 毎朝7時前に彩七(サイナ)を実習先の病院まで送っているので、ちょっとした通勤気分を味わっている。しかし朝は時間に追われてイライラしているドライバーが多い。合流地点で意地でも入れまいとする車。その車の前に意地でも割り込んでやろうと闘志を燃やす僕。朝から岸和田人の血が騒ぎ血圧も上がるぜ。

21(木) 亀の里の会計監査で廿日市へ。同行したK牧師がしきりと「基督饅頭の売り上げに税務署から調査が入りませんか?」と監事や公認会計士に尋ねていた。誰かに相当ビビらされたみたいやが、もし税務署が入るくらいの売り上げがありゃ僕はマジで牧師を辞めて饅頭屋になるぞ。ただ…もう見るのも嫌やけどね。

22(金) またしても「村田は大酒飲みでは?」と容疑をかけられた。では検証してみよう。宴会やカラオケが好きで最後まで付き合う。しらふじゃ言えん毒舌を吐く。外見からしても相当イケそう。冷蔵庫には常にビールやチュウハイが冷やしてあり、日本酒、洋酒、泡盛まで揃っている。状況証拠は充分。あとは自白だけやな。

23(土) 電話の子機が3週間ほど前にまた故障した。ウンともスンとも言わん。1月に修理したばかりやぞ!メーカーに電話で訴えたら平謝り。あらためて担当者から連絡させますとのことで30分ほどして電話があった。こちらもあらためて担当者に苦情を言ってる最中に子機を床に落とした。途端に直った。どないやねん。


5月10―16日

2009年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 転んでいるのではない。固まっているのだ。出店の輪投げをさせてもらえなかったことへの抗議だという。驚くべきことに無言でこの姿勢を軽く5分以上取り続ける。今回も放って置きゃ延々と続けたに違いない。背中に帽子を乗せられても微動だにしないこの子は、まだ2歳に満たないT牧師の息子。駄々をこねん見事な平和的抗議行動や。

5/10(日) 開口一番「帰りは新幹線に乗りたいでよ」と言ったのは、夜遅く何の前ぶれも無しに帰ってきた走野(ソウヤ)。急に思い立ったらしく、有馬から400km近くの距離、国道2号をバイクで10時間、ひたすら走ってきたとのこと。早朝から昼まで仕事をしたあとの帰省ゆえ、さすがに疲れ切っとった。今日は母の日。

11(月) イタリア料理があんまり好きでない理由の一つは、注文したものと違うものが出てくるからや。今日も違う料理が出てきた。ペペロンチーノを頼んだのに、これは君、ニンニク風味のパスタやがな!え?それがペペロンチーノ?でも名前はなんとなくトマトクリームっぽいで。日本語で書けっちゅうねん。解らんがな。

12(火) 朝、再び有馬に向けて発った走野から「今着いた」と連絡があったのは夜の8時半。これから有馬名物『金の湯』で疲れをとるという。牧師室の机に「おかんに何か買ってあげて」とのメモと一緒に置いていた五千円。シャレたことするのう。でも母さんが一番喜ぶ贈り物はそのまま手渡すことやと思うから、そうしたぞ。

13(水) 広島社会館で開かれる事業団のサービス向上委員会の前に、近所の店で久しぶりに食べたホルモン天ぷら&ホルモンうどんは旨かった。やっぱ分かりやすいメニューはええ。しかし、ホルモンうどんのことを現地では「デンガクうどん」などと呼ぶ。なんでそう呼ぶのかは不明。日本語でも解らんもんは解らんな。

14(木) 教区総会時に提出する教会議事録やが、うちのは挿絵にギャグマンガを用いるという牧師の悪趣味ゆえ、以前審査委員から「いかがなものか?」と注意されたことがある。さて今回審査を担当した委員が書類に書いとった。「楽しい絵に感謝」。感謝って言われても…。周防以外にもブッ飛んだ信徒がおるんや。

15(金) 去年初めてこの祭りの存在を知ったとき「26年間、僕は山口で何をしとったんや…」と悔し涙を呑んだが、今年は嬉々として行ってきた。ところで同行の女性たちがお化け屋敷に入ったのはええけれど、中から漏れ聞こえる彼女らの悲鳴に屋敷の外の人々の方が怯えていたそうな。来年も行くぞ『普賢祭り』

16(土) 「説教準備の邪魔をしてすみませんが…」と前置きされる丁寧な電話を受けた。それを聞いて思い出したことがある。たまたま早く説教を書きあげた土曜日、牧師仲間に電話をして「余裕」を見せつけると同時に長電話で相手の邪魔をして楽しんだ日々を。まだ「説教準備」というものをしていた、20年も前のお話。


5月3―9日

2009年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 名だたる剣豪・佐々木小次郎の像。岩国の錦帯橋を渡った先にある吉香(きっこう)公園の中にある。小次郎はここで必殺技の「つばめ返し」を編み出したことになっとる(小説ではね)。ただ、どうしても腑に落ちんのやが…こんな持ち方してええんやろか?この後、どうやって切り出すんやろ?こんなことしたから武蔵に負けたんとちゃうの?

5/3(日) 大島に行く道の途中で蓮華がきれいな畑がある。今日通ったらすでに耕されたあと。もっと早く見に来りゃよかった。蓮華畑はとても刺激的。子供の頃、夢中でシマヘビや青大将を追いかけ回した記憶がよみがえる。『手に取るな やはり野に置け 蓮華草』か。ちなみにここで詠われている蓮華は遊女のこと。

4(月) 天語が高校のカヌー部に入った。山口県内じゃ無敵の実力だという。まあ、県で唯一のカヌー部らしいからな。そういう僕は高校時代アメフトをやっていたが、大阪府下では常にベスト5の実力やった。もっとも、府下では当時12校しかなかったけど。安易な道を選んだ訳ではないが、やっぱ親子の血は争えんわい。

5(火) 米軍岩国基地の開放デー。去年より一気に7万人も増えて、過去最高の27万人。航空ショーを見ている観客が「本物はすごいですね!」と楽しそうに耳をふさぎながらテレビのインタビューに応えていた。ここに引っ越して来りゃ、もっとレアな抜き打ち夜間飛行も味わえるで。家の窓ガラスも二重にしてくれるし。

6(水) 教区総会の夜。僕はトイレに入る時とホテルの部屋では真冬でも素っ裸になるくせがあるんやが、おかげで一匹の蚊に何度も襲撃された。ここは9階やぞ。どうやって入って来たんか知らんが、やい!蚊。こんなとこで僕の血を吸って、いったいどこで産卵するつもりや?あとさき考えて血ぃ吸えよ。お互いに不幸やぞ。

7(木) 蚊との死闘は朝まで続いた。言うまでもないが、めっちゃ寝不足。結局蚊の野郎…いや、蚊のあねごを成敗することは出来んかった。さて、今回の教区総会やが、悪いけど僕には蚊との一夜の方が記憶に残るような総会内容やった気がする。ところでチェックアウトの時に窓を開けて出て行った。ええ子産むんやで。

8(金) 今年の初啼きを聴いたのは先週の金曜日。毎春の渡来を楽しみにしている25年来の旧友アオバズクのこと。その寿命は8~10年とか20年以上の説もあるが、初代が毎年来ているのか、3代目あたりなのかは不明。ただ渡来した時はすぐ分かるんやが、いつ帰ったのか全く分からん点が、まるで保男とそっくりや。

9(土) 子供らが食事をする時に「いただきま~す」と言ったタイミングで僕はいつも「だめ」と言う。シャレで言う「だめ」なので、それで子供らが食事を中断することはない。大昔、食前のお祈りをしたこともあるが、うちじゃこの「だめ」の方が子供らにウケただけ。もし、お祈りを続けとったらどんな子に育っていたやろ?


4月26日―5月2日

2009年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo巨熊をヒョイと肩車して、今にも投げ飛ばさんとする迫力満点な金太郎人形。ただひとつだけ残念なところがあった。写真ではやや分かりづらいが、この金太郎はどう見てもオッサン顔としか見えない。しかし、視線を下の方に向けてみると…「あ!やっぱり子供やがな」というのが分かってしまう。よい子はまだまだ理解しなくてもいいぞ!

4/26(日) うちは毎週礼拝後、みんなで昼食(コンビニ弁当)を食べるので、近所のコンビニではお得意さま。しかし…コンビニの店員は毎週々々どっさり弁当を買って帰るわれわれをどう思っているんやろ?大家族かボランティア団体などと間違われるならええけれど、もし何かの宗教団体と思われていたら嫌やなあ。

27(月) 長女の友佳は明日から超大型連休に突入する。今日の出勤を最後に高校を出て6年8ケ月働いた町工場を退職金無しで解雇されてしまったのだ。日本中でたくさんの人間が空前の不況の波をかぶっている中、《牧師》で食っている奴らに告ぐ。自分の教会の関係者の生活状況をもういっぺん確認して給料もらえよ。

28(火) 2年ぶりに手持ちビデオ&DVD映画のリストを更新したら、800本になっていた。もちろん90%がビデオ。中には劣化しているものまである。「これからの時代に中古ビデオを集めてどうすんねん?」と批判されたこともあった。そんなことを言う人に僕は声を大にして言いたい!…実はぼちぼち後悔し始めてます。

29(水) B君と深夜の『山賊』に行った。見渡す限り若いカップルだらけ。どちらかと言えば山賊に近い風貌の僕やB君(熊の毛皮を着たらまんまやで)は場違い極まりなし。お!蛾がカップルたちの間を行ったり来たりしよる。女の子が嫌がっとる。パニくるカップルを見ながら蛾を応援してうどんをすする僕って…結構最低かも。

30(木) アントニオ猪木と闘う夢を見た。闘志満々の僕に66歳の猪木の戸惑いがリアルに伝わってきたが、残念ながら闘う前に目が覚めてしまった。去年、統一協会の大会に出た猪木に対する失望と、昨日、加護ちゃんを利用しようとした協会がスポーツ新聞にすっぱ抜かれたことで見た夢。猪木!お前が目覚めるべきや!

5/1(金) いつもの散髪屋に行った。理髪師「それにしても豚インフルエンザは大変ですねえ」。僕「そうですねえ」。理「豚ですからねえ」。僕「(どういう意味やろ?)そうですか」。理「いやあ、豚はよくないですよねえ」。僕「(何のこと?)はあ…」。理「インフルエンザですもんねえ」。僕「(………)で、ですねえ」。久しぶりに狼狽した。

2(土) 所用の帰り、GWの渋滞に巻き込まれながらも気分がええ。むしろ渋滞を楽しむ余裕すらある。ついにこの日が来た。車の窓は全開。おかげさまで今年の花粉が終結しました。ところで「おかげさま」って言葉を用いる時、誰もが一度は思ったことあるに違いない。「あなたのおかげではないけど」…って。あると思います。